4-3

 白む朝日。ウロの泊まった民家の木の下、つまり外。アレガはくしゃみを一つして飛び起きる。背中が跳ねて、走る激痛に思わずうずくまる。昨夜もこっぴどくやられた。右手で左の肩を手繰り寄せ、自身の背中を恐る恐る見やる。マントをめくらないとよく見えない。身体を捻ってしまい、痛みで断念する。何度目かの挑戦で視界に入った自分の肌が緑の痣になっていて青ざめる。


 アレガは土を払うこともせず重い足取りで歩き出す。大規模河川ワルミン川の支流に立ち寄り、顔を洗ってバナナの木に登る。そのまま木の上でバナナを皮ごと食す。黒い斑点さえ出ていれば皮も薄いので食べやすい。


 不本意にも朝一番乗りで起床したアレガは、蹴られて起こされなかったことに安堵する。


 寡黙な『ことなかれ主義者(ハシビロコウ)』のシビコは、アレガがお頭を攻撃していることに腹を立てており、朝の目覚ましはたいていの場合彼女の蹴りだ。同じ家屋で寝ていなくてもやってくるので、ある意味陰湿だ。ただ、小言や不平を口に出さないあたり、面倒な言い争いにならないで済むのはシビコだけだ。背をさすりながら、ラスクの丸みを帯びた顔の輪郭を淡く思い描く。ふっくらとした薄桃色の唇。食事で口にするミミズの腹と似ていて綺麗だ。


 アレガは恥じらいを抱きつつラスクに寄り添い、あわよくば彼女の唇を奪ってみたい欲望にかられた。下腹部が疼く。特にウロの前でそれをしてみたい。ラスクの胸だけを覆った姿から、脱がせて露になった胸を空想する。それほど大きくはないが小さくもない。薄桃色に思いを馳せる。


 アレガは飢えている。暴力で支配されてきた。いずれ同じ力でもってやり返すことができる日が来る。いや、今ならできる。あわよくばラスクの上に覆いかぶさり――。最後まで妄想すると、おかしくなりそうなのでやめた。


 アレガは木から降りることも忘れて朝焼けを浴びる。今日も熱い日差しになるだろう。嫌いじゃない。ここから復讐が幕明けるのだとすれば、いい朝だ。必ずウロの息の根を止める! とても、単純明快で自分でも馬鹿げていると思うが、恨みは塵のように積もるのだから仕方がない。


 バナナの木の間で何かが揺れた。オオコウモリでもいるのかとアレガは訝しく思い、警戒して腰から槍を引き抜く。粘りっ気のある鼻を突く腐葉土の臭い。


 木々の葉が擦れる音が抃舞べんぶしている。サルの声、ハエの羽音、本物の野鳥の声。うごめいたのは一つではない。誰かがこちらを警戒している。人数は一人、二人、いや、もっといる。前だけではない、集落を取り囲む気配で迫ってくる。十人ほどか。いや、時すでに遅しか――? 


「ちっ。何か知らないけど、やるんだったらこそこそするなよ。丸見えだって」


 今までもウロに恨みのある奴はたくさん見てきたが、こんな大人数は見たことがない。いい機会だから、相手が何者なのか確かめてやろうと盗み見る。また神官か? それにしては、人数が多い。赤鴉の人数を上回るかもしれない。


 バナナの葉で緑に擬態した半鳥人らが木から木へ飛び移っている。不意打ちをする予定だったのだろうが、こちらが一人だと思って飛び出してきた。衆寡敵せずと踏んだのか。アレガにとっては腹立たしい。所詮自分は赤鴉の雑魚。敵にまで舐められたくはない。


 擬態者は一斉に飛び降りてきた。一団はバナナの葉で覆った上衣うわぎぬの下から湾曲した剣を引き抜く。湾曲した刀身は扱いにくい。ゆえにその剣の意味は所持者の地位が高いことを示す。アレガは今までの窃盗の経験から、この剣が盗品の中でも価値が高いことに思い当たる。この一団はそれを所持している部隊であるエラ国の兵か?


 小走りに走って来た一人が、斜めから剣を振り下ろす。アレガは難なく二股の槍で受け止める。しかし、横に回り込んだ別の男が弓を飛ばしてきた。おまけに、棍棒を持った男が突っ込んできた。アレガは身を翻して矢を避けることができたが、棍棒を持つ男には頭部を殴り飛ばされた。生傷が耐えない日に限ってこれだ。


