第四章
4-1
二十人が虐殺された集落。木の上の家は、雑多な木材でできている。マホガニーの木の板を床に敷き詰めれば、木材の香気で死体を思い起こさなくて済むのにとアレガは
寝床では四人が重なって眠っている。オオアギが、ほかの女たちを守るように寄り添って眠っている。「雪知らず」のエナガに「イチイチ太らん」らしいライチョウのイチイチ。特に、吐息のかかる距離で密着しているのはラスクだ。お頭様の命令がなくても、いつもこうして寄り添っている。エナガを守りたくなるのは分かる。アレガほど凄惨ではないが、「嗜虐医カーシー」に凌辱されたことがあるらしい。女同士で凌辱ってできるんだろうか。という単純な疑問が浮かんだ。
アレガは目を細める。ラスクの艶やかな黒髪を見ると胸がざわめく。ほかの女たちには、胸糞悪い思いをさせられてきたので何も感じない。アレガには理解できない。この、ゆったりと垂れた眉、穏やかな寝顔のどこにウロの血が流れているのか。この熱帯を生きているとは思えないほどに透き通る肌は、神秘性を秘めており、聖物(ワカ)として認められるべきだ。しかし、聖物は物じゃないと駄目かもなとアレガは薄く笑った。
ラスクのほっそりとした手先や水を弾いたように光沢のある翼。その一枚一枚の羽根も角度によって緑色に見える。二つ年上のはずなのに、不思議と同じ年の気がする。小さく細身の身体だが、鍛えられた太ももの筋肉がちらりと見えてやきもきする。膝から下の鳥の足の部分もがっしりしていて、道理で蹴られたら痛いわけだとアレガは納得する。だが、その相違が良い。
守ってやりたくなるむず痒さを覚えたアレガは自身の腕をさすって考えを改める。相手はウロの娘だ。あのババアの娘なんだ。と、アレガはラスクを意識して睨みつける。
アレガが任を請け負うとき、遠巻きに見守ってくれるラスクの瞼は安眠のため穏やかに閉じられている。隣で大っぴらに眠っているオオアギがこの場にいなかったらと思いを馳せる。いや、ラスクと二人きりになれたら。ウロがいなくなったらラスクはどうなるのだろうか。ウロのために涙を零すのだろうか? ラスクの涙の色は何色だろう。胸が締めつけられる。アレガは自身のマントにくるまって、身震いする。ラスクを泣かせてもいいのか? いや、泣かせてみたい気がしないでもない。
しかし、また首を振り逡巡する。シルバルテ村で暮らした年月を、赤鴉たちの尻に敷かれた年月が追い越し、太陽神が自分を救うようなことをしたためしがないことを恨む。
赤鴉の連中は
苛立ってアレガは家屋から抜け出す。ウロは決めって一人で眠る。村はずれで比較的虐殺の痕が残っていない木の上の家屋で寝ているはずだ。
珍しく階段のある家だ。
アレガは足を忍ばせ、ウロの寝床に上がり込む。奥の敷物の上にウロの黒い翼が見える。ウロは一人、背を入口へ向けて横臥し肩を穏やかに上下させている。見張りはいない。大丈夫、無防備だ。前回は料理長がいたずらで驚かせてきた。ウロに攻撃を加える前だというのに、侵入がばれて折檻された。
太刀はウロの手の届く位置に寝かされている。鞘に収まるその太刀は東方の品とラスクが言っていた。変わったものには目がないとか。
ウロはいつも腰紐に巾着袋をぶら下げているが、それも外していない。側近のつもりでいるオオアギによると、中身は石の鍵らしい。どこの鍵なのかは赤鴉の誰も知らない。縄張り内に鍵を必要とする場所もないし。赤鴉は金目のものを木箱に保管するか、穴を掘って埋めるので鍵なんて面倒なものは作らない。というか、そんな金銭面で苦労するようなことは王都で暮らす以外にあり得ない。だが、誰もウロが王都出身だとは口にしない。もしかしたらそうかもと思っても、ウロに問うてはいけない禁忌があるのかもしれない。
アレガは鍵をどうこうしようという気はさらさらない。
ここまでは、順調だ。ということは、油断ならない。ウロの寝息が聞こえる。確実に眠っている。アレガは腰に帯びた折り畳みの槍を抜き、即座に組み立てる。音に細心の注意を払う。
ウロの吐き出される息でさえ憎い。すり足で歩み寄る。靴底の擦る音が鳴ってしまった。それでも起きる気配はない。母ペレカの赤い髪を眼前に思い描く。屈託のない笑顔。だが、ここにはない。この女が父も母も奪った。鳥ではない俺を唯一受け入れてくれた人をこのカラスは殺したんだと怒りのままに、アレガは槍を振り下ろす。黒い髪で覆われたその、憎き首を刺す――はずだった。
舞う、紫の袖。槍の軌道を変えるのに十分な
