第五章

5-1

 ウロの腹時計によれば、ひつじの刻。移動した赤鴉は縄張り内の「朱泥の岩窟」にて、トウモロコシの口噛み酒(チチャ)で酔いに任せていた。エラ国では十八歳で成人とされるので、アレガも飲む機会を伺う。


 三つ子のスズメや嗜虐医がアレガの一挙手一投足そのすべてを見張っているので、一口盗み飲むことができたらいい方だ。


 赤茶色の洞窟内から篝火かがりびの爆ぜる音に、外のヤシの木に群がるタマリンが首を傾げている。四十頭ほどの群れがヤシの木を占拠していたが、赤鴉の会合が長引けばそのヤシの木も赤鴉がココナッツ欲しさに奪ってしまうかもしれない。いや、ただ単に気まぐれでサルたちを追い出すかも。今、赤鴉たちは非常に苛立っている。


「縄張りっつっても常に誰かが立って見張ってるわけじゃないからなぁ」


 オオアギがぼやく。


「神官が入ってくるのが、意味分からないねぇ」と嗜虐医は夕餉のカブトムシの羽根をむしり取る。それから足指で羽根のもがれたカブトムシを小突き回してから口に運んで、ばりむぎゅっと食した。嗜虐医だけ自分で採ってきた成虫のカブトムシを食べていたが、ほかはバナナの葉の皿にピンクのマユミの実やカブトムシの幼虫の山盛りが今夜の馳走だ。収集班の「ことなかれ主義者シビコ」が黙々と集めてきたのだ。アレガとラスクは連れ立ってライチを採取したが、アレガのライチは理由なく没収されて、今はオオアギの腹の中だ。


 同じ収集班のクジャクのジャッキは、カブトムシの幼虫は糞の食感による土のシャリシャリ感が不快だと文句をつけている。ジャッキは「美食家」で、腐葉土のようなエグみのあるカブトムシは収集して来ない。


 嗜虐医カーシーがバナナの皿ごと全部持って行ってしまう。大方カブトムシの幼虫は嗜虐医の腹に収まることになるだろう。アレガは洞窟の入り口に近い石に腰掛け、一番奥まった場所にいるラスクを見やる。ウロの隣に敷物を敷いて、ウルシの実を食している。アレガはラスクがライチを採取したのは自分のためだったのかと納得する。全然回って来ないが。


 アレガは前に置かれたウルシの実にため息をつく。半鳥人の食事には昔から馴染みがあるが、どうにもウルシは唇も尻も痒くなるのでたくさん食べられない。この会合が終わり次第、自分でどんぐりを採りに行くことに決めた。母ペレカがキツツキはみんなどんぐりが好きなのと、どんぐりの一種のスダジイを与えてくれた。幼少期のアレガは昆虫食も身体を大きくするのよと言われて育ったが、半鳥人が普通に食べられるものを食べて、何度か腹を下した。今ではカブトムシの幼虫だろうが成虫だろうが、土みたいにまずいものでも食べられる。それどもウルシはかぶれるから無理だ。


 ウロが手巻きたばこを吹かすので、赤茶けた洞窟内は煙で充満する。


「同族狩り神官に、エラ王国旅団と厄介な連中さね。どうしたものか」


「アレガよなー。お前がちゃんとすれば、今回の厄介事は全部防げたよな?」


 オオアギが両手にトカゲを持って、アレガに見せびらかした。


「いいだろー。お頭様からの褒美だ。アレガの子守代ってのが、ちょっと気に食わないんだけど」


「子守が嫌なら、ババアを扇いでやれよ」


「忠告しに来てやったんだ。神官と王国旅団が別で動いてるってのも変なんだ。おまけに、そのどっちも取り逃がしてる。お前が鞭打ちを途中でやめたからな」


 アレガはオオアギを睨みつける。


「お前はできたのかよ」


「あっしはできらぁ。ガキだろうが、容赦なく打ちすえてやるさ。お頭様の命令ならな」


「ウロは命じてなかっただろ」


「ほーん。そうか? あっしは、殺せって目で合図してるのかと思ってたぜ、まったく」


 オオアギはげらげらと、自分の言葉に一人で受けている。


「いやー、あっしがアレガの立場だったとしても、あっしはお前に振るよ。だって、汚れ仕事はアレガにって決まってんもんな。そもそもな。アレガじゃなかったらお頭様は命令しなかったんじゃないか? くっははは」


 アレガは半ば俯いた。


「お頭様の話はよく聞いときな」


「言いたいのは、それだけかよ」


「そう、それだけ。それがすべてなんだよ。あっしら、自分で善悪の判断なんかできやしないんだ。だって、生きて美味い飯を食えたらそれでいいんだからな? それを、お前は羽がないだの足が違うだの、うじうじしやがって」


 仲間がいるからそんなことが言えるんだと、アレガはオオアギを殺すつもりで睨みつける。


 オオアギが去る。嗜虐医カーシーが黒い足を突き出し、オオアギを転ばせた。カーシーはカラスとはいえ、ウロに見劣りするおばさんだ。躓いたオオアギの手からトカゲをかっさらって、足で弄んだ。


