6-4
チシー爺さんはアレガの腕から飛び立ち、オオアギの肩に移る。
「あっし? あっしに言うことはないだろ。ウロ様とはだいたい一緒に行動してたんだから」
チシー爺さんはどんどんウロの声が板についてきた。
「あたしは子守がしたくて赤鴉をやってるのか、自分でもときどき分からなくなるよ。ラスク姉さんはほっといても十歳に成長した。あたしが育てたって胸を張れないんだよ。やっぱり、記憶はないとはいえ、ラスクはあたしの姉さんなんだよ。まして、あたしは妹として何もしてやれなかったのが悔しくてね」
オオアギも状況を理解できない話のようだ。
「ラスクがウロ様の姉さん?」
「俺もそれが聞きたかった。どうしてそんなことになってんだ。ラスクは俺より二つ上。ウロより十五も年下だ」
「あっしだって聞きたいよ。きっと、不死鳥と関係あるんだ。ウロ様は戦後すぐ生まれた。ラスクがウロ様の姉さんだってことになると、ラスクは戦争時代を生きてる可能性があるのか。チシー爺さん、ラスクのこともっと話してくれないか? ウロ様ならきっとラスクのことはたくさん話してるだろ?」
「月に一度こうやって話すと落ち着くねぇ。いつかこれを、誰かが聞きに来るなんてことはないだろうが、なんせあたしらはほかの誰かに知ってもらうものなんか何一つない。ラスク姉さんのことを覚えてるのもあたしだけだよ、まったく。だから、ラスク姉さんの記憶が少しでも戻るように、あたしは独り言を残しておくよ。先の戦争はニンゲンの敗北で片がついたらしい。でも、あたしらはその影響下にある。ニンゲンが戦争に勝つために使ったのは、不死鳥になるための薬さ。それの失敗作を使用したらしい。細菌兵器とも言ってたらしいけど、あたしらには人から人へうつるってことぐらいしか分からないね。ニンゲンはそれで自滅したんだ。痛みを麻痺させ長期戦が行えるらしかった。エラ王国はニンゲンに勝利して、あのことはすぐに忘れろと揉み消したがね。あの感染者らの容姿がカラスみたいだったからだよ。副作用として目が白くなって視力を失い、五週間もすれば自我まで失い、敵味方関係なく襲い掛かる。野蛮にも爪で引っかいたり、噛みついたりするらしいんだよ。血液と唾液でうつるって言われたけど、半鳥人は誰もうつらなかった。ニンゲン同士でうつしあって、滅んだのさ。カラスの羽が生えて暴れる感染者を『(
アレガはウロが隣に座っていると感じた。ウロは日頃、赤鴉の縄張り移動と見張りでことなかれ主義者の前でしか寛いでいる様子はなかった。巡回で別の部族や猛獣の些細な移動にも気を配っていた。憂いがあるわけでもないが、常に懸案なことがらを抱えていたのかと、アレガは先の戦争を思い描く。
ニンゲンはカラスの羽を得て飛んで攻めてくる。半鳥人は木の上から弓でそれを狙うが、ニンゲンは空からあの雷の音がする筒を発砲する。幾人の羽根が血と共に舞っただろうか。
「ラスク姉さんは戦時中のことを、よくあたしが十歳の頃に話してくれたよ。それから『私がウロのお母さんの代わりになる』ってうそぶいていたねぇ。ほんと、今だと笑えるが。ラスクは戦後に激化したあたしらカラスに対する差別で死んじまったんだよ。あたしが襲われたとき身代わりになってね。シルバルテ村襲撃の二年前さね。あたしがまだ赤鴉を結成する前のことさ。ラスクとあたしの旦那と三人でエラ国に住んでたときの話だよ。あたしの旦那はすぐ暴力を振るう。ニワトリ半鳥人のクズだったねぇ。まあ、それよりもカラスだからっていう理由で、この国では命を狙われるのかって失望したよ。旦那もあたしを命をかけてまで守ろうとはしなかったからね。ラスク姉さんが王都の住人に斧でなぶり殺されても黙って見てて、しまいにゃあたしを放って逃げ出す始末。あたしはラスク姉さんの亡骸が一瞬で灰になって驚いた。襲った連中も戦いてたね。その灰の中から赤ん坊のラスク姉さんが生まれたんだから。両手ほどもない姉さんを抱えてあたしは森へ逃げた。もう旦那のことは一瞬で忘れたね。それから、赤子のラスク姉さんとゴホンの密林で暮らした。ラスク姉さんはあっという間に二年もかからずに十代になったね。あたしの記憶は持っていなかった。不死鳥はね、生き返る機会が与えられるだけなんだよ。生き返っても生前の記憶は持てない。あたしはラスク姉さんを慕うこともできなくなった。ラスク姉さんはあたしをお母様と呼ぶもんだから」
