6-3
移動しながら採取した昆虫食の昼餉を終えた。太陽が一番高く昇った時刻。
ウロから口伝えに物事を教わり、またその知識を広めようとしている爺さんがいるのは、ゴホンの密林より西に位置する海岸だ。水禽の半鳥人が多く暮らしている漁村マルデウス村がある。赤鴉との交流頻度は年に数回、誰かが魚を食べたくなったときだけだ。アレガは魚が好きだったが、半鳥人の中でも魚を好むのは水禽ばかりだったので、密林で暮らす上ではほかと浮いてしまう。魚が好きだとは誰にも言えない。
水辺の漁村が見えてきた。ツリーハウスを横に増築したような長屋がいくつも海へせりだしている。
釣り床(ハンモック)の道がその家と家とを繋いでいた。道を歩きながら、足元の海面の魚を採ることもできる。オオアギは到着するなり素手で魚を採っていた。爺さんがいるという長屋に着くまでに、釣り床の道はオオアギが握った魚の雫で濡れていく。
「着いたぞ。おーい! チシー爺さんー!」
長屋という長屋を訊ねて回ったが、半鳥人の中に爺さんはいなかった。いるのは、漁に出た夫の帰りを待つ女子供だけだ。それに、女たちはオオアギを人目見るなり、「赤鴉だ」と物珍しそうに笑った。敵意を持つ者はおらず、カモの半鳥人の老婆に至っては、絹や麻の敷物を持っていないかと物々交換を交渉してきた。オオアギは魚ならやると、この村で採った魚を渡そうとするので老婆は引き下がった。
「金貨一つでもやれば良かったんじゃないか? ウロのババアは怒るけど」
嫌味で言ったつもりが、オオアギはそれもそうかと納得してしまう。気前よく金貨五枚も施して、代わりにサバや小ぶりのアジをもらう。持ちきれないのでアレガも籠で魚を運ぶことになった。
「どうすんだよこれ。俺たち二人で食べきれないだろ」
「あっしらの分じゃない」
五軒目の無人の長屋の天井に赤い尾羽が見えた。あれはヨウムの尾だ。ヨウムといっても、半鳥人ではなく本物の鳥の方だ。灰色で見た目はオウムっぽい。地味な色合いだが、尾羽が赤いのが特徴だ。あと、声真似ができて賢い鳥だ。
「ここもいないな」
「見えないのか? いるだろ。爺さん降りて来てくんないかな? 魚がこんなにあるよ!」
オオアギの話している相手は天井で尾を突き出して、こちらを見向きもしないヨウムだった。オオアギの頼っているのが半鳥人ですらないことに、アレガは驚きを隠せない。
ひとまず、高床になっている板張りの床に座る。茣蓙は腐っているし、床板はところどころ腐食して、隙間から海が覗いている。
ヨウムは大儀そうに飛び立ち旋回する。
「あっしは魚を捌くから、アレガはチシー爺さんに腕を出してやれ」
言われるままアレガは腕を突き出す。止まり木としてアレガを見つけたヨウムは、遠慮なく降下した。
ヨウムの重さは四百グラムリ(四百グラム)ぐらいか。アレガには重いと感じないどころか、腕を伸ばすことだけに集中すればよいぐらいの軽さだ。
ヨウムは雄だ。頭も大きく、首もどっしり座っている。目の周りの白い部分が広いのは雄の特徴だ。
「これが爺さん? てっきり半鳥人かと」
オオアギは短刀で魚の内臓を抉り出している。内臓は海にそのまま投げ捨てる。ほかの小魚が食べるだろう。
「早く聞いてみな。ウロ様はマルデウス村に来る度に、この鳥に記録を取らせてたんだ。赤鴉の活動や、昔のできごとを」
「じゃあ、シルバルテ村を襲撃した理由も、ババアはこのヨウムに話してんのか?」
アレガは意識せずともきつい口調になる。
「……ああ。ウロ様は半鳥人を理由なく殺めたりしないって言っておく」
「ふざけんなよ。理由があったら許されるってのかよ!」
アレガはこのときばかりは拳を突き出そうとしたが、ウロがいないこの場で暴れても意味はないと思い留まる。
「シルバルテ村襲撃に、理由はあった。あっしは説明するのは下手だ。ウロ様も素直じゃないし。だから語り手として、一言一句聞き漏らさないヨウムを選んだんだと思う。なぁ、そうなんだろう爺さん? 爺さんはすごいんだ。もう三十歳なんだぞ?」
「ヨウムの寿命って、確か二十八ぐらいだったか?」
