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「なんと悍ましい足だ。自分の皮ではないものを纏うか。我らとて革製品のなんたるかは知っている。だが、それは身に纏うよう編み出された代物ではない」


「ほらな。これだよ。靴って言うらしいのは、行商人から買ったときに聞いたんだけど。お前らだって加工はするんだろうが。ニンゲンの履物だなんて、行商人は一言も言ってなかった。みんな怖いんだろうが」


 怒りの沸点に達したアレガは容赦なくその兵の首を二股の槍で突く。二股の槍は両刃だ。挟まった首は容易く切断される。みりみりと、胴体から剥がれ落ちる。ごぼっと吹き上がる血飛沫が遺体の後を追って降り注ぐ。思い出したように痙攣する胴体はびくびく怯えているようだ。


「やっぱ。手加減は駄目だな。教訓にしよ」


 正義感を胸に、アレガは返り血のついた手に目をやる。目にも血が入っていて、緑の土地が真っ赤に見える。


 ウロはエラ王国旅団の兵を屑と呼ぶ。つまり、エラ王国旅団は正義だ。


 悪は俺たちの方だとアレガは歯を食いしばる。虐げられる生活をいつまで続けるのか。兵に女盗賊団とは一切の無関係な鳥ですと助けを求めてどうなる? 聞き入れられないことは分かった。半鳥人ではないから……。


 若い兵が二本の短剣を手に斬りかかってきた。アレガと同じ年ほどのほとんど少年と言っていい。顔をまじまじと見る。セキセイインコの半鳥人(ハルピュイア)は、刃が触れる前から叫んでいる。


「厄災め。お前の業を許すと思うか? ここで処してやる!」


 アレガは苦笑してその二本の刃の軌道を槍で滑らせて変えてやる。戦うのならば殺さなければならない。年齢など関係ない。アレガは槍を握る自身の掌が汗で塗れていることに不安を感じる。


 殺しの経験は数えるほど。どれも自分の身を守るためにしてきたことだ。襲撃に失敗して返り討ちに合いそうになったとき。寝込みを別の部族に襲われたとき。意思の強い通りすがりの行商人が盗賊団に反撃してきたとき。

セキセイインコの攻撃は難なくいなせる。槍で足払いを仕掛けると、青年は翼で宙を舞って躱した。それを見越したアレガは土をすくいあげ目潰しを放つ。


「いだ!?」


 新米か? 泥の混じった砂に当たって怯む青年。こんな小手先が通じるようでは、兵は務まらないだろう。アレガたち赤鴉は手段を選ばない。こちとら、生き残るために必死なんだと内心呟いたアレガは自嘲して額を掻く。自身の前髪に混濁している赤い毛色を見つめて奮起する。今が瀬戸際だ。どこにも混じることができない自分が赤鴉の一員として鳥となるか。鳥のふりをした謎の生き物『ニンゲン?』で居続けるか。


 アレガはニンゲンだからという理由で死んでやるつもりはない。


 生き抜いてやる。不敵に笑って、槍で青年の胸を突く。


 同じ年頃。なぜ、こいつは兵で、俺は女盗賊団で虐げられている? アレガにすぐ答えは出ないが、胸に蔓延る遺物が怒りとなって青年に向かう。こいつを殺せと罵る自分の声を聞く。


 青年は胸の前で二本の短剣を交差させてアレガの槍を防ごうと試みたが、すぐに力負けして掌から取りこぼす。


 アレガの二股槍はあっけなく突き刺さった。青年が口から血を吐きながら必死にその刃を両手で握り締めたせいで、胸に刺さるはずの槍が青年の腹部へ軌道を変えて刺さっていた。槍の赤い柄を深紅の血が伝う。

アレガは一瞬たじろぐ。青年が痙攣するのを見届ける。早く力が抜けて死体になれ! と願う。その充血した目はアレガに懇願するではなく、反抗を試みる目だった。眉間に寄る皺、腹を穿たれても青年がすぐに死ぬわけではない。