「ぐはっ」


 こんな仕打ちってあるかとアレガは歯を食いしばる。一瞬意識が遠のき、槍を取り落とした。

連中のざわめく擬態の葉。未だ慣れない嘲笑と恐怖の声を耳にして意識がぼんやりと戻る。


「ニンゲンだ!」


「こんなところに生き残りが?」


「き、気持ち悪い生き物だ……」


「間違いなくニンゲンだ。悍ましい、我らの真似ごとをしているのか。あの羽を見ろ」


 好き勝手呼ばれたアレガは苛立ち、切った額を手で拭って立ち上がる。ここで反撃してこいつらに殺されたらウロに馬鹿にされる。


「なぜニンゲンが赤鴉の盗賊団に」


 一人の男がそう問いかけた。アレガは目を吊り上げて、苛立たし気に口を歪める。好きでここにいるんじゃないと内心毒突いて、ため込んだ怒りをぶちまけるように叫ぶ。


「だから……ニンゲンってなんだよ!」


 アレガは自身の槍を蹴り上げて拾う。弓矢が飛んできたが、素早くつかんだ槍で弾く。剣を持つ男がアレガの首を狙って斬り伏せようとしてきたので、アレガは槍の柄の部分で男の胴を横一文字に叩きつける。男が仰け反ったのを見るや、刃を地面に突き刺し自身の身体を持ち上げ跳躍する。ウロに報告しなければと思い、戦闘は一時預け、民家の階段に手を伸ばして捕まる。その手を矢がかすめた。危ない。やはり、一人での対処は厳しいかとアレガは舌打ちする。こいつらは組織された集団だ。赤鴉が窃盗行為をするとき、ウロは「王国旅団が来る前にずらかるよ」と口癖のように言っていた。こいつらがウロの恐れているエラ王国旅団だと確信する。ついに赤鴉を始末するためにやってきたとアレガはぞくぞくしたものを感じた。だが、やはり次の言葉に武者震いは掻き消えた。


「化け物を殺せ! 始末しろ!」


 アレガの耳輪じりんに走る風。矢だ。痛みと呼べるほどではないじりっとした感覚が、耳から首筋に伝う生暖かい血を伴った。アレガは肝を冷やす。今この瞬間、奴らの標的は女盗賊団よりも自分が上になったのではないか? 胸に渦巻くのは鉛のような重さを持つ泥水よりも濁ったどす黒い感情だ。


 鳥肌が立ったときには背に刃を浴びた。焼けるような熱さ。マントに傷が。どうして、自分がこんな目に? 一瞬怯んで、階段をつかむ指が滑る。後ろから引き倒されて地面に突っ伏した。背中にのしかかる鳥の足。ニワトリの半鳥人か。鋭い爪が皮下に入り込み肉が裂ける。アレガは自分の血が背中からだらだら溢れ、マントを汚すことに眩暈がした。


「ワトリーニ隊長、ご命令を。裁判はいかがなさいますか」


 アレガに足を乗せた男は聞き間違いでなければ、裁判を示唆した。アレガは両手で地面を押し上げ背筋でもってその足を押しのけようとする。マントから赤い羽根が何枚か抜け落ちる。母さんの笑顔が砕け散る様を幻視する。瞼が熱くなる。何がいけない? どうしてこれ以上奪われる? そもそもこの世界はどうして俺を受け入れない? とアレガは憎悪で満ちた目を細めて苦心する。


 迫りくる男たちはバナナの葉を脱ぎ捨てた。下には緑のチュニックの制服を着こんでいた。ヘリコニア(二列に互生した葉が特徴の植物)を意匠された徽章きしょうを胸に着けている。襟にはアロエの棘を模した金の刺繍。袖口からは二つの木製ボタンが見える。これがエラ王国旅団の正装らしい。


 隊長と呼ばれた男は黒いニワトリの半鳥人だ。肌は岩よりも黒く、上半身の筋肉の隆起が際立ち逆三角形の体型だ。白い眉、赤い顎髭と顔も色鮮やかだ。ひときわ目を引くのは黒い長髪で、全部後ろへき上げている。首周りに黒い羽根が生え、極めつけは房のように豊かな黒い尾羽が腰から飛び出ていることだ。ああ、尊敬されるだろうなとアレガは苦々しく思う。身長二メトラムはあるだろう。百七十セントリのアレガは圧倒される。


