4-6

 ラスクが無言でアレガの傍に歩み寄った。アレガはその味気ない顔を見てたじろぐ。ラスクに手を汚してもらいたくないという淡い感情が芽生えた。だが、ラスクはアレガを一瞥すると、容赦なく青年を鳥の足で蹴り飛ばした。


「エラ国の兵ならさっさと帰って下さい。国王に報告でもしたらどうですか? ここの集落に手を出したのは赤鴉ではありません。それから、エラ国の神官も妙な動きをしていますよ。自分の国を大切に思うなら、注視しておくことですね」


「うぐっくぅ。……わ、分かりました……」


「ラスク。余計な情報を与えるんじゃないよ」


「お母様。赤鴉の無実を証明しなければ」


「こいつが信じるかい? 言ってごらん? 集落を壊滅させたのは誰だい?」


 若い兵は使いものにならなくなった黄緑色の翼を、襤褸ぼろのようにまとって身を守ろうとする。


「……それは分かりません」


「また鞭打たれたいかい?」


「ひいぃ! 赤鴉の仕業ではないと報告します!」


「ならいいんだよ」


 若い兵は地上をよろめきながら歩き去っていく。あれではジャガーに出くわしたら、命はないだろう。アレガは若い兵が運よく無事に帰路に着けることを太陽神に祈ってやった。


 赤鴉総勢十二名も、見世物がなくなったことで散り散りになる。呆けたアレガは鞭を取り落とす。


「それはオオアギにでも渡して下さい。また使います」


「まだ使い足りないのか……誰に使うんだよ?」


「……アレガじゃないことを祈ります」


「冗談きついな」


 アレガは自分の掌を見下ろして戦慄する。小刻みに震えているように見えた。付着した血は乾き始めていたが、ズボンでこすって己の罪を揉み消した。


 ウロが闊歩してきたのでアレガは背筋を伸ばす。震えている様などおくびにも出さない。


「お前さんにしちゃ、よくやったね」


「へ?」


「相手をぶつのも怖いもんだろ」


「それは」


「よく、そんなんで毎晩あたしの寝首をかきに来るさね? まあ、半鳥人は鞭千本ぐらいじゃ背骨は折れても死にはしないからねぇ。あの若造はもっとしごいてもよかったよ。あれじゃあ、国王にどんな内容のありもしない報告をするか分かったもんじゃない」


「あの、お母様」


 ラスクがアレガの傍に来た。心なしか近い。


「アレガが心配です。そ、その。ニンゲンとはなんですか」


 ラスクの不安げな表情に、アレガは胸の奥底に小さな火が灯ったような温もりを感じる。なんだろう。そっと、手を触れてみる。今夜一緒に寝たら怒るだろうか? という不謹慎な考えも顔を覗かせる。


「ニンゲンはこの数年目撃情報すらなかった幻の生き物だよ? お上に報告するとあっちゃ、盗賊団討伐の成果よりも、アレガの存在を報告するだろうねぇ」とウロは今更ながらにアレガを物珍しいと目を見開く。


「え、ババア。じゃあ、あいつを生かして返すのはまずいんじゃ!」


「生かして返したのはお前だよ。自己責任さ。お前にほだされたラスクも悪いが」


「お母様、私はそんなつもりであの兵を逃がしたんじゃありません」


「耳にたこができるようで敵わないねぇ。オオアギ。この中であの兵を始末するのに賛成だった者は?」


 ウロの腰巾着オオアギはすぐに号令をかけ、解散したはずの赤鴉たちの挙手を数える。過半数の七人が賛成している。手を挙げていなかったのは、ことなかれ主義者のシビコだけだった。いつもどおり、何を考えているのか分からない。


 ウロは喉を鳴らしてげらげらと笑い出した。


「ま、王国旅団に狙われる可能性は昔からあったからね。遅いぐらいさ。お前たち、これから気を引き締めな。かばってもらえるなんて甘えるんじゃないよ? 自分の身は自分で守る。これは鉄則だよ」