アレガは目を反らしそうになる。見届けなければいけない。これは、明日の我が身かもしれなかった。


 青年の口から零れ落ちるよだれが糸を引く。よだれは桃色から赤に染まる。アレガは早く終われと臨終を早めるべく槍を両手で押し込む。反発する腹筋を突き破って臓器にずぶずぶと沈み込ませる槍の感触は未だに慣れない。


「くそ」


 アレガはしぶしぶ槍を引き抜く。途端、青年が反撃に拳を突き出そうとしてきたので、すかさず正確な胸の位置に二股槍を突き刺す。合計四つの穴が空いたわけだ。アレガはどひゅどひゅと血が噴き出る先ほど空けた穴を見下ろす。腸が零れ落ちそうになっている。アレガはもう少し押せば穴を広げられたかもしれないと、冷静に思いなおして身震いする。青年の新たな胸元の穴はそれほど大きくはないが、やはり部位が部位だけに浅い傷でも致命傷を与えている。青年は目を見開き、弓なりに身体を反らせて肩を上下させて肺に空気を送ろうとしている。


 とうとう、喘鳴の青年は目の焦点が合わなくなる。やがて開かれたまま凝固し、潤いが途絶える。死んだら目に出るのかと、今更のようにアレガは身震いする。


 そうこうしているうちに、剣戟の音が止んでいく。


「なんだ、もう終わりも近いか」


 盗賊の口癖が移ってしまった。


 アレガはくずおれた青年の死体を放っておく。深く感傷に浸るのはよくないと意識する。戦闘は年も性別も関係なく等しく死が訪れる。


「あ、ラスク。す、すごいな」


 ラスクは何人もの兵を根絶やしにしていた。今、最後の一人が膝から崩れ落ちる。ラスクの青の首巻きは返り血で紫に変色している。ラスクは難しい顔をして、頬や髪にかかった血を手で拭っている。それもそのはずだ。ラスクは足で短刀を握って斬りかかる戦い方をする。地に手をついて逆立ちで走る曲芸師のような技を繰り出すのだ。


 顎から額に逆さに流れる返り血に紫の瞳を輝かせている。ああ、本性を現したなとアレガはため息をつく。どれだけ普段、慎ましい口調で控えめにしていても、ウロの血を引いているなと思う。


「そっちは、手伝わなくていいか?」


「はあっ!」


 気合一閃。左右の足でそれぞれの短刀を投げる。それは、戦意を失った兵の背に突き刺さっていた。容赦がない。無言でラスクは腰から予備の短刀を引き抜く。そして、それをあろうことかアレガに投げつける。


「よく見ろ俺だ! おい!」


 殺される! そう確信したアレガはその場でしゃがみ込む。受け身を取る時間などない。色々学んできたのに、回避方法がその場にしゃがみこむなんて、まぬけだった。


 ラスクの口元が薄ら笑う。紫の瞳が愉悦に歪む。アレガはからかわれたとは思わない。笑い笑われも命のやり取りだ。この密林では勝者が笑う。アレガは恨めしく見た。ラスクの優しさは上皮でしかないのか。時々見せる獰猛さが本当のラスクの姿なのか分からない。しかし、アレガが思案するより早く、ラスクは人が変わったようにふふっと笑みを零す。


 アレガの背後で別の兵が膝をついて倒れる。意図せず跳ね上げられた土の気配にアレガは立ち上がる。ラスクが投擲とうてきした短刀が兵の頭部に突き刺さっている。兵は殺されたことも分からないという真顔で死体になった。


