5-7

 ファルスが指を動かしたので、アレガはそのまま槍を脳天に突き刺そうとした。だが、アレガの耳に筒状の棒が構えられるときのわずかな金属が衣類と擦れる音が聞こえた。振り向きざま、発射された見えないものを音を頼りに避ける。ラスクが慌てて、筒状の棒を扱った大男に向かって片足で跳び、短剣を突き付ける。だが、その男はこのニンゲンの一団で誰よりも大きく、その丸太のような腕から豪速で肘鉄を放った。


「がっ」


 ラスクは短剣を握った腕を押し切られただけでなく、そのまま顔を殴打され弾き飛ばされた。男に続き、新たなニンゲンの少隊が駆けてくる。アレガたちが発見した飛行気球の一団とも異なる。今や、赤鴉よりニンゲンの人数の方が十人以上多く数で勝っている。


「よくもラスクを!」


 アレガはファルスから大男へ標的を変える。槍を突き出したが、ニンゲンを狩って回っていたオオアギに止められる。


「アレガの馬鹿! 親玉をやらなくてどうする!」


 そうだ、ファルスも小ぶりの筒の棒を持っている。気づいたときには、後方から弾丸が飛んできた。音が耳を切った。アレガはかがんで地面に片手をつく。耳鳴りで周囲の音がぼんやりとろうする。耳の軟骨が動悸に合わせてじんじん痛む。耳から出血していたが、それだけで済んだ。


 オオアギが、アレガの前に躍り出て大男の銃にしがみつく。だが、あっさりと膂力りょりょくの差で筒状の棒から指を引き離されてしまう。赤鴉で二番目の高身長のオオアギでも、二メトラムの大男には力及ばずだが、オオアギは顎が砕けたままで、意地で大男の腕に歯を突き立てた。腕力だけで勝負するのが赤鴉ではない。ラスクが脇をすり抜けてファルスに向かう。


「待てラスク!」


 立ち向かってきたことにファルスは頬をほころばせている。嫌な予感がした。


 ファルスはドレスの胸の谷間から、白い粉を取り出し撒き散らした。


「うっ」


 ラスクはそれをもろに顔にかぶり、吸ってしまった。途端、ふらふらと酩酊したように倒れ込む。


「おい! てめーラスクに何をした!」


「気持ちよくなってもらったところよ。エラ国では誰も吸わないのかしら? コカとか。資源があるのに使わないって勿体ないわね」


 何かの魔法のようにラスクはふらふらとして、ファルスに抱き留められている。


「クソぉ! ラスク!」


「じゃあ、このお嬢さんはあたしが美味しく頂くわね? アロエと一緒に足を磨り潰して食すわ。後は、そうねぇ。全員の息の根を止めておきなさい」


 ファルスは奇怪な小人や、その他数人のニンゲンにラスクを預け、白い斑模様のドレスをなびかせて歩いた。


「待てよ!」


 アレガが追うより早く、とんでもない跳梁を見せる血に濡れた赤紫色の着物が、黒い羽根を撒く。剽疾軽悍(ひょうしつけいかん)。アレガはウロに遅れを取ったと思った。


「待ってくれウロ!」


 そのとき、四方で銃声が轟いた。ついに雷が落ちたかと思ったが、アレガはウロがラスクを追うのではなく自分の前に立ちはだかっていることに気づく。その黒翼が、血に濡れててらてらとニンゲンたちの松明に光を返す。アレガをぶつこともあった翼が、アレガを庇うように覆いとなっている。


 吐血するウロ。胸や肩、腹や足まで蜂の巣にされている。翼はげっそりと痩せたように羽根が抜け落ちる。


 アレガの脳裏に走馬灯が走る。あれは、白昼堂々の襲撃だったが、太陽の下に散った母のかげをたった今、闇夜に見た。


「……母さん」


 ウロに母を見た。瞬時に自分を深く恥じ入る。ウロが口角を天の川ミルクの道に向かって吊り上げる。雲状の星が帯となって美しい時間帯だ。アレガはウロの薄笑いに、母などここにいないと認める。同時に青ざめる。ウロが身を挺して守りたいのはラスクただ一人ではないのか。