「了解っす!」


 赤鴉はそれぞれ集落に戻った。アレガも二度寝しようと思ったがラスクに呼び止められる。

「あっちのバナナの木の方で話しましょう」


「ど、どうした急に」


 ラスクに呼ばれると嬉しいが、さっきのことがあったばかりで恥ずかしい。間違ったことをしていないだろうか。手順通りにやれたか。ラスクの目にはどう見えたか。野蛮だと思って見ていたわけではないと信じたい。


「私、今夜は収集班を監督するので。アレガも今日は収集班補佐に任命します」


「お、ありがとう」


 採取だとラスクと長い時間一緒に過ごせる。


 収集班の大半はクマレ(ヤシの一種)の葉で編んだカゴを、翼の妨げにならないよう胸の前でしょって飛び立っている。まだ日は高いが、夜までに必要な量の食糧を採取するのだ。


 アレガの駆け足に合わせて、ラスクも地を並走する。


「お母様には、色々と口止めをされています。アレガの好意は偽物だということや、私を特別視していることは気づかないふりをしろなど……」


 アレガは赤面する。


「い、今暴露するのか」


「いえ、そんなつまらないことはどうでもいいので」


 アレガの切実な想いは岩を拳で砕く訓練よりも、簡単に砕け散った。


「アレガに何も教えないことで、生き延びられることもあるのかと思いました」


「どういうことだよ。俺が生きるか死ぬかを、勝手にお前らが決めんな」


「あまりはっきり言うと、アレガも自分が嫌になるんじゃないかと」


「……そんなのとうの昔からなってる」


「そうだと思いました。私としては、この赤鴉に所属した時期が近いこともあり、アレガが八つ裂きにされた場合のことを考えると心苦しいのです」


「え、八つ裂き? さらっと言ったけど……」


 ウロならいつかやりかねない。


 ラスクは駆け抜けながら、ライチの実をかっさらった。アレガも追従する。


「もう一つ、危惧していることがあります。王国旅団は部族の所属に関係なく、カラスの半鳥人をほとんど絶滅に追いやっている危険な集団です」


「赤鴉じゃなくて、カラスを?」


 赤鴉のカラスの半鳥人は戦闘班に二人。お頭のウロとラスク。衛生班の嗜虐医カーシーだけだ。


「カラスは冥土の民と恐れられています。ここの盗賊団に入らなかった鴉は、おそらく全員殺されたと思います」


 アレガは赤鴉の一団しか知らないので、カラスがエラ国で絶滅に追いやられているとは思いもよらなかった。


「冥土の民とか大げさだな。死んだらみんな星になるんだろ」


 死んだ魂は南の空のフウチョウ座の一部となって地上の半鳥人を見守るらしい。まあ、どんな種類の半鳥人でも等しく死後の世界に行ける。そう、半鳥人ならば。アレガは皮肉ったつもりだ。


「自分を卑下するのはやめて下さい。私たちカラスは――」


 ラスクの切羽詰まる声を初めて聞いた。紫の瞳に暗い影が落ちる。


「元はと言えばニンゲンが」


「ラスクやめな!」


 声を荒げるウロが叱責した相手は、まさかのラスクだった。さっき別れたばかりなのに、後ろからつけてくるとは。


「はい、ごめんなさい。私、アレガにこんなことを言ったら駄目ですよね」


 どういう風の吹き回しだろう。ラスクがアレガの手を取り謝る。


「気にしないで下さ――」


「気にしてるっての。そういうよそよそしいの、やめろ」とは言ったものの、握られた手の温もりが気持ちいい。ラスクの紫の瞳の影が消え失せ、頬に赤みが差しているのは気のせいだろうか。


「そういうのは、赤鴉の外でやって欲しいね。ワルミン川のピラニアに二人とも食ってもらうよ!」


 ウロの剣幕にラスクはぷっと口元を抑えて笑った。アレガは冗談じゃないと顔を引きつらせた。

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