甑と竈

 こしきとともに日本に渡って来たかまどについても見ておこう。竈は竈神や三宝荒神さんぽうこうじんなどの信仰を生み出した、甑と同様に重要な日本の民俗である。


 竈は甑で食物を蒸すために強い火力を起こす装置として日本にやって来た。

 弥生時代の後半に甑と竈が朝鮮半島からもたらされたとき、竈の形態は二系統あったと考えられている。


 その一つが住居への造り付け、今でいうところのビルトイン構造の竈だった。


 住居の壁面に沿った一角を掘り下げ、そこに粘土を盛って竈を作るのである。竈の背面は住居の壁面に固定されるため住居内の竈の場所は変わらない。


 この造り付けの竈は、古墳時代前期に近畿地方に、古墳時代後期には東日本に広がって人々の生活に定着した。


 当初、甑のための火力装置だった竈だが、甑を外して甕だけでの煮炊にたきに使われるようになった。平安時代以降に鉄の羽釜が登場して近代のガスコンロに替わるまで、竈は民家の調理の場として長く使われるようになっていった。


 奈良時代の住居の遺跡からは竈の信仰の形跡が見つかっている。


 この時代の庶民の住居も竪穴式住居である。老朽化したり引っ越しなどのなんらかの理由で住居を放棄する時、竈の周辺で祭祀が行われた形跡が見つかっている。「竈神」と書かれた土器の皿や木簡が、砕かれた竈の破片ともに発見されているのである。「竈神」の信仰は、現在も全国各地で継承されている。


 朝鮮半島から渡って来たもう一つの竈の系統は、ポータブルな持ち運び竈である。


 ミニチュア土器として甑や甕とセットで見つかる竈がこの系統のものなのだが、このタイプの竈はあまり出土しない。このため、持ち運び竈は日常に使うものではなく、祭祀などの特別な時に使われたと考えられている。


 一方で、この持ち運び竈を多用していた地域があったことも知られている。


 古くは出雲国と呼ばれた鳥取県で発掘される古墳時代の竈は、ほとんどが持ち運び竈で造り付けの竈のほうが例外的な存在である。理由は明らかになっていないが、二系統の竈が伝わる過程でその地域特有の選択が行われた可能性もあるだろう。


 やがて使われなくなった甑や近代まで使われた竈のそれぞれに、平安時代までにはまじないの力が備わっていったのである。

 

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