「だ……誰が母さんだい? ……まあ、お前さんがそう思いたいならそうすればいいさね」


「勘違いすんな、俺はただ。お前なんかに守られる筋合いはないんだ」


 息苦しそうにウロは肩で息をする。


「時間が……ないんだ。よくお聞き。鳥はね、巣立つもんさ」


 ウロはニンゲンに振り向きざま、地の底から呻くような怒声をファルスに向かって飛ばした。


「あたしの娘……いいや。姉さんを勝手に攫うんじゃないよ!」


 聞き間違えではないだろうか。大男と組み合っているオオアギもぎょっと目を見開いている。ウロより十も若いラスクが姉であるわけがない。それに、ラスク自身がウロのことを母だと認識している。


 ウロはアレガを筒状の棒が放つ脅威の軌道から、外れるように突き飛ばした。アレガは今ここでよろけるわけにもいかず、後方へ飛んで態勢を整える。


 ニンゲンたちの一斉射撃はウロに集中していた。颯爽と先を行っていたファルスですら、振り向いた。ウロの断末魔は生命力に溢れ、何度となく放たれる雷鳴でも掻き消えることはなかった。無残な死だった。得意の太刀を握ることもなく、手に錠をされたまま。華々しく散るのは翼のみ。


「お頭様ああああああ!」


 オオアギの悲鳴に、赤鴉としての責務を思い出す。ウロ亡き今、次の幹部はラスクとオオアギだ。感傷に浸る暇はない。


 大男はオオアギに馬乗りになるなり、筒状の棒の底に当たる部分で顔面を殴打している。アレガは大男の背後から槍を突き刺した。大男の呻き声。肺腑を狙ったが、背は厚い筋肉に覆われ深く刺さった感触はない。事実、大男が振り返るとあっさり槍の穂は抜けてしまう。大男がアレガの槍を持つ手を、岩のような腕が手にした筒状の棒で殴りつけた。金属と金属に挟まれた指はアレガには想像以上の痛さで、弾けるように槍を取り落とした。


 オオアギがすぐに反撃に大男の跨る太ももに棍棒を殴りつけたことで、大男は腰を落とした。抜け出すオオアギ。アレガは取り落とした槍を拾いなおし、大男の顔面に突き刺した。


「うぐあ」


 短い呻き声だった。右目と鼻に二股の穂が突き刺さった。身体を鍛えていても、顔に筋肉はつき辛い。頭蓋ぐらいなら軽く貫ける。


 だが、筒状の棒が放つ雷は鳴り止まない。アレガは大男がこと切れるのも確認せず一旦退く。気づけば赤鴉で動いている者はわずかだ。生存者を確認し、「朱泥の洞窟へ撤退しろ!」と号令をかける。耳を貸したのは、『嗜虐医カーシー』『ことなかれ主義者(ハシビロコウ)』の二人だけだ。奇怪な小人につき従っていたエナガは、ニンゲンに理由なく殺されていた。足が切断され、全身にはあざがあった。殴られて弄ばれたのだろう。


「朱泥はやめどげ」


 駆けてきたオオアギは鼻血や口内で溢れる血を吐いたり飲んだりしてごぼごぼ鳴らして助言する。アレガは混乱してあの隠れ家はすでにニンゲンにばれているのを失念していた。


「全員でっだい!」オオアギの呂律が回っていない。


「全員撤退だ!」


 アレガはオオアギの言葉が分かるように通訳した。


 赤鴉始まって以来の大失態に追い打ちをかけるように、ファルスの笑い声が筒状の棒から吹き上がる残煙に混じる。


「親鳥の亡骸は放っておいていいのかしら?」


 オオアギは悔し気に振り向いたが、アレガはウロの最期をもう見届けた。もう一度目に収めると何かが崩れてしまう気がした。心の中で静かに唱える。「親鳥なんかじゃない。俺の母さんはアカゲラだ」と。だが、銃声にまくしたてられて潰走するうち、身体は激しはじめ頬に生暖かい涙が伝った。

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