竈の信仰
平安時代に「竈神」として成立していた竈信仰だが、様々な形で今も日本各地に伝わっている。竈神の祭祀には女性が主体となって行われる例があり、男性の立ち合いが禁忌となる場合もある。これには中国由来の竈神の性質が関係していると思われる。
5千年前に稲作が始まった中国大陸では早くから文明が発達し、4千年前には最古の王朝である夏が誕生した。「竈神」の発生はこの夏王朝にまで遡ると云われるが、信仰がもっとも盛んになったのは唐の時代だった。
――竈神は美女の姿で六人の娘を持ち、毎月末に天に上ってその家の人の罪状を天帝に報告する。罪の大小によって人の寿命は短くなる。
この中国の竈神の姿は、遣唐使やその周辺の交流によって日本にやってきたのだろう。
一方で古墳時代に竈が朝鮮半島から伝えられときにも朝鮮半島を経由した「竈神」が日本にもたらされたと思われる。当時の最先端技術である竈への畏怖を伴う信仰と、竈が身近な生活道具になった平安時代時代に唐から伝来した竈神と、日本には少なくとも二度にわたり竈神の信仰が伝来したと考えることができるだろう。
さらには古墳時代と平安時代の二度にわたる「竈神」の伝来の間に、日本独自の竈神の信仰が作り出しされた。
現代に伝わる日本の竈神には、大きく二つの系統がある。
一つは中国の影響を受けた子だくさんの女神の系譜である。
中国の竈神信仰を引き継いではいても、日本では竈神が醜い女性の姿で怒りやすく気難しい神だとするところが多い。反面、きちんと祀ればその家に豊かな作物と財産をもたらす神でもある。さらには子宝を約束する神でもある。
もう一つの系統が、古事記や日本書紀に記される日本の火の神の性質をもつ系譜である。
記紀では、
このほかにも三宝荒神を竈神とする仏教の系統や、土公神を竈神とする道教の系統があり、人々もどれか一つの竈神を信仰していたというよりは、様々な要素が混ざり合ったその土地独自の竈神を信仰する傾向があった。
子だくさんの女神というイメージから男根の造り物が供えられたり、男女二柱の神のイメージから道祖神の要素も入ってくる。あるいは道教の三尸の蟲の伝承から庚申信仰ともつながったり、食料となる作物の豊穣をもたらす神のイメージから稲荷神や山ノ神・田ノ神の信仰と融合することも珍しくない。
コメを美味しく食べるための調理設備として甑とともに日本にやって来た竈は人々の生活に欠かせない道具となり、やがて日々の身近な祈りとしての信仰を造り上げていったと考えられる。
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