「あ、あ、危ないだろ。……俺のこと助けたのかよ」


 ラスクが伏し目がちになった途端、血のついた手を揉みしだく。緑の光沢のある翼で自分の肌をかばうようにしている。照れているのかもしれない。


「あなたの目が節穴だったので。後ろにも目がないと、この赤鴉ではやっていけないことを忘れましたか?」


「あ、いつものラスクだ。慇懃無礼すぎだろ」


「無礼? あなたの序列を忘れたんです?」


 アレガは困惑する。いつの間に序列なんか決められていたんだと。


「あなたは奴隷(ヤナコナ)と同じなんですよ?」


 アレガは頬にさっと血の気が差すのを感じる。ラスクを恨むなと頭の中で声がした。ラスクはウロではない。


「ラスク。ラスクだから黙ってたけどな、言っていいことと悪いことの区別もつかないのか?」


「なんです? この私に意見するのですか?」


 ラスクは黒い髪を後ろで結う。血のついた手でべとべとになっているだろうが、戦場のようなこの場ではおかまいなしだ。


「残りも討伐するので、長話は厳禁です」


「待てよ! 昨日ウロに何か言われたのか?」


 アレガにはそうとしか考えられなかった。原因として考えられるのはただ一つ。無言のアレガの下心をウロが読み取って、ラスクに告げたのだろう。


 胸に迫る苦渋がアレガの頭を垂れさせた。半鳥人に鳥だと認められない。だけど奴隷だと思ったことは一度もない。


ウロはアレガをラスクから切り離したいに違いない。


 アレガは湧き上がる怒りを握り締めて手放そうとは思わない。ウロのあの妖艶な顔の皮を剥いでやると空想して首を振る。ラスクに殺意を感づかれるわけにはいかない。


「お母様は私のことを一番に考えて下さるの」


 アレガはどう答えどう問い詰めるか苦心して一拍置く。


「そうだろうな」


「あなたが女を変な目で見てるって」


「そ、それだけかよ」


「……そう」


「それで奴隷(ヤナコナ)呼ばわりすんのかよ」


 ウロはうちの娘に手を出す男は火にくべてやるとか、ラスクに触れたらその腕を切り落として肥料と混ぜてやるとか言ったのだろう。奴隷とは口を一言も聞いちゃいけないよとか。あの小童はただの拾い物さねとか、今すぐ川に捨ててやってもいいんだとか。


 あれこれ思いついては一人で頭を掻く。髪の赤い染粉が手について真っ赤になる。


「たぶん、思ってることは全部正解ですよ」


「まだ口に出してないっての! そうかよ、あのババアは俺を追い出したいのかよ!」


 ラスクは前方にいたオオアギと交戦中の兵の背に、容赦なく短刀を足で投げつける。今ので雑魚は最後の一人のようだ。


「そうでしょう? お母様はアレガをお荷物と思った。今までが寛大だったんですよ」


 オオアギが兵の胴を射抜くのと同時だった。前からも後ろからも刺されて死ぬなんて、助かる見込みもない最悪な死に方だ。


「あ、ラスク。あっしの獲物おおお! いくらラスクだからって、そりゃないよ!」


 アレガより十セントリ高い高身長で飛び跳ねて駄々をこねるオオアギは滑稽だ。


「オオアギ姉さん。ごめんなさい。つい、かっとなって」


 アレガはたじろぐ。


「アレガもいるじゃん。また、ラスクを怒らせたのか?」


 どうしていつもこうなるのかと、アレガはオオアギの大袈裟な物言いを睨みつける。半笑いを浮かべるオオアギは、さっきまでのラスクとのやり取りを見て来たかのようだ。


「こいつが勝手に怒ってんだよ」


 アレガは心にもないことをつい口走ってしまう。奴隷の一言だけは撤回させたいが。ラスクは悪びれる様子はない。


「こちらは片づいたようなので、お母様の加勢に行きます」


 ラスクがオオアギを従え小走りして滑空する。アレガはしぶしぶ従って後ろを全力で走る。迷っていては遅れを取る。そうなればまた罰だ。果敢に挑まぬもの食うべからずと。


 追従して思う。ウロなら目を瞑って、片腕のみでも勝てる相手だろうと。


 アレガが息を切らしながら樹木の海を抜けると、木々の緑の間から今しがた斬り刻まれた半鳥人の四肢が四散する。木の根に投げ出された上半身はワトリーニ隊長のものではない。首から、肩口から、へそから下と、血が帯を流している。ウロはワトリーニ隊長と戦っていたはずだ。それが、どうして別の半鳥人を八つ裂きにしているのか。


 アレガは自身のあそこが縮まる思いがして立ちすくむ。哀れにも切り離された血濡れの睾丸が二つ、血の海で浮いている。このババア恐ろしい所業をやり遂げやがった――。

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