甑のまじない

産屋のまじない

 ここまで米を調理するための甑の歴史と、出産に関わる信仰、特に胞衣に関わる信仰について見てきた。ここからは本題である平安時代に行われていた甑のまじないについて見ていく。


 平安時代に行われていた甑のまじないは、出産中の女性の後産が下りない時に行われた。前に述べたように、後産が下りなければ母体は大出血し命を落とす危険が高まる。なので速やかな後産の排出を願い、ある者が母屋の屋根に甑を持って上がり、屋根の上から甑を転がして落とした。焼き物である甑は当然壊れる。これを三回繰り返せば後産が下りて来ると信じられていた。


 なぜ甑を屋根の上から転がして割れば、後産が下りてくると考えられたのだろうか。


 この問題を解くためには三つの要素を検討する必要がある。


 一つ目は屋根の上という場所

 二つ目は甑を壊すという行為

 三つ目は甑と後産を結び付けた理由


 それぞれについて何故それが選択されたのか、順番に見ていこう。


 まず一つ目の屋根の上、というまじないを行う場所の選択である。

 これには日本に古くから伝わる産屋の習俗が関係していると考えることができる。


 産屋もしくは産小屋とは、普段の生活の場から出産に伴う血の穢れを隔離するために出産に際して設けられた小屋を指す。平安時代の貴族においては出産のときに邸の敷地に別室が設けられ、天皇の子を産む皇后や中宮は内裏の外で出産した。


 産屋の記録は日本書紀神代にまで遡る。


 彦火火出見尊ひこほほでみのみこと(山幸彦として知られる)の子を身ごもった豊玉姫とよたまひめは、出産のための産屋を造るよう彦火火出見尊に願う。彦火火出見尊は言われた通りに産屋を造ろうとたのだが、鵜の羽で屋根を葺き終わらないうちに豊玉姫の臨月を迎えてしまう。豊玉姫は未完成の産屋で出産するのだが、その時、隠していた本来の己の姿を彦火火出見尊に見られたことを恥じて海の中へと去ってしまう。


 この豊玉姫の話は、むかしから産屋で出産が行われていたことを示すエピソードである。


 ここで屋根が鵜の羽で造られていることに注目したい。鵜は鵜飼という文化が古墳時代からあったことが知られている。狩猟の手段というよりも祭祀の一つだったようだ。祭祀に用いられる鵜は、その羽がまじないの力をもっていたと考えることができるだろう。産屋で行われるまじないならば、それは安産の祈りだったのではないだろうか。


 産屋の屋根は安産のまじないをする場所として、むかしから意味を持っていたと考えることができる。

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