5-4

 日没が迫る。アレガもウロに劣らず、体内時計でおおざっぱにではあるが、今がさるの刻であると分かる。ウロに毎夜奇襲をかけると、あと数刻もすればウロは寝床に入るなと日頃から見張っているからだ。


 ラスクが急いている。


「嫌な予感がします」


「そう言われると臭うような」


 樹幹を駆け抜け、向かう先でいさかいが起こっていることを感じ取った。ニンゲンのもたらした飛行気球と雷の棍棒は、猛獣を興奮状態に追いやった。何が起こってもおかしくない。


 「朱泥の岩窟」に、赤鴉の姿は一人も見当たらない。篝火は宴もたけなわとばかりに盛んに燃えているのだが。バナナの葉の皿から、食いかけのカブトムシの幼虫が逃げ出している。ほかにもウルシの実やココナッツがひっくり返り、トウモロコシの酒チチャの入った土瓶は打ち捨てられ、鳥たちの羽根が飛び散っていることから、みなが慌てていたことが分かる。


「声が聞こえないか?」


 闇夜に陥る陰険な樹幹の向こうで、誰かの怒り心頭に叱咤する声を聞いた。


「言われなくてもずっと聞こえてますよ。静かに!」


 密林の些細な草木の揺れる音も聞き逃さないラスクならば、話し声が仲間のものか聞き分けることができる。アレガはラスクが聞き取りやすいよう、息を止める。


「……誰か捕まっています」


 信じられないという顔でラスクは唇をわななかせた。誰かとは言わない。


「なら、急ごう」


 強欲ババアのお頭がついていながら誰かが捕まるなんて、赤鴉始まって以来の失態ではないのか? ウロなら絶対前代未聞だと言うはずだ。でも、アレガの内心はウロの失態に少しばかり胸が躍ってしまった。しかし、自分のように虐げられている気弱な「雪知らず」のエナガが捕まっていた場合は胸が痛む。


 雨上がり竹林地帯の土に煩雑に入り組んだ足跡を見つける。鳥のものとはっきり分かる足跡と、対峙するニンゲンのトウモロコシみたいな丸っこい靴跡。


 血生臭い臭気で空気が淀んでいる。


 殴打の音が間欠的に起こる。


 松明がニンゲンの不気味な陰影を木々に浮かび上がらせている。六人いる。


 奇怪な小人、大男、細身の強面、シルクハットの学者風、裸の無頼漢などが傍若無人に縄張りへ踏み込んでいる。彼らに虐げられ、地に足をつけていない赤鴉はいない。赤鴉を制圧してもなおニンゲンの昂奮は高ぶり、あろうことか攻め立て続けている。


 大男が縄で絡め取った「美食家」ジャッキを引きずり回し、絢爛な瑠璃色の羽根を引き抜いた。無口だった大男が野卑な表情を作って笑った。従順に従っているエナガは奇怪な小人に命じられるまま、仲間である赤鴉に石を投げつけるよう強要されている。普段からあまりいい扱いを受けていないエナガでも、仲間を傷つけることを拒んだ。「嗜虐医」に普段から女同士なのに卑猥なことをされかけたり、平手でぶたれていてもだ。ことさら、オオアギは自分に当てろと命令した。エナガは泣く泣く、オオアギの青灰色の翼に石を投げる。半鳥人の羽根を傷つけることは、エラ国の王都だと牢獄に入れられてもおかしくない案件だ。


 ほかは縄で拘束されているのに、ウロだけは後ろ手に鉄の手枷で拘束されている。


 ウロの着物の腰紐が解けて、ほとんど身ぐるみを剥がれる寸前だ。着物から逞しくも、妖艶な生足が伸びており、赤紫色の着物は血と泥を含んで地に塗り広がっている。


 憔悴した顔は青紫に腫れ上がっていた。細身の強面に腹を何度も棒で突かれ、ウロは血反吐を吐く。


 あの巨魁ウロが複数の闖入者に虐げられているという、目を見張る光景が繰り広げられていた。


 縄で捉えられたオオアギは、ウロの惨状にたまらず絶叫している。あまりにうるさいので、ニンゲンはオオアギの処刑を検討しているようだ。いや、先にもう現世を去った者がある。料理長イチイチとアレガと同じ斥候班の三つ子のスズメだ。それぞれ、足をもぎ取られ喉も裂かれている。この往生は、赤鴉が自由気ままに密林を跋扈し君臨する時代の終わりを告げるものかもしれない。