「ああ! あっしのトカゲに何してくれてんだよ!」


「たまには、お頭様だけでなく私も扇いでおくれよ。ウロ様と同じカラスなんだからさ。それが嫌ならアレガを虐めるのは私に任せて、さっさと腰巾着になってきなよ」


「はぁ? アレガは関係ないだろ。あっしはトカゲの話をしてんだ」


 ウロの声が飛んでくる。


「食い物で遊ぶんじゃないよ」


「悪いことをしたねぇウロ様」嗜虐医が大口を開けて笑う。


 嗜虐医はウロを敬ってトガゲをいじめるのをやめ、丸飲みにしてしまった。


「ああ!」


 オオアギが目元に皺を作って嘆く。


 ことなかれ主義者が口を挟んだ。


「ウロ様。提案なのですが、こういうのはどう? 神官の動向はまったくの不明だけど、王国旅団なら誰か宛てがあるんじゃないかしら?」


 知的な眉毛がいたずらっぽく歪んでいる。


「シビコ。言っていいことと悪いことがあるよ。いくらあんたが年上でも、あたしにだってエラ国のお偉い連中には通す筋ってもんがあるんだ。あたしゃ、どこの掟にも縛られない自由な鳥なんだ」


 ウロが少々言葉を荒げるので、ほうれい線が深く浮かび上がり、頬も痙攣していた。続けて何かに思い当たったのかウロの眉間に筋が浮かぶ。


「もしかして、シビコや。マルデウス村に寄ったのかい?」


「はい? いいえ。暇なときもたいてい採集や収集に当たってるわよ。私があまり遠くに出かけるような性分じゃないこと、ウロ様だって知ってるでしょ」


 言うなりことなかれ主義者はうつらうつらと眠りこけた。


 マルデウス村は漁村だ。赤鴉の縄張りの中に入っていないから、行くときは物々交換をするときぐらいだ。赤鴉と敵対していない珍しい村とも言える。


「行ってないならいいんだよ」


 ウロは心なしか頬を緩めた。


 嗜虐医が寝息を立てることなかれ主義者に、カブトムシの幼虫を投げつける。すぐさまことなけれ主義者が幼虫を受け止める。ウロみたいに、寝ていても目が開いているかのような反応だ。ことなかれ主義者は幼虫を口に運び。ぽつりと一言漏らした。


「ウロ様は隠しごとが多い」


 ことなかれ主義者を一瞥したウロは、ため息交じりに手巻きたばこの煙を大きく吐き出す。


「変な手がかりを与えちまったよ」


 ウロとことなかれ主義者の不思議なやり取りを理解できた者はいなかっただろう。オオアギが開口一番もっと酒(チチャ)もって来いよアレガ」と言ったのが不思議な静寂を破った。だが、オオアギだけがにんまり笑っていたのをアレガは見逃さなかった。


 オオアギも何か知っているのか。だが、何を隠して何を知っているというのか、まるで見当がつかない。


 神官とエラ王国旅団をどうするかという話し合いから大きく逸れていくばかりなので、アレガは全員にチチャを振舞って回ってから洞窟の外に出かけた。別にずっと洞窟にいろとは言われていない。


 木の下を駆けるアレガに対し、木の上を庭のごとく跳梁ちょうりょうして後ろから着いてくる者があった。


「ラスク、なんでついてきたんだ?」


 アレガはどことなく嬉しくなったので、声が上ずらないように注意して尋ねた。相手は木の上で、黒い鳥影は目で追えない。


「どんぐりを食べに行こうかと」


「げっ。お前もかよ」


「先に採った方が勝ちですから。ここらは、タマリンのほかにゴリラもいますからね。残っているかも怪しいです」

「競争か。受けて立つって言ってもらいたいのかよ?」


「少しは燃えて下さい」


 ラスクの鳥影がアレガの前方を駆けた。まさかの、地上を降りて来たようだ、それでも、アレガと同等には速かったのだが、すぐにラスクの敏捷さは失速する。


「はぁ、はぁ。こ、こんなところを走るなんて、化け物ですねアレガは」


「嫌味かよ」


 アレガはぐっと追い抜く。それだけでなく、肺腑が潰れるほどに走り込んで距離を離す。


「ア、アレガ、待って……」


 ラスクが息も絶え絶えになっていたが、ざまぁみろとは思わない。ラスクには空を飛んでいてもらいたい。辛そうな息遣いを聞いたアレガはどうすればいいのか分からなくなる。


「休めばいいだろ」


 もっと優しく言うつもりだった。


「そ、それもそうですね。でもアレガは?」


「こんなの遊びだ」


 余計なことを言った。ラスクは意地になって走り続ける。


 無言の時間、疾走する二人の草木を裂く音とラスクの息苦しい呼吸が聞こえた。


 どんぐりの木までくると、アレガとラスクは座るのに適した大きさの岩頭で小休止する。もぎ取ったどんぐりを早速食べる。


「ウルシは嫌いですか?」


 ラスクの心遣いに頷く。


「でも、食べろって言われたわけじゃないから。こうやって二人で食べにくるのも楽しいな」


「そうですね。私もカブトムシは土臭くて苦手なので、昼餉にはあまり……」


 原生林を雨雲が覆い、にわか雨が降り出した。密林では日常茶飯事のことだが、それでも濡れるのは嫌なものだ。アレガと半鳥人が共有している数少ない本能みたいなものだ。


 アレガはマントを広げて、隣のラスクを抱き寄せるようにして被せてやった。半鳥人の翼は撥水するので余計なお世話だと蹴られる心配をしたが、ラスクは黙ってされるがまま大人しくしている。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る