5-2

 雨宿りができるのならなんでもいいのか。でも、オオアギにやってもらっているのは見たことがないなとアレガは思い当たる。


 まだ雨はやまない。ならラスクともう少し一緒にいられるなとアレガは思って、胸が高鳴るのを感じた。ラスクと寄せ合った肩から心臓の音が伝わりはしないかと不安になる。


「アレガは赤鴉、いつかやめるんですか?」


「急にどうしてそんなこと聞くんだよ」


「そんなことって、大事なことじゃないですか?」


 ウロを殺すまではいるに決まってるだろと言いたいところだったが、喉から出かかった言葉を飲み込む。


 ウロの切りそろえられた前髪を引っつかんで泥水に顔を突っ込ませたいとか、長い濡羽色ぬればいろの髪を引き抜いてやるとか、胸に二股槍を突き刺し心臓を止めることを想像した。手の爪を剥がそうかとか、足の鉤爪は岩で叩き潰すとか。ウロにはありとあらゆる刑を施してやりたい。それで、ウロが死んだ日には大手を振って赤鴉を去る。

 そこで、アレガはいいや違うと歯噛みする。


 密林の外なんて行けるわけがない。生まれも育ちも原生林の中だ。木の上じゃなくて、地上に居を構えるなんて暮らしをしている半鳥人はゴリラが怖くないのだろうか。あいつらの剛腕を知らないのか。寝床でぐっすりなどとてもできないと思う。ジャガーも地上なら易々と侵入してくるはずだ。


 ウロを殺した後も密林に残ろう。猛獣蔓延る原生林で、一番強くなるのだ。好きなときに好きな場所で眠り、好きなものを食う。アレガの中に炎が灯る。自由に生きるために密林で一番強くなるのだ。


 ラスクはなだらかな眉を一層なだらかにして、悲し気に呟いた。


「いつでもやめることができるんじゃないかと思ったんです。アレガは私が幼いころから手間のかかる男の雛でした。私はずっとアレガに振り回されていたいんです」


「俺は手間がかかるのかよ」


「まじめに言ってるんですよ。私、お母様がいる間は赤鴉としてやっていけます。自分の力で生きてるのに間違いはないと思うんですけど。私も自分の力だけで赤鴉を率いてみたいですね」


 ラスクがお頭ならアレガは文句の一つもない。


「でもときどき思うんです。アレガがお母様を倒して頭領になったら。一人前のアレガを恨むことなんてできないと思うんです」


「俺がやろうとしてるのは暗殺だぞ。お前とは敵になる」


 声に出してみて確信する。ラスクをこのまま好いていていいわけがない。


「私はいいと思うんです。私が率いるよりアレガが頭領になる未来の方が、なんというか。胸がときめくんです」


 ラスクが涙声になる。アレガは困り果てる。


「すみません。まぁ、お母様はこれからも長生きしますからね。冗談です。それにお母様は赤鴉っていう複雑な集まりが好きなんですよ。だからアレガにも優しいんです」


「ん? お前にだけ優しいの間違いだろ?」


 ラスクの肩が跳ねて、アレガのマントから飛び出る。わざと雨に濡れている。


「いいえ、お母様は赤鴉を本当に愛してます。あなたを倅って呼んでましたよね。私、あれを聞いてちょっと泣きそうになったんです」


「何でお前が泣くんだよ。俺、あいつに優しくされる筋合いはないんだから」


 ラスクは薄桃色の唇を震わせる。


「お母様はアレガにも居場所を与えたかったんだと思います。お母様も、私も居場所がなかったので。赤鴉もそう。みんな密林の外にいられなかったから、ゴホンの密林に来たんです」


 アレガはラスクの潤んだ紫の瞳を見つめる勇気をなくして俯く。


 ウロの事情なんか知ったことではない。家族愛だなんてごめんだと思った。ウロが母ペレカを殺した事実は変わらない。背中にかかった母の血の温もりを鮮明に思い出すことだってできる。


 くそ。ラスクは俺にどうして欲しい――。


 雨雲で覆われた空が一層暗くなって夜のようになった。


「雲じゃないですよ、あれ」


 ラスクの声にアレガは空を見上げる。目を疑った。雨雲は青黒い何かを内包していた。雲に身を隠した楕円形のそれは、巨大な空飛ぶ青黒い芋虫に見えた。瑠璃と黒の二色の斜め縞柄のそれは、伸縮こそしないがのっぺりと迫って来る。密林に蔓延る三十メトラムもある木々が芋虫の起こす風に煽られ、てっぺんの葉先を折られた。


 二人とも呆然自失で屹立する。


「なんですかあの巨大芋虫は」


「ラスクが分からないもの、俺に分かるわけがないだろ。い、いや、待て、あの芋虫。腹のところに何かついてるぞ」


 空飛ぶ芋虫には、ハチドリのような音をさせる何か丸いものが腹の下についている。よく見ると小さなそれは回転している。アレガは自然に培った動体視力でもって、それが花弁のような形状の羽根であることを目視した。昔、行商人から見せてもらった子供をあやす風車に似ている。


 アレガは興奮と恐怖で、あそこが縮み上がるのを感じた。見たことがある。同じものを木彫りで持っている。


「……飛行気球だ」


 あっという間に頭上の巨木に迫るそれに、アレガは押し潰されると思って屈み込んだ。ラスクもつられて、地面に伏せる。


 推進力としての回転翼(プロペラ)はアレガの頭上でハチドリの羽音をさらに大きくしたような音を唸らしながら、密林を裂くように突っ切った。


 アレガは冷や汗をかき、ラスクに至っては足腰立たない。あのラスクがだ。アレガは硬直した足をなんとか動かしてラスクに肩を貸した。そのときぐらついたので、アレガの足も多少震えていたようだ。飛行気球が姿をくらましても、耳に独特な飛行音は残り続けた。


 鳥以外に空を飛ぶなんて馬鹿なことがあっていいはずがないと、半鳥人なら誰でも思うことを、アレガは思った。長年、飛び続けたいと願う夢をあっさり奪われた憤りも感じていた。


 灰色の空だけぽっこりと残された。ぬかるんだ獣道をアレガは突っ走る。


「来いラスク。これ以上変な闖入者はごめんだ。偵察する」


「あれを追うなんて無茶をしますね。私も行きますよ」


 ラスクも木の上を飛び渡り、生き物に見える飛行気球を駆った。

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