第三章

3-1

 日が落ち始めた。


 十一人の女半鳥人(ハルピュイア)と、黒一点のアレガは警戒しながら移動する。密林を定期的に巡回するのは、一か所に長く留まって食物を食いつくさないようにするためでもある。だが、今回の移動は明らかに闖入者の目的を探るためでもある。森で住んだことのない者は必ず森に何かしらの痕跡を残す。


 拠点を畳んでからすぐにオオアギが何か見つける。


「乾いた血だ」


 オオアギは地上から上方の幹を見上げてアレガに囁いた。遠目に見ても大木の幹に茶色く変色した血の痕が見てとれることから、一刻以上が経っている血糊だ。


 ラスクとウロは三つ子のスズメに守られるようにして、木から木へと翼を広げて飛び移る。羽音を立てず、衣擦れの音は枝葉の音と紛れる。


 アレガとおりのオオアギは原生林を縫うように歩く。血は点々と土から葉や岩頭に付着している。湿気た土から立ち上るかすかな血の臭いを頼りにすれば、見失うことはまずない。木の上にいる衛生班の嗜虐医が幹に血がついていると今頃報告した。誰かを責めるような攻撃性のある顔で一人で怒っている。


「みな、注意して進みな。衛生班は何かあったときのために、後方を見張っておき。この辺り、枝がよく折れてるね。敵は複数人いた形跡がある。斥候班『三つ子のスズメ』は前を任せたよ。アレガはオオアギと隠れときな」


 同じ斥候班なのに隠れるのはごめんだと反論しようとしたアレガの口を、オオアギの指が塞いだ。アレガは息ができず、そのまま岩場に押し込められた。


「お前を守ってんだよ。感謝しろ! あっしは本当はお前の子守班じゃなくて戦闘班なんだからな!」


「俺だっでだだだいだび」


「弱ええ奴は戦わせない!」


 アレガは腹いせに、手近にあったオオアギの胸を触る。


「あ、馬鹿やめろって。あっしになんてことを。そこはやめ……ああんって馬鹿かてめー! そういうのは嗜虐医カーシーにやれ!」


「馬鹿はどっちだ」


「二人とも静かに。誰かが倒れています」


 ラスクは木群こむらから飛び移り様に呼びかけた。アレガが岩陰から頭を出し盗み見ると、誰かが蘭に囲まれた草叢はむらに転がっているのが確認できた。


「アレガ、二メトラム前方の木のところです。息をしているか確認して下さい」


「ちょ、三つ子は何やってる?」


「怖がってます」


 結局自分が偵察に駆り出されるのかと、アレガはしぶしぶ身を乗り出す。両足の膝から下がない遺体だ。足を斬られたことで亡くなったとしたら、惨すぎる。俯せの顔を仰向けにひっくり返す。胸から腹にかけ、刃渡り一メトラム以上ある刃物で斬られていた。致命傷となったのはこっちの傷だ。足は殺した後で切断している。この大きさの刃物だと先程、出会った神官の大鎌が想起された。これはあの神官の犠牲者か。あの神官、一体何を考えているのか。


「アレガこっち来てみろ」


 オオアギがさらに前に進み出て別の遺体を発見する。やはり両足がない。傷口が綺麗に切断されていることから、鎌の一撃で両足を切断したらしい。血糊が何メトラムも先まで続いている。這ってここまで逃げて来たのだろう。


 アレガはウロに報告する。


「間違いなくあの神官たちにやられてるぞ。ババア、ちゃんと聞いてるか?」


「静かにおし! それが本当なら油断するんじゃないよ」


 道なき道を進むと、頭上の木の枝が激しく損傷している箇所がいくつも見えた。追われて逃げた者と追う者がいたのだ。地上の土も目を凝らすと、四本指の足跡がいくつか確認できる。前の二本指が深く土に刻まれているので、追う側が前傾姿勢で走っていたのは確かだ。


 赤茶けた集落が木の上に見えてくる。土で固めた家屋があった。窓にはむしろがかかっている。十数人規模の小さな集落だ。三つ子のスズメが三人手分けして家屋を一軒一軒覗いて回る度にぎょっとして、悲鳴を押し殺している。「死んでるわ」「息してない」「血だらけよ」報告を聞いたウロも被害状況を確認しに家屋に上がり込む。


 ウロが着物の袖で口元を覆って出てきた。死体は一つ二つではなさそうだ。


「生者がいるか確認しな。今どきの神官ってのは、惨いことをするもんだね」


 シルバルテ村を壊滅させたカラスのどの口が言っているのか。アレガはウロにも分かるように鼻を鳴らす。


 結局、二十人の遺体が出てきた。家屋の周囲からも、足のない遺体が無雑作に転がっているのが複数発見された。


 小さな村の虐殺は大抵の場合、気づかれないまま村ごと消滅し闇に葬られる。


 アレガは集落の入り口付近に集められた遺体をまじまじと見降ろす。苦痛に歪んだ唇や驚愕に見開いた目。どれもこれも安らかな最期を迎えたとはいえない形相だ。


 ふと母ペレカの真っ赤な髪と、屈託のない笑顔が思い起こされた。側にあるアサイヤシの陰から、もうこんなに大きくなったの? 嘘でしょとか冗談半分に歯を見せて笑う気がしている。アレガは首を振る。光と呼べた時は二度と訪れないことを知っている。


 風の吹かない密林では、腐臭は遺体の周りで生暖かい空気に交じってわだかまる。ウロが村民の遺体を土に埋めときなとぼやいた。亡くなった者たちへ、遺体の片づけをしてやったんだ、感謝ぐらいして欲しいというような横柄さだ。実際に片づけるのはウロではないのだが。


 村民の切断された足は見つからず、持ち去られていると判明した。野蛮な行為だと女盗賊団でも思ったらしい、衛生班で「雪知らず」ことシマエナガのエナガが嘔吐した。傍にいた嗜虐医が邪魔だとばかりにエナガを足蹴にして叱った。エナガは顔から自分の吐しゃ物に突っ込んだが、泣き言一つ漏らさずワルミン川の支流で顔を洗いに行った。いつも強いなぁとアレガは思う。


 墓を掘るよう命令されたアレガは、その場で作ったすきを持たされて遺体を埋めた。班ごとに女たちは交代で休みを取ったが、アレガは一人で掘らされた。


 三つ子のスズメ三人に嫌われているので、実質斥候班として四人で動いたことはない。案の上、三つ子のスズメは三人で代わる代わるアレガの堀った穴に躓くふりをして砂をかけて行った。夜までかかった大仕事に、アレガの全身の筋肉が悲鳴を上げた。


 ウロとオオアギが進捗状況を確認しに来た。なんとか片づいたのでアレガは鋤を投げ出して座り込んでいる。


「終わったようだねぇ。今夜の宿はこの集落にするよ」


「お頭様、いいっすね。あっし、一番上の家もらっていいっすか?」


 オオアギが即座に賛成する。こんな誰かが死んだ場所で寝泊まりするなんてどうかしている。しかし、経験上アレガは知っている。殲滅せんめつされた村には敵はやって来ない。気をつけるべきはピューマや猛毒を持つクロドクシボグモといった生き物だろう。


 蒸し暑く寝苦しい夜になりそうだ。アレガは最後尾からラスクについて行った。オオアギとラスクはいつも一緒に寝床につく。ウロはいない。アレガはラスクの邪魔にならないように部屋の隅で眠るのだ。一人横になりつつも眠らずに、赤鴉たちが丑三つ時には眠るかどうかを思案した。

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