さまざまな甑

 甑は、主にもち米の調理に使われた道具である。九州北西部に渡来人とともにやって来た甑は西に広がり、やがて東日本でも使われるようになった。


 ここで甑のまじないの意味にも深く関わる甑の形状について、もう少し見ておこう。


 まずは材質である。

 稲作以前の土器は野焼きを行う縄文土器だったが、弥生時代になると縄文土器よりも薄手の土師器はじきになる。甑はコメを調理する道具なので、日本で最も古い甑はこの土師器の甑ということになる。


 古墳時代になると半島から窯の技術が伝わり、高温で焼かれた硬くて丈夫な須恵器すえきが造られるようになる。日本の古代の豪族は自分の領地に渡来人を招いて窯を作らせ、須恵器の土器を生産していた。大阪の陶邑すえむら遺跡では特に大規模な窯業施設が発掘されている。


 陶邑遺跡で発掘された須恵器と同じもの、あるいは同様の特徴を持った土器は西日本だけでなく東日本でも見られる。当時、陸上や海上交通を用いて様々な物資の交換が活発に行われていたのだろう。


 この西から東へ、あるいは文化の中心から地方へとモノが移動する時、移動の時間が短時間であれば伝えられたモノと伝わったモノの間に差異はほぼ生じない。


 だが移動の時間が長かったり、伝えられてからしばらく時間が過ぎたりすると、伝えられたモノと伝わったモノの間には違いが出て来るようになる。


 甑においても地域によって形状の差異が認められる。

 形状の差異は、甑に付けられた取手の有無や大きさの違いの他に、蒸し器である甑の最も主要な部分である蒸気穴の形状に顕著である。


 朝鮮半島から伝えられたばかりの甑は、底に蒸気を通すための小さな円形の穴がいくつもあけられていた。この穴の形が次第に変化して、円形ではなく台形になったり、5~6個の大きな円形になったりした。挙句、東日本の遺跡では全く底が無い筒抜けの甑が生産されていた形跡がある。


 大きな穴が開けられた底抜けの甑。

 この形状こそが、甑のまじないが生まれた重要な要素になったのである。

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