5-3

 アレガとラスクにかかれば、飛行気球の起こした風により傷んだ樹頭の枝葉の向きで、どちらに向かって飛び去ったのかを知るのは容易いことだ。


 飛行気球はその巨体を休めることができる木々の開けた場所で滞空していた。よく見れば、魚のような形状にも見え、後方には尾がある。そこに、何やら紋章が刻まれている。白隼が盾を抱いている意匠。エラ国の国章ではないのは確かだ。


 飛行気球の中から縄のついた大型弩砲いしゆみほうが幾本も射出された。


 弩が大雑把に大地を捉えると、その後から船の錨が投げ落とされた。大地をこそげ取るような大きな音がして地面が揺れた。密林のサルや本物の鳥たちが散り散りになって逃げていく。


 アレガとラスクも驚いて撤退しかけるところだった。


 精神的な踏みとどまりを見せたのは、雨がようやくやんで闖入者の容貌がはっきりと見えたからだ。


 縄梯子なわばしごが降ろされ、翼のない生き物が慎重に下ってくる。


 間違いなくアレガと同種の生き物だった。アレガはよく見ようと下生えを押しのけて身を乗り出す。「不用心です!」とラスクにマントをつかまれたが、かまいやしない。


 降りて来た男には翼がないため、服には翼を出すための穴はない。森に溶け込むような泥色のチュニックに、膝から下はすっぽりズボンで覆われ長靴ちょうかを履いている。鳥の足ではない。これが、ニンゲンなのかとアレガは固唾を飲んで見守る。


 目には何やら黒い風よけのための覆いを装着している。猿に擬態しているようにも思えるが、ウロが行商人から得たメガネというものかもしれないと察しがついた。眩しいときや、目が悪くなると装着する道具だ。


 半鳥人の視力は四十メトラル先まで見通せる。半鳥人でないアレガでさえ、豊かで過酷な密林で育ったおかげで二十メトラル先までものをはっきりと見ることができるのでメガネなんて必要ない。ウロはメガネを縄張り内の屋内の装飾品にしているぐらいだ。


 一人が飛行気球から無事に大地に降りると、周囲を警戒しつつも上に合図を出す。連れ立って二人ものニンゲンが降りて来た。動きは大振りで、興奮しているとも緊張しているともとれる。ニンゲンらは棒を地面に突き刺した。折り畳み式のそれを空へ高く伸ばし、上空に留まる飛行気球を係留する。


 その慌ただしい作業の間、ラスクは一言も発せず息を潜めるので、ニンゲンとは危険な生き物なのではないかと推察される。


 ニンゲンは髭を蓄えている太っちょや、髪がぼさぼさで気難しく唇を歪める男、一人で苛々していて一言一言が常に怒っているような男がいる。見ていると気分が悪くなる不快感がある。


 次に、彼らは縄と滑車を使って荷下ろしを始めた。この時点でニンゲンとやらは背中や、脇の下が濡れるぐらいには汗をかいていた。そこまで暑いだろうか、自分で、もそこまではならないと、暑さ慣れしているアレガは不思議に思う。


 さらに男が一人加わり、アレガとラスクの潜む岩と下生えに向かって何やら長い棒を構えた。得体の知れない棒を持つ男は長身でアレガよりもがたいが良い。アレガは猛獣と対峙するように気配を殺した。ちょうど耳に草を蹴り分け足を忍ばせる猛獣の足音を聞く。アレガのいる場所とニンゲンのいる場所を結ぶ対角線上、ニンゲンの後ろにだ。あれはジャガーだ。


 ジャガーの狙いはこの闖入者のようだった。どういうわけかニンゲンはジャガーの気配に気づくことなく、アレガとラスクの頭上の小枝辺りに棒をかざした。


 違う、そこじゃないとアレガは声を掛けそうになるのを堪えた。自分と同じ生き物が、こんな鈍感なわけがないと信じたかった。ラスクも手出し無用だと思っているに違いない。弱肉強食が摂理のゴホンの密林で、ニンゲンは脅威への警戒の仕方を知らない。


 ジャガーの僅かな足音が、小石を蹴散らし駆ける。苛々している男が忍び寄る影に気づいたときには、猛獣は彼の背中に張りついていた。


 男は首を一噛みされ、びちびちと皮膚や血肉が引きちぎられた。凄惨な悲鳴に反応して、アレガの目と鼻の先にいたがたいの良い男が加勢に行く。その手から突然、雷のような轟音が放たれた。


 錨が落とされたときと比べ物にならない狂乱が起こった。さっきの大きな音で逃げた鳥類が戻って来ていたというのに、密林中の野鳥がすべて飛び立って行った。四方八方から巻き上がる鳴き声は悲鳴のようで、方向感覚を麻痺させるようにうねり続ける。


 アレガとラスクが初めて聞いた銃声を、かろうじて身じろぎせずに持ちこたえられたのは、雷の中でも活動する赤鴉の一員だったからにほかならない。


 密林で雷は日常茶飯事。だが、今のは明らかに一個人が放った雷鳴だった。父イグが生きていたらなんと呼ぶだろうか。雷神イリとしてあの棒を「聖物ワカ」にしてしまうだろう。あの棒の為に生きたラマの心臓を捧げるだろう。雷神は棍棒を持つとされている。なら、あの棒は殴るためのものなのか? 棍棒にしては細い筒状だ。興奮状態のアレガは自身を落ち着けるため、棒を睨みつける。


 苛々している男は首をやられたので、そのまま倒れた。助かる見込みはない。流石のジャガーも雷神の棒に驚いて草木へと引き返した。ニンゲンは倒れた仲間などおかまいなしに、執拗にジャガーの尾に向けて雷鳴を打ち鳴らした。しかし、ジャガーの跳梁に翻弄されて雷は空気を震撼させただけだった。


 アレガは面食らってしまった。仲間の死には驚愕はしたものの、がたいの良い男はジャガーを仕留め損なったことに立腹していた。


 太っちょは亡くなった男を一人で弔うために穴を掘るかと思いきや、その死体を邪魔だとばかりにアレガたちの潜む草むらへ投げ込んできた。そそくさと立ち去りたい様子だった。ぼさぼさ髪の気難し気な男に至っては、一人で何やら瓶に入った酒のようなものを煽っている。


 アレガは自分と同じ種族の彼らが、私利私欲で動く希薄な関係で結ばれていることに落胆した。


「お母様に知らせに行きましょう。この轟音は聞こえているでしょうけども」


 男らは飛行気球から荷下ろしを再開した。


「もうちょっと見たいんだけど」


 ラスクはきっと唇を結んだ。


「なんでそんな顔すんだよ。ウロみたいだから、やめろよ」


「お母様と似てるってことですか?」


「いや、怖い顔より笑ってる顔の方がいいから」


 ラスクはめったなことでは笑わないが、たおやかな微笑ぐらいが一番ちょうどいい。こんなときに変な言い訳をしたと自分でも思った。


 ラスクは踵を返し、アレガは余計なことを言ったと後悔する。


 正直に、自分と同じ種族の挙動をつぶさに観察したいと言えばよかった。後退しながらアレガは自分とそっくりな足を持つ彼らの長靴ちょうかが腐葉土にまみれるのを、こっそり顧みた。

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