胞衣と埋甕

 胞衣えなは生まれてきた子の健やかな成長を祈るまじないに使われた。


 胎児とともに母体から出てきた胞衣は水で丁寧に洗われてから特別な容器に入れられる。その容器は、家屋の戸口、縁の下、かまどがある土間やうまやの下など、居住空間の土中に埋められた。


 人通りが多い場所に埋められるのは、胞衣が多くの人に踏まれるほど丈夫な子になる、という言い伝えによるものである。厩の下に埋める地域では馬に踏まれると丈夫な子になる、とされているが、土中の胞衣の上を何かが踏んでいくことが子どもの健康のまじないとなる基本骨格に変わりはない。


 このまじないは病院での出産が当たり前になる1960年代を境に次第に姿を消したが、それまでは多くの家で行われていたことが知られている。


 胞衣を入れる容器はおけつぼかめ藁苞わらずとなど、各地で様々なものが用いられた。胞衣とともに米や昆布、針などが入れられることもあり、胞衣が祈りの対象として人々に大切にされてきたことがわかる。


 九州の博多には博多曲物はかたまげものという杉やヒノキを薄く削った木材で仕立てる容器が伝わる。炊いた米を入れるひつや重箱などの日常の品の他、華やかな絵が描かれている祭礼の曲げ物が特徴で、これを造る職人が無形文化財に指定されるなど由緒ある工芸品である。


 この博多曲げ物は、応神天皇の胞衣を納めた胞衣箱に由来するという伝承がある。

 むかし、神功皇后が福岡の地で応神天皇を出産したとき、胞衣を納めたのがこの地の曲げ物だったのだという。

 博多以外にも曲げ物の技術が伝わる東北地方に曲げ物を胞衣の入れ物にしている地域があったという記録が残っている。


 胞衣を容器に入れて土中に埋めるまじないは、縄文時代から続いていたと考えられている。


 縄文時代の竪穴式住居の遺跡において、戸口に甕が埋められているのが多数発見されている。埋められている甕を埋甕という。この甕に胞衣が納められてまじないが行われていたのではないか、というのである。


 各地の発掘調査から、埋甕は平安時代の住居まで途切れなく続いていることが明らかになっている。


 平安時代以降の民家には床や竈が出現し、住居の中に新たな信仰が生まれた。縄文時代からの埋甕の習俗は、時代の変化とともにその埋められる場所を変えていったと考えることができるだろう。

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