ウロの嗚咽がチシー爺さんの口から洩れる。ウロがラスクを姉と慕うことをやめるのは想像に難くない。一年足らずでウロはラスクの母となる決意をしたようだ。それから、赤鴉の結成秘話も聞くことができた。
「ゴホンの密林は豊かだ。エラ国で町なんか作ってるのが馬鹿らしく思えたね。あたしらは、元来空の生き物なんだよ。いずれ飛べなくなるだろうけど、それまで翼のあるうちは跳んだり跳ねたりしてやろうじゃないか。ニンゲンはカラスから不老不死を見出だしたが、とんでもないね。カラスってのは、どんな環境でも生き抜いていける屈強で知恵のある鳥さ。奴らは見るべきところを間違えていたんだよ。まぁ、ニンゲンの作った不死鳥の秘薬がカラスの失敗作に成り下がったんだから、恐らく秘薬誕生にはカラスの半鳥人が関与しているのは間違いないだろうね。あたしらカラスがニンゲンに進んで協力するとは思えないから、ニンゲンに同胞が捕まったんだろう。ふぅ。どこまで話したかね? ラスクに体術や短剣の扱いを教え込んで、ゴホンの密林の暮らしも一年が経った頃には、あたしを弱いと思って襲撃する連中が現れたね。返り討ちにしたり半殺しにしてるうちに、悪名がエラ王国旅団に轟
ウロの話は有意義だった。オオアギですら驚きもしたが、今は滴るような笑みを浮かべている。何か話したいことがあるらしい。アレガは促す。
「気持ち悪いから早く言えよ」
「あっしは、ウロ様のところへ泣きついて行ったんじゃねぇよ? 男に負けたくなかった。それだけだ」
「そうなのか。赤鴉って、けっこう繊細な奴が多いのかと思いなおしはじめたのに。オオアギに心配はいらなかったか」
「そりゃそうよ。あっしは、まだ胸がでかくなかったころ、着る服がないから、胸出して歩いてたら服を着ろって、四つ辻で買い出し中の女に蹴られたんだよ。あっしは蹴り返そうと思ったけど、近くを通った王都の
「え、男になりたかったのか。てか、その喋り方は駕籠かきを真似してたのかよ」
「なんでも形から入らないと。ゴホンの密林に来て色々勉強になったよ。強さを試す修行場に最適だった。それに恩恵もあったんだ。金がなくて服が買えなくても、密林は受け入れてくれる。本来の姿で生きることができる」
王都の町民の貧困の差は激しいらしい。家や服を失った半鳥人は猛獣の跋扈する密林を訪れる。はじめからゴホンの密林の片隅に村を置くシルバルテ村とどちらが快適な暮らしと呼べるのか、アレガに判断はつかない。
チシー爺さんが咳払いする。アレガを見上げるその顔はウロではなく、ただの鳥のヨウムだ。もうウロはいないんだなと、アレガは深く心を打たれた。再びヨウムのくちばしから声が発せられる。
「さて、どこまで話したかね。エラ国では大事な文言は口頭伝承するけど。あたしの言葉なんざ、後世に残すようなものでもないんだけどね。もし、ラスク姉さんがあたしの姉だって知ったら、きっと笑うだろうねぇ。一番危惧してるのはこれを小童のアレガに聞かれることさ」
アレガは思わず腹を捩らせて笑ってしまう。
「だから、小童の分も伝えといてやる。一応ね。一度しか言わない。お前はニンゲンだよ」
「とっくに知ってる。もっと早く教えてくれよ」とアレガはオオアギにも苦笑を漏らす。だが、嫌味はなく自然と頬が緩む。
「ニンゲンってのは、危なっかしくて弱い。よく言えばかわいい生き物だね。アレガがこれを聞いちゃいないだろうね? どうしたら小童を密林で育て上げられるかね。チシー爺さん、つい本音が出ちまったよ。あんたみたいに聞き分けのいいヨウムが、あたしの旦那だったら良かったのにね。ああ、そうアレガのことだったね。うちの嗜虐医にかかったら、三日ももたないよと思ったが、随分長く生きてるよ。もう一年持つかね。あたしはラスクで手一杯だよ。でもオオアギに小童を任せっきりも悪いと思ってたまにあたしが面倒を見ると、生意気に暴れるもんだから……困っちまうよ。ニンゲンてのは、育ての親に依存でもするのかね。よほどアカゲラの母親が好きだったんだね。あたしは後悔しちゃいない。だからアレガに殺されるとしたら、それは報いだ。甘んじて受けるよ。まぁ、アレガがあたしを殺せるぐらいになるまで育てるのは、結局あたしなんだけどね」
