4-5

「お母様ご無事で」


 ラスクが平然と駆け寄るなり、ウロは太刀を収めることも忘れて抱き留める。


「あたしの心配をしたのかい。まったく、かわいい子だねえ」


 ウロの手からラスクの潤う黒髪へ、ひたひたと血が伝う。ラスクは頭を撫でられ、頬を赤らめる。

 見ているだけで恥ずかしくなるには十分な状況だ。


「うっわー! お頭様ぁ。さすが! キンタマ取っちゃったよ。お頭様の男嫌いも筋金入り……」


 この状況を打破したのがオオアギで助かったとアレガは安堵する。だが、睾丸の話題はできればやめて欲しいと、アレガは半歩下がる。


「おだまりオオアギ」


 ウロは調子に乗ったオオアギに最後まで言わせなかった。


「はーい」とオオアギは反省し、兵の遺体から金目のものを物色し始める。湾曲した剣を真っ先に奪取している。


「みんなついておいでな。向こうで三つ子のスズメが先に待ってる。アレガ、さっさと歩きな」


 アレガはため息をつく。睾丸の切除は男への見せしめだろう。


「ニワトリ隊長は?」


「あんなのは逃げ出したさ。撤退とか叫んでたがね。負けてから叫ぶのは撤退なんかじゃないよ」


 ワトリーニ隊長はニンゲンのアレガのみならず赤鴉に強烈な怒りを持っていた。潔く撤退するだろうか。ウロが本当に八つ裂きにしたかったのも恐らくあのワトリーニ隊長だろう。ウロも何か事情があるのかもしれないとアレガは勘ぐる。


 鳥肌が収まらないままに連れられたのは獣道だ。腐食した枯れ葉の上で一人の兵が後ろ手に拘束されて顔を引きつらせているのが目に飛び込んできた。


 撤退時に逃げ遅れたらしい。白い髪に黄緑色の翼を持つヤマゲラの若い兵だ。不覚にもアレガは先ほどの自分と重ねてしまって顔を背ける。


「よく見るんだよ。お前さんに仕事だ」


 アレガにはすぐにこの先の汚れ仕事が予想できた。


「聞きただせ」


 腐葉土にひれ伏したのは若い兵。年は二、三ほど上。臆しているのか、俯いたままだ。斥候班の三つ子のスズメらが縄で縛った上でさらに羽交い絞めにしており、小突いて上を向かせる。兵の双眸に張りついていたのは、アレガを睨む歪んだ光だ。数では兵たちの方が圧倒的に勝っていたのに、敗北を喫したことが納得できないという顔で、血に濡れた唇がてらてら光っている。息は荒く、赤鴉の面々も気分を害するような不遜な態度だが、アレガは自分一人だけが否定されているような不快感を覚えた。


 アレガは棍棒に七本の紐がついた鞭を三つ子の一人から手渡される。「早くしないと罰だから」「こいつを泣かせないとあんたが打たれるから」「頑張ってね?」と嫌味なことを言った。


 はたきみたいな鞭だ。水で濡らされ、重みがある。七十セントリほどの片手で振り回す大きさだが、叩かれると大人でも意図せず涙が出る代物だ。打たれる回数によっては身体がもたない。二百回ぐらいだとかなりましなほうなのだが。


 アレガは念のためウロに目で「何回なのか」と指示を乞う。こいつが死ぬであろう千回だと言われたらどうするか。アレガはそれを憂慮した。


 ウロは大頬骨筋だいきょうこっきん一つ動かさない。口を開く気はないらしい。意図を推し量るしかない。これは、若い兵ではなく自分を試していると邪推する。


 ウロは最終的には殺せと命じるだろう。生かす理由が見つからない。アレガは鞭を握る手に汗が滲むのを感じて、手から滑り落ちそうになる柄を握りなおす。


 十年前にウロに拾われたのが良かったことだとは思えない。こんなことに手を染めないと生きていけないのなら、生きていても仕方がない。そもそもの疑問だが、半鳥人がニンゲンを好き好んで育てるのは、なぜだろうか。


 思い至ることを心の奥深くに鎮めるため、一息吐き出す。


「襲ってきた理由はなんだ?」


 若い兵は当然の如く答えない。アレガはしかめ面をする。怒っているのではないと兵に伝えたい。寧ろ、正直に答えれば俺は手を汚さずに済むからそうしてくれと懇願したいぐらいだった。