 エナガは三つ子のスズメの足を運び、ニンゲンらの荷車に乗せる手伝いもさせられていた。その顔は涙で濡れそぼっている。


 あの嗜虐医カーシーが膝をつき、なすすべなく涙と鼻水を垂れ流している。一方的に男の拳を頭や顔、胸や腹に打たれるのは、嗜虐趣味があるカーシーとしては許せないことだろう。


 その嗜虐医に殴る蹴るの暴行を働いているのは裸の無頼漢だ。嗜虐医に負けず劣らず長身だ。体格差や力で負けることはこれまで自然の摂理だとアレガは思っていた。嗜虐医が小さく見える。力では解決できない問題があるのかもしれない。だが、今すぐに手を打たなければ。アレガは嗜虐医のことも憎くてたまらないが、あんな死に方をされたら目覚めが悪い。


 ニンゲンを取り仕切っているのは誰だ。中心に女の姿を認める。ニンゲンの女か? とアレガは驚いて声を出しそうになる。いや、なんだあれは。計十人の男を率いているのは、鳥――?


 その奇妙な出で立ちにアレガは戦慄した。自分がしようと思ったことをこの女もしている。羽根を纏っている。だが、どれだけ羽根を纏っても、ニンゲンであることを隠しきれていない。いや、隠す気はさらさらないのかもしれないとアレガは堂々たる風体に畏怖の念が湧いてきた。


 華奢な体躯の二十代後半から三十代前半の女に見える。


 白隼の羽根で白黒斑のドレスを着、顔は同じ羽根で作ったベールで覆われていた。容姿端麗で高貴な雰囲気があるのだが、ベールからも透けて見えるあの傲慢な笑みは見ていると虫唾が走るような嫌悪感がある。


 白金の髪はほとんど白といってもいい。肌も同様に白いが腕などは血管が蒼く浮き立っている。


 顔は頬のすらっとした輪郭や顎に向かって尖る鋭角さを持ちながらも、骨ばった感じはなく美しい部類に入るだろう。緑の瞳は優しく垂れ、目尻には黄色と赤の化粧が施されている。


 薄い唇には口を大きく見えるように、上品さを失わない程度に濃いめのくれないの口紅が塗られている。

 肩幅は狭くなで肩。筋肉の一つも有していない。妖艶な美貌を傲岸不遜にも見せびらかしているようだった。残念なのは、小ぶりの胸。胸の小ささに違和感がある。白い足は申し分ないほどに細長いく屹立している。革の長靴ちょうかは厚底で重そうだ。


 あの「ことなかれ主義者」のシビコが中心にいるニンゲンの女を罵った。


「三つ子のスズメを苦しませて死なせることはなかったじゃない!」


 ニンゲンの女は、喉をくつくつ鳴らして「嗜虐医」よりも変質的なことを告げる。


「あたし、血が好きなのよ。だって、そうでしょう? ニンゲンの血以外ならいくら流しても損はしないじゃない? だいたいね、ハルピュイアさん? あなたたちは自然から搾取するだけじゃなくって? 自然のものをそのまま頂いて食して終わり。そうじゃないでしょ。ニンゲンはね、そこから創造することができるの」


 その声は内容とは相まって、絹のように滑らかな音を宿していた。声だけ聴いていると心安らかになるような声音なのだが、それが反って不気味だ。


 満足気にことなかれ主義者を見やる女。いや、あれは本当に女だろうか。


 ニンゲンのしっとりとした笑みが突然、嗜虐的に歪む。両手を広げて、野山で跳ねるように無邪気な高い声で笑った。声が喉で閉じるとき、わずかに低い声で咳込んだ。


 やはりこの女は男だとアレガは確信する。しかし、どこからどう見ても立ち振る舞いは完璧に女だった。

 両足を交差させるような内股の歩み一つとっても、異文化の高貴さが漂っている。 艶めかしい指の動きでウロを指差し、腰を揺らすことなく歩んでいく。頭から足まで直線になるような歩みは、そういう一種の型があるのかと思わせる。


 命名するなら異性装の貴公子といったところか。


 どういうわけがあって女として振る舞っているのか、アレガには皆目見当もつかない。先天的なものかもしれないが。


「あたしにもやらせてちょうだい。棒打ち? 嫌よ。鞭打ちになさい。楽しそうなのよね。だって、とても古い慣習でしょう? 半鳥人って野蛮なのね? あたしたち文明を築いたニンゲンが、こう簡単に滅ぶことの方が不条理じゃないかしら? 世界の摂理って不思議ね。望んだものを手に入れることは摂理に反するのかしら? 弱肉強食みたいなものよね」


