胞衣を祀る神社

 胞衣を埋めるまじないは、病院での出産が当たり前となった現代においては必然的に実行が難しい。また明治時代以降、胞衣を土に埋めることは衛生上の理由から慎むべきである、という風潮もあった。


 埋甕のまじないは現在の社会ではほとんど消失した習俗といえるだろう。


 だが胞衣への信仰は別の形で残っている。それが全国にある胞衣を祀る神社である。


 有名な神社はいくつかあるが、ここではまず福岡県の宇美八幡うみはちまんぐう宮をとりあげる。

 宇美八幡宮には神功皇后じんぐうこうごう応神おうじん天皇を出産した場所だという伝承が伝わっており、境内には産湯に使われたという清水や、神功皇后が出産に臨んでしがみついた子安こやすの木、産着を掛けた衣掛きぬがけの森など多くの名跡がある。


 宇美八幡宮の境内には神功皇后の出産に産婆として立ち会ったこの地方の女性が、湯方殿ゆかたどのとして祀られている湯方社もある。今もこの湯方社には出産を控えた女性が訪れ、安産と産まれてくる子の成長を祈って小さな白い石を持ち帰るまじないが続いている。子が無事に生まれれば持ち帰った石に新たな石を加えて湯方社に返納する決まりなので、湯方社の前にはたくさんの石が積み重なっている。


 最も興味深いのは、胞衣を祀る胞衣ヶ浦えながうらというほこらである。

 胞衣ヶ浦も湯方社と同じく宇美八幡宮の境内にある。とはいっても、一度鳥居の外に出て宇美川という川を渡り小高い丘を登らなければならない。小高い丘の頂上近くに胞衣ヶ浦の祠がある。祠からは宇美八幡宮の本殿や周囲の町並みを眼下に一望できる景色が開ける。


 産屋から離れた見晴らしの良い場所に胞衣を祀るという習俗は、どこかイヌイットの胞衣のまじないにも通じるところがあるように思える。


 胞衣を祀る神社は大阪にもある。

 大阪城に近い玉造稲荷神社の境内には、末社として胞衣塚大明神が祀られている。この神社に納められているのは豊臣秀頼公の胞衣だと伝わり、だとすれば淀君の後産の胞衣だということになる。


 神功皇后の伝承は2~3世紀のもので、淀君は16~17世紀の人物である。

 時代が変わっても人々が寄せる胞衣への信仰は変わらずに連綿と繋がれてきたと言えるだろう。

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