眠っていた。それなのに、瞬時に攻撃を防いだのだ。アレガは槍を握り締めたままだったのでそのまま槍に持っていかれて転びそうになる。起き上がるウロの右手に握られた太刀の鞘が目に入る。アレガが視界に捉えたときには、脇腹に突き刺さる。鈍い音。アレガの指から槍が離れる。
アレガは苦し紛れに仕方なく殴ろうと右拳を突き出したが、ウロの翼が盾となって阻まれる。舞う黒羽。一度は守備に徹して閉じた翼が開かれた瞬間、風圧でアレガは後方へ吹き飛ばされる。
「何時だと思ってるんだい? おや、この腹の減り具合だとたぶん子の刻じゃないか。今日は早いんだね。あたしゃ、もうひと眠りしたいんだが」
ウロは目をしばたいてあくびをする。どこまでが演技なのかはアレガには分からない。アレガは起き上がるなり、
「あ、気をつけな。今日もお前さんが来ると思って、一番脆そうな家を選んだんだよ。そこ、床が腐っててねぇ」
「なんだって?」
みしりと軋む間もなく、陥没する床板。アレガの長靴は見事に踏み抜いた。片足がはまって態勢を崩す。そこへ、容赦なくウロは鞘で一度、二度ならず三度もアレガの腹を突いた。
「ぐへっぐはっぐっ」
もんどりうって腰を折るアレガ。
「いい加減お前も飽きないのかねぇ?」
アレガは唾を吐き捨て、ウロを眼光で射殺そうとする。この女は死ななければならない。今夜殺せなければ、明日殺す。機会がある限り何度でも挑むつもりだ。ウロは、冷ややかな目で見つめてくる。仲間を殺そうとすることは盗賊団の中とはいえ、許されない。それを毎晩繰り返すのだ、どんな体罰でも受けなければならない。だが、今日に限ってウロはため息をついて敷物の上で胡坐を掻いた。
「お前たちも、覗きに来てるんじゃないよ。見世物じゃないんだ。さっさと寝ちまいな」
アレガは目の端で入口に集まっていた野次馬を目にする。三つ子のスズメの斥候に見つかったのが気まずい。ラスクとオオアギも来ていた。アレガは目を白黒させる。オオアギは舌を出して下品に笑って去ったが、ラスクだけは心配そうにこちらを凝視している。アレガはその神秘的な紫の瞳に吸い込まれそうになる。
「心配で見に来たわけじゃありません」
「ラスク。んなこと分かってるっての。見世物じゃないぞ。ったく」
アレガは偶然にもウロと同じことを吐き捨ててしまったので、顔を赤らめる。
「お母様も、そろそろやめて下さい」
これには、ウロが声を張り上げた。
「なんだい? あたしが毎日こいつを虐めてるような物言いじゃないか? 今夜はましな方だよ! あたしゃね、
「ババア! ここに置いてくれなんて頼んでないからな!」
「なら出ておゆきな! 根性なしめ。お前は雛鳥以下だよ!」
そう言うなり手で追い払う仕草をする。アレガは他に罵る言葉がないか顔を真っ赤にしてぶつぶつ言っていると、ラスクは目を伏せるようにしてアレガから視線を外した。そのことでアレガは酷く胸打たれた。ラスクのことを幼馴染のように思っていたと自分で明確に認識した。それと別に、胸が締めつけられる心持ちもする。自分を恥じた。また、余計な心配をかけている。「ウロ様終わり?」「アレガ泣いてる?」「泣いてないつまんない」と三つ子のスズメが去る。
ラスクは去り際、「無理して挑まないで」と呟いた。
「してないし」
何が無理だと言うのか。ラスクが家屋から飛び降りるまで髪を見つめた。
ウロと取り残されてしまう。この方がいい。アレガは床をぶち抜いた足を抜き上げ、片膝を立てて座った。
「ふん、また真っ裸にされてワルミン川へ投げられたって、泣きつくんじゃないよ」
「泣いてなんかいないだろ!」
「どうだかね。あの娘たちは、戦士だ。かといって戦ってばかりじゃいられないからね」
アレガはなんとも答えない。猛獣が昼夜問わずうろつく密林で生きていく上では、班分けしていようとも誰もが戦闘を身につけた戦士だ。アレガはこの中で、奴隷(ヤナコナ)みたいなものだろう。
「今日はお前も手を抜いてたんじゃないのかい? 寝首を掻こうってんなら、槍をそんな大振りで振り回すことはないじゃないか」
アレガは鼻を鳴らし、答えるつもりはない。衝動に任せて無計画に襲ったことはこれまでに何度もある。
「あの神官どもに出会って気が立ってることぐらい分かるんだよ。そうさね、はっきり言っちまうとお前さんは奴らの言うとおり『ニンゲン』って生き物だよ」
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