 兵の後ろに立つ。斥候班「三つ子のスズメ」のメーズメ、ズズ、パロパロの三人で兵を立たせる。抵抗しようともしない兵の、心なしか小さく見えるその背にアレガは鞭をひとかきする。


 肌が弾む高い音。短い傷痕に対して、長い悲鳴。


 若い若い兵の彼の黄緑色の羽根が飛散する。絹のチュニックに平行の七本の線が爪痕みたいに刻まれる。


 アレガを睨んでいたはずの若い兵は途端、堪える素振りもなく滂沱の涙を流す。まだ一回目だと、アレガは下唇を噛む。あと二百回は続けないといけない。服の上からやっているのだから、絹は水に弱いとはいえかなりましな方だというのに。


「答えになってない。もう一度聞くぞ。目的を言え」


「だ、誰がニンゲンなんかに」


 アレガは何を言い返されても我慢するつもりだった。だが、開口一番これでは堪忍袋の緒が切れるのは早くなるかもしれない。だが、同年代のよしみで、ぐっと堪える。手を汚したくてやっているのではないということを、どこかで共有して救ってもらいたい気持ちもわだかまっている。


「俺のことは今どうでもいい。質問に答えろ。それだけでいいんだからな」


 向かい側のウロがぼそっと「言うようになったねえ」とはじめて口角を上げた。


「鳥でもないくせに」


 ウロなら今この瞬間で叩くだろうな、と思いながらアレガは語気を強める。


「お前はただ、素直に答えればいいんだ」


 鞭など振るいたくはないという単純な願いは叶わない。


「冥土の民は殺してもいいことになっている」


「冥土の民? 俺たちは赤鴉だ」


 冥土の民と言えば、カラスだけがそう呼ばれることに薄々アレガは気づいている。


「……赤でも黒でも関係ない。鴉は不潔な鳥だ! お前、し、知らされてないんだろ。鴉は病原菌だ。病原菌を撒き散らす」


 アレガは混乱する。赤鴉討伐の目的は盗賊団の行為が原因ではないのか。カラスそのものが嫌われている? 


 急に鳥肌が立つ。自分が拾われた本当の理由は、同じ鼻つまみ者だったからなのかと思い至ったからだ。


 それにしても、ウロの目の前で病原菌だなどよく言えるものだとアレガは感心する。この若い兵はカラスに詳しいようだが、赤鴉がどういう組織なのか、これっぽっちも分かっていない。


「口を閉じろよ。ここのお頭は俺より寛大な心を持っちゃいない」


「ニンゲンが冥土の民に飼われるなんて、密林ってのは恐ろしく野蛮な場所だ」


「調子に乗るなよ……」アレガは堪える。怒りに流されずに質問しなければならない。「これは掃討作戦なのか? どうなんだよ」


 若い兵は拘束されているにも関わらず黄緑の翼だけで飛び立とうとする。アレガは鞭を再度大きくかく。打ちどころが悪く、若い兵の美しい羽根に引っかき傷が長く引かれる。しまったと思った。


 兵は喉が裂けたかのような居たたまれない悲鳴を上げる。痛みのあまり叫んでいるのではない。半鳥人としての誇りを傷つけてしまったのだとアレガは理解する。


「よくも翼を!」


 恨めしそうな目で呪いの言の葉のように告げた。


 アレガとて傷つけたくはなかった。末代まで呪われてもおかしくないが、ここで手を緩めるわけにもいかない。暴れる若い兵を押さえつける三つ子のスズメに文句を言わさないために、二度、三度と鞭を振る。案の上、三つ子のスズメはアレガにもっと腰を入れて振れだの「よし! よし! もっとやって!」「激しく激しく」とふざけた命令を下した。