アレガは複雑な表情を浮かべて、心の穴を認識する。母ペレカの笑顔は太陽だった。例え火祭りの夜が間違いを犯したのだとしても、母はペレカだけだ。そのはずだ。いや、育ててくれたのはウロも同じだ。ウロから愛情を受けた覚えはないが、受けなかったとは言い切れない。ウロは赤鴉すべてを内包していた。その片隅にアレガも一員として含まれていたことが嬉しく思えた。ウロに今頃分からされるなんて思わず、ウロの漆黒の瞳を思い浮かべる。
ウロはよく呆れていた。アレガそのものに対しての嫌悪感は確かになかった。アレガはそれを読み取れなかった。今までどうして気づかなかったのか。ほかの半鳥人はアレガを見るときは蔑みの視線すら持ち合わせていたが、ウロの視線はそれとは違ってアレガの行動を逐一確認し、誰よりも不安気に見つめていたのだ。
「そうそう、アレガ。お前さんがせめて十五歳ぐらいになったら教えてやろうと思うんだけどね。それまでに猛獣にやられるんじゃないよ? 十五歳になってもまだ教えてもらってなかったら、それはお前さんが未熟だったってことだ。いいかいこの前の巡回で、えーあれは、お前が九歳になったころの雨季の巡回のときだ。あたしはときどき一人で縄張りの外にも足を運ぶんだ。そのとき、墜落して何年も経っている飛行気球の残骸を、ゴホンの密林の北部で見つけたんだよ。戦後すぐ墜落したほどは古くない。けっこう新しかったからね。木っ端みじんだったが、アレガはああいう乗り物に乗ってやってきたんだろう。そうじゃなきゃ、ニンゲンがエラ国にいるわけがないよ。ほんと、アレガは恵まれてるよ。シルバルテ村でどう育てられたのか知らない。おそらく誰も出自なんか分からないだろうね。でも、ニンゲンはほかにも生きてる可能性がある。仲間がいるってのはいいもんだ。赤鴉が嫌になったり、もし本当にほかのニンゲンがいるのなら、そこに行っちまいな。あたしは、もういない方に賭けたいんだけどねぇ」
アレガは目頭が熱くなるのを感じて、家壁のない部屋から海の銀色の波を見つめて気持ちをはぐらかした。チシー爺さんのウロの丸写しとも言える伝承は、アレガの知るウロと乖離がある。寝首をかきにアレガが忍び寄ると、冷酷無慈悲な相貌しか見せないウロが、小童ではなく「アレガ」とヨウムに向かって話しかけることを想像すると滑稽だった。赤鴉が寝静まったときや、日中の偵察や食糧と木材の収集のときに、一人でマルデウス村に来ていたのか。
ふと気づけば、隣でオオアギがにやついている。
「なんだよ」
「ウロ様、あっしのことよりアレガを気にかけてるじゃん。つまんないよなー。もっと、お前の悪口とか不平不満でも聞けるのかと思ったけど、案の上これだ」
「オオアギはババアが俺を心配してることに気づいてたのか」
「けっ。これでもウロ様の右腕だ。気づかないわけないだろ」
「右はラスクだ」
「ごちゃごちゃ言うな。ウロ様に感謝しろよな。ああ、あと大事な相談があったんだ。チシー爺さん。もうアレガのことは済んだよな。ラスクが今大変なんだ!」
チシー爺さんは決められた文言しか伝えられないようで、オオアギを無視した。
「ラスクは昨日、カブトムシと遊んでたよ。食べ物で遊ぶなんてどうしちまったんだろうね。生で食べてもバリバリとした食感がたまらないのにねぇ。アレガが変なことを吹き込んだのか、冷や冷やするよ。あれはときどき、変なものに慈悲をかけるからね。虫は食い物だって村にいた頃から教わってるだろうに」
オオアギはチシー爺さんの頭をなでてやる。
「助言は難しいか。まあいい、行こう。ラスクがすぐに殺されるとは思わないけど。それでもニンゲンが何するか分からない。エラ王国旅団は敵だけど、共通の敵がニンゲンだと分かれば話を聞くはずだ」
オオアギが立ち上がると、チシー爺さんが「そうそう」と早口に言った。反応したのは、エラ王国旅団という語をオオアギが口にしたときだ。
「王都ステラバがあたしの故郷さ。頼るなら、あたしのクズ旦那はダメだよ。チシー爺さんをつれていきな」
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