 弱肉強食の何を知っているのかと、アレガは憤って前のめりになる。ラスクが制した。


「今出るのは、自殺行為です」


「お前の親がやられてんだぞ!」


 アレガはこのとき初めてラスクにも嫌悪感を抱いた。育ての親が拷問されていて、平気なのかと問いたい。


「あの、オオアギ姉さんでさえあの状態ですよ。頃合いを見計らいましょう」


 ラスクは声を押し殺すときに口を切ったのか、唇から血を滲ませる。


 ウロの拷問に暴言でもって異を唱えるオオアギにも、とうとうニンゲンの魔の手が伸びた。シルクハットの学者風は、オオアギの羽根を興味深げにむしった。青灰色の羽根が汚い灰色だと鑑定した。繊細な色の区別がつかないのかと、アレガはニンゲンの審美眼のなさに絶望した。


 オオアギは後ろ手に縄で縛られたまま足蹴にされている。


「吐け。誰なのか!」


 ニンゲンどもは口々に吐け吐けと罵った。


「あっしが知るか!」


「貴様のような下等で汚穢おわいな思考しかできない生物に解答は得られないと思っているがね」


 そう言って、シルクハットの学者風が冷笑する。アレガは違和感を感じた。ニンゲンはカラスのみならず半鳥人を蔑んでいる。


 異性装の貴公子が口元を手で押さえて微笑む。


「思考も何も、虫を食べることしか考えてないんじゃないかしら? まさかと思ったわねぇ。蛮族だわ。あなたたち鳥はね。かつてのニンゲンの国では食べ物なのよ? そろそろ誰かが嘘でもいいから自白しないと、全員焼き殺して食すわ。嘘をつく知恵もないのかしら?」


 赤鴉一団が気色ばんだことに、異性装の貴公子は声をあげて笑う。


「もしかして火が怖いのかしら? あなたたち、土葬にする習慣があるらしいわね。焼かれたくないからでしょ? 鶏肉って美味しいのよ。早く食べちゃいたいわ」


 アレガは石でも投げたくなって、下草の中で息を整えるのが精いっぱいだった。侮辱が過ぎる。半鳥人は火そのものは恐れない。密林の獣と同じように。火に獣を遠ざける効力などないのだから。


 ウロは血反吐を吐きながら異性装の貴公子に語りかける。


「自惚れるんじゃないよ。ニンゲン風情が。お前さんたちのほとんどがなぜ滅びたのか知らないわけじゃあるまい?」


 拷問など一切受けていないような、今日の天気の話をするような口ぶりだ。


「あら。あたしが何も知らないとでも?」


「そうさね。お前さんみたいな洟垂はなたれ小僧は、まだ生まれてないんじゃないかい?」


 異性装の貴公子が眉を怒らす。


「父が戦時の話をしてくれたわ。言ってくれるけど、ニンゲンはハルピュイアなんかより断然、進んだ科学技術を有しているのよ。兵器も国土もあった。それなのに、空を飛ぶあなたたちみたいなのがいるから、ニンゲンは脅威を感じたのよ。はっきりさせましょ? あたしが知りたいのは、この中の誰なのかってことよ? あなたたち汚らわしい鳥の中に不死鳥がいるんでしょ! さっさと教えた方が身のためよ」


 アレガは面食らった。不死鳥とは、太陽神ンティラに選ばれし半鳥人を率いたかつての王たちのことだ。そして、半鳥人の起源は不死鳥にある。大昔の半鳥人(ハルピュイア)は、背中から足首まで届くほどの巨翼を有していたらしい。今は退化し、跳梁したり滑空するのがやっとだというのに。


 そして、不死鳥はその名の通り不死の能力を有していたとか。ポエニクスこと不死鳥は土葬せずとも、死期を悟ると自ら炎に飛び込み、その火種から雛として孵ったという。しかし、不死鳥はもういないと赤鴉にも聞いたし、シルバルテ村にいた頃にも母から星になったと聞いた。


「戦争も知らない小僧が」


 異性装の男は上品に微笑をもらす。


「戦争は望んでいないもの。いきなりにはじまって、唐突に終戦する。そういうものでしょ? 望むのは圧倒的な力による征服なんだから。反撃する暇は与えないの。ねぇ、いい加減誰か不死鳥の存在を教えないのかしら? ならいいわ。手始めに、誰かの足を切り落としましょう。出血死したら、不死鳥じゃなかったってこと。最初からみなごろしにするつもりだったんだから。のこぎりを飛行船から取ってきてちょうだい? あら、あるの。気が利くわね」


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