 この三つ子もいつか機会があれば殺してやりたいと、アレガは思いが表情に出ないように頬を強張らせる。


 ウロの隣で黙って見ていたオオアギが感嘆の声を上げる。その隣で小さなラスクが唇を結んでいるのが見えた。今はお互いにどうすることもできないと分かっている。


 殺さなければ殺される。正しいも間違いもない。やるかやられるか。生きるか死ぬかだ。


 若い兵の背から再三飛び散る血飛沫を受けて問い正す。


「エラ国は赤鴉を追跡しているのか?」


「んぎあ!」


「答えろ」


 血の糸を引き始めた鞭の粘着質な音が、木立のさざめきを打ち消す。アレガはこれは自分ではない、と唇を噛んで念じる。


 若い兵は鼻と口の両方で喘鳴を奏でている。裂けた衣服は傷口の血肉が糊代わりになって、剥がれ落ちるのをかろうじて免れているような状態になっていた。


 鞭打ちは三十回、やがて四十回も超えた。若い兵の翼は禿げてきており、血で赤茶けて美しさも失われている。


「鞭打ち二百回はあいさつだ。赤鴉の縄張りに入った罰と、攻撃を仕掛けてきた罰だ」そう言いながら、アレガはウロを見やる。何も言ってくる気配はない。裁く権利もアレガは与えられたと確信する。心で回数を数える。七十、七十一、七十二。


 息絶え絶えの若い兵は、一向に口を割らない。アレガは二百に到達した後の処分を考える。赤黒く腫れていく皮膚は見るに堪えない。だが、やらないと自分も……。アレガは今後何年も赤鴉の一員であり続ける。十年も居座った。出て行く気はない。行き場もほかにない。その事実がアレガの頭蓋の内側から叩きつけてくる。


 若い兵が手を上げようとして三つ子のスズメにどやされる。何か言いたいようだ。両目は泣き腫らして真っ赤になっている。


「や、やべでぐださい!」


 若い兵が懇願する。アレガはやっと刻んだ律動を突然やめるわけにもいかず、鞭を大振りにかき続ける。二百回を早く終わらせれば若い兵を解放できる。その一心で鞭を握り締めていた。握る掌が痺れて指先は血の気が失せて白くなっている。


「ぎあああ! おべがいじまず!」


「目的を言え」


 アレガは掌だけでなく腕から肩にかけての痺れも感じた。同じ動作がようやく百回を超えた。


 鞭打ちは休憩を挟んで行うものだ。早く終わらせることは受刑者には負担になる。同じ場所に鞭が当たる回数が増えれば、一度切れた傷口を深く抉ることになる。背骨を避けて打つのがせめてもの気休めになればと、アレガはまんべんなく叩く位置をずらしたつもりだ。


 女たちの誰もアレガにそろそろ休ませてやれとは口を挟まない。三つ子のスズメは百回を超えるとあと半分だと三人で「これって拷問よね?」「尋問かしら」「鞭打ち楽しいわね」と歌い出す始末。

「調査です……ぐああ!」


 アレガは若い兵のか細い声に手を止める。疲弊した若い兵を見る。横から覗き込めば、零れ落ちた涙が止まらないのがよく見えた。理性が吹き飛ぶのも近いのかもしれない。


「し、調べに来ました。この近辺の部族の集落が襲われたと聞いて。……赤鴉の縄張りに含まれることから、この集落が壊滅は赤鴉が襲撃したからだと判断して、それで」


 若い兵が饒舌になる。泣き腫らした目は赤く瞼が二重になっている。


 アレガはほっと胸をなでおろしたい気分になる。真実を語ってくれてよかったと思う反面、これを言わせたのは自分の行った笞刑ちけいだと自身を呪う。正直、こんな不快な想いをしてまで赤鴉に所属しないといけない自分が惨めだ。


「アレガ。もういい」


 ウロが大様に手を上げたので、アレガは手を止め三つ子のスズメが乱暴に若い兵を突き放す。「久しぶりの笞刑なのにぃ、もっと見たかった」「ウロ様こいつ殺さないの?」「死刑にしようよ」とかそれぞれぶつくさ呟いている。


 アレガは手持無沙汰になった鞭から血が滴り落ちるのを眺める。急に体中が火照り出したのを感じた。眩しい日差しのせいではない。


 若い兵が解放されたことの実感が湧かずに涙目で呻き、足腰立たずにいる。


「あたしらは勘違いされてるようだね。ここを壊滅させたのは赤鴉じゃないよ」


 ウロに続いてオオアギも腕を組んで抗議する。


「そうだよ。あっしら、利害関係でしか動かないっての。金目のものがないのに殺して回るかっての」


 アレガはオオアギを無意識に睨む。金目のものを取らずに、シルバルテ村を壊滅させたことをウロだけでなくオオアギも忘れているのか。


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