「そう。だから、シルバルテ村なんかのことより、もっと昔の話も知ってるかもな。たぶん、あっしが生まれる前の戦争のことも」
半鳥人の戦争は三十年前に終戦した。アレガには誰もその内容を話さない。だからきっとエラ国の戦争の相手国はニンゲンの国だったんだろう。
異性装の貴公子の振る舞いから見て、ニンゲンは半鳥人を蔑んでいる節があった。
ひとまずはシルバルテ村襲撃の真実を問わないといけない。
アレガは率直に腕の上のヨウムに尋ねる。
「ウロとシルバルテ村の関係は?」
ヨウムは目をしばたくが答えない。
「オオアギ! こいつだめじゃん!」
「口伝えなんだから、聞くつっても物語として聞くんだ。いいか、どんな物語を聞きたいか言うんだ」
オオアギは焼き上がった魚をヨウムの口元に運んでいく。
「チシー爺さん、美味いか? そうかー。え、一匹じゃ足りないって?」
ヨウムことチシー爺さんは身体を左右に揺すっている。今にも腕の上で楽し気に踊り出しそうだ。贅沢な爺さん鳥だが、あえてアレガは何も言わない。ここから長くなりそうだと覚悟する。オオアギから魚を受け取り、チシー爺さんに食わせてやる。
「食ったら、ウロが語ったことを全部アレガに教えてやってくれ」
ヨウムは目の焦点をアレガに合わせた。黒い瞳孔が見開かれる。ウロの声が、海岸の波の音に乗っていく。
「私の話をよく覚えておき、後の赤鴉に求める者があれば伝えるんだよ」
アレガは戦慄する。まさに、ウロの声そのものだった。ヨウムはウロの言葉の調子や抑揚まで丸暗記しているのだ。
「はっ。なんてしけた顔してるんだい! あたしはね、一言も間違わないようにこいつに仕込んだんだよ。ウロ様、そんなに怒鳴ったらだめっすよ。あっしも、魚焼いたらこいつに言葉を覚えさせられるのかな」
「こいつ、オオアギの言葉も覚えてるみたいだぞ」
アレガは頬が緩みそうになるのを必死で堪える。
「うわ、あっしの言葉はやめてくれ! チシー爺さん。シルバルテ村を襲う前に一回、この村に来たじゃん。あの日の会合を思い出してくれよ」
ヨウムはまた身体を揺すって魚を要求する。さっきの魚は食べ残してある。アレガはヨウムの食べ残しを食べる。
「カラスは数が減ってるんだ。うちもあたしとラスク、それからカーシーしかいないしねぇ」
アレガは魚を放り出し、オオアギと黙って話を聞く。
「カラスってのはどこに行っても嫌われ者だよ。それもこれも、先の戦争でニンゲンが変な化け物になったのが原因だからね。その化け物の容姿がカラスの半鳥人に酷似していたのさ。それでだ。まぁ、嫌われている理由なんかどうでもいい。だからって生贄に捧げるのはいただけないよ。うちの斥候班のスズメたちがカラスの半鳥人を見つけてきたんだけどね、せっかく赤鴉に勧誘しようと思ったのに、ツリーハウスしかないちんけな村の連中が、火祭りと言って捕まえたカラスを焚刑に処しているらしい。たまったもんじゃないね。同族狩りじゃないか。カラスの半鳥人を焼き殺した村に、あたしは復讐しようと思う。決は採るつもりだけど、みんな賛成するだろうね」
アレガが生唾を飲み込むと魚の生臭い血の味がする。やはり、戦争はニンゲンと行われた。だが、ニンゲンも排除されているが、カラスの半鳥人も差別されている? シルバルテ村とは一言も出ないが、ウロが同族を殺し、襲撃した村は一つしかない。
アレガは頭を抱えたくなったが、腕にはチシー爺さんが乗ったままだ。火祭りの夜の高揚した気分を思い出す。子供らの憧れの祭りが、カラスの半鳥人を火刑に処す儀式だなんて思いもよらなかった。母ペレカは知っていて、子守歌を歌っていたのか。ぞっとすると同時に、涙が込み上げてくる。育ててもらった期間は短いが、赤鴉に所属する前の数少ない幸せな時間に泥を塗られた。思い出すのは母の和らいだ笑顔や、怒るでもなく心配そうに諭す姿。いや、怒るときもなくはなかった。アレガが足でピラニアを吊ろうとしたときは、さすがに血相変えて怒鳴った。ほかの半鳥人は足を水面にちらつかせてピラニアをおびき寄せ、飛んできたところをもう片方の足で捕まえるという芸当が子供ながらにできた。