 翼は雄々しく、太陽を浴びても黒光りしないほど艶のまったくない墨色だ。


「こいつを王都へ連れていくのか? 愚問も大概にしろ」


 部下に吐き捨てたニワトリの半鳥人こと、ワトリーニ隊長は忌々し気に眉根を寄せている。


「ニンゲンは見つけ次第処刑だ。ここ何年も姿を消していたが、こんな小賢しい真似をして生き延びているとはな」


 そう言ってしゃがみ込むなり、アレガのマントを剥ぎ取ろうとする。また、羽根が抜けた。アレガは奪われまいと必死にマントをつかむ。


「羽に触れんな!」


「貴様の羽? ニンゲンが触れていい代物ではない。我々半鳥人を狩る蛮族が!」


 蹴られる。そう思ってアレガが腹をかばう。


「あたしらのせがれに、手を出すんじゃないよ。お仕置きは済んじまったとこなんだよ」


 ウロだ。ウロの目と鼻の先で騒いでいたんだから、出てくるのは遅いぐらいだ。そう思うと怒りが沸々と込み上げてくる。この状況を楽しんで遅れてやってきたに違いなかった。


「せがれ? てめーの息子になった覚えはないぞババア!」


 ウロを筆頭に家屋から次々に飛び降りてくる女盗賊団。


 兵士たちを及び腰にさせる。すかさずワトリーニ隊長が、声を張る。


「狼狽えるな。敵は烏合の衆にすぎん」


 ウロがワトリーニ隊長を見るなり、整った唇がほくそ笑んだ。だが、アレガを見据えたときには眉間に皺が寄っている。


「倅ってのは、馬鹿にしてそう呼んでやったんだ。そんなことも分からないのかい。あたしゃ、王国の屑どもにお前さんをぶたせるつもりはないって言ってんだよ」


 物言いはその整った顔から発せられたとは思えない。


「なんだよそれ」


 結局は誰かからぶたれるのかと小声で一人ごちる。


「おや、なんだい? 隊長はお前かい。まったく、情けなくなるよ」


 ワトリーニ隊長の前に進み出たウロだが、一歩近づくごとに身長差で長躯のウロが小さく見える。それほどにワトリーニ隊長は優れた体躯の持ち主だった。


「ワトリーニ隊長になんて口を。我らが何者かと知っての態度か」と部下の一人が喚いた。ワトリーニ隊長は厳しい顔つきのまま、部下に命じる。


「これがカラスの頭領だ。油断するな。間違いなくこの一団だ。ついに見つけたぞ。赤鴉ども! そいつを立たせろ」


 アレガはなすすべなく後ろ手をつかまれ、無理やり立たされる。


「あーあー。みっともないったらねぇな」とオオアギが駆けつけてきた。アレガはその隣で唇を固く結ぶラスクの不安げな表情に思わず赤面する。こんな大失態を見られるなんて格好がつかないどころではない。


「ラスク」


 聞こえないぐらいに小さい声しか出なかった。ラスクを振り向かせるために声をかけられるほど強くない。肌が粟立つ。あの背けた顔をまじまじと見ることができたなら。


 エラ王国旅団二十人ほどが周囲を包囲している。『赤鴉』十二名にかかれば大した戦力差ではない。だが、その十二人目のアレガが足を引っ張っている。自責の念に駆られて俯く。また笑われると思ったが、ウロは何も言わない。

密林内でサルが餌を奪い合う喧噪が聞こえる。なんて間抜けな光景だろう。


「悪いけどねぇ。あたしゃ、こういうが好きさ。そちらさんが、どれだけの犠牲を払えるか、よぉく考えてから人質を取ってもらいたいもんだよ」


 ワトリーニ隊長が指を鳴らす。その瞬間、傍にいた兵がアレガの首に長剣を翳す。どっちもどっちかよ、と内心悲鳴を上げながらアレガはその兵に肩から突っ込む。頼れるのはやはり己だけだ。ラスクが短剣の投擲で兵の目を貫いたのと同時だった。


「あ」


 アレガは半笑いでラスクを見定めたが、視線をわざと逸らされた。ラスクは次の短剣をもう手にしており、接近戦に持ち込もうとした兵の眉間に短剣を投げつける。寸分の狂いもない、恐ろしい強さだ。


 視界の隅では、抜刀したウロと隊長が交戦するのが見えた。


 ウロの下方から上方への斬り上げを、ワトリーニ隊長は二本の斧で防いだ。交差させてそのまま斬り開く。押されたウロは、隙を突かれ胴を蹴られて後退する。が、すぐさま太刀で横薙ぐ。ワトリーニ隊長の左手に握られた斧で防がれた。さらに右手の斧がウロの肩口を狙う。さっきのお礼とばかりにウロは柔軟な身体を活かして、斧の柄の部分を足でつかんだ。鳥の足だからできる芸当だ。そのまま、自身の体重を乗せ、斧に捕まり浮く。当然、ワトリーニ隊長は片腕でウロの体重すべてを支えられるわけがない。体勢を崩して倒れたかに見えたが、隊長はそれを見越して前転する。あちらも身軽だ。ウロはすぐに脇に飛び、一定の距離を保つ。


 ウロとの戦闘の参考にしなければと、アレガは見惚れた。


「死ねええ! ニンゲン!」


 アレガは横から迫る兵の槍の突きを、振り向き様に躱す。


「だから、ニンゲンってなんだよ!」


 怒りに任せて槍でそいつの脇腹を刺そうとするが、槍で防がれた。仕方がないので、槍が使えないほどに急接近して密着し、盾にしている槍そのものを右足、左足で交互に蹴る。

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