アレガにはできないことが多すぎた。母はいつもできないことを咎めなかった。そんな母が笑顔の裏で、同族が焼け死んでいてもかまわないと思っていただろうか。父イグに逆らえなかったから? 厳格なイグならカラスの半鳥人を厄介払いするかもしれない。だが、カラスはアレガから見れば立派な半鳥人だ。
チシー爺さんは間を置く。
「やれやれ。面倒な生き物を拾っちまったよ。びびってるくせにすぐに眠っちまうし、弱い生き物なのかね? やれやれ、朝になればちゃんと起きるんだろうね?」
アレガは緊張して居ずまいを正す。
「翼がないし、足も根菜みたいな形だから間違いなくニンゲンさね。あの同族狩りをするような村が異種族のニンゲンなんかを飼うとは驚きだ。ニンゲンは珍しいから生贄にでもするつもりだったのかもしれないねぇ」
アレガの背に悪寒が走り、マントがじとっと濡れる嫌な汗をかく。聖物に捧げものをする村は多く、リャマなどを生きたまま捧げるのは普通のことだ。だが、自分がリャマのように飼われていただけだったとしたら? アレガはそのことにはじめて思い至る。だから、飛べなくても問題はないし、他の子ができることもできないままでも構わなかった……?
「まあ、でも小童のくせに生意気にあたしを睨んでたね。アカゲラのマントまで作っているのが、気に入らないねぇ。あの母親はニンゲンを半鳥人に育てる覚悟があったのかどうか。今となっちゃ分からない。あたしも焼きが回ったようだよ。善悪の判断がつかなくなってるのかもねぇ。でも、悔しいじゃないか。カラスはもううちら赤鴉の三人しかいないかもしれないんだよ? ラスクだって、最後の一人だ」
ウロのすすり泣きまで再現してみせるチシー爺さん。ウロも孤独だったのかもしれない。チシー爺さんはウロの声真似で咳払いする。ここからまたさらに話は続くようだ。
「ニンゲンの小童は案の上、何も理解してないね。これは骨が折れるよ。立派な鳥になれるだろうかね。いや、あたしが子育てしてみたいだけなのかもしれないねぇ。ニンゲンはリャマの乳を飲むのかもしれない。なんにせよ、あたしらの食い物を食べられるのか心配だわ。それにあたしら赤鴉は自分で食物を採取できない仲間はいらないんだ。あたしも長として手加減できないからね。でも、自然だってそうだろう? あたしらは一番自然に近い場所に居も構えずに森で生活を営む。強くないと生き残れないんだ。うちの四つ子のスズメが三つ子になっちまったばかりなんだ。末っ子がジャガーにやられたのさ。あれだけ口酸っぱくして言っといたんだよ? あれの縄張りには入るなって。三つ子は今泣きじゃくってる。オオアギがなだめてやってるね。あたしより六つ下だが、頼もしいよ。さて、ラスクがまたアレガに食べ物を与えたとかでカーシーが怒鳴ってるね」
チシー爺さんは語り終えると口を開けて、ねだった。また魚かと思ったが、オオアギは葉の皿に乗せた水を与えた。
アレガは記憶を辿る。ラスクが傍にいたことはよく覚えている。アレガは木登りもできない、水面のウナギもピラニアも捕まえられなかった。最初の二年はずっとひもじい思いをしていた。ラスクはバナナやココナッツをくれた。虫を食べるとかわいそうだから食べないとかアレガは言っていないのに。アレガは自分の身体に合う食べ物は果物だとそれで分かった。だが、毎夜収集班がバナナの葉の皿に広げるのは虫や木の実だったので、黙って食べた。それでも取り分は一番少ない。母ペレカから教わってアレガが身につけた知識量は、長年ゴホンの密林で生き抜いてきた赤鴉の食物の知識や採取する技に及ばなかった。
オオアギとの記憶では、いつも特訓で怒られている。アレガは地上のものしか採取できなかった。果実は木の上でなるので木を登る必要があった。木登りの特訓だけでも一年かかった。嗜虐医カーシーの理不尽な暴力よりはましだったが、オオアギが来てもいいことはないと思っていた。オオアギに絶対の信頼を寄せるラスクを見ていると胸がうずく感じがした。
ウロの話を聞いていると、赤鴉って根っからの悪い奴なんかいなかったのかと錯覚する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます