コメが来た
コメが来た道
米の調理器具である甑を語る前に、まずはその米について知っておく必要がある。
我々は小学校のころから日本では弥生時代から稲作が行われてきた、ということを学習している。
実のところ弥生時代に稲作が行われていた、という言い方は少々誤解を生む。
稲作が行われた時代のことを弥生時代と呼ぶ、と言った方が正確だろう。
稲作に関する考古学的遺物の発見や再調査の結果によって弥生時代の始まりがいつだったのかは適時見直されている。このため、今もいつから弥生時代が始まったのか確定しているとは言えない状態にある。
それでも九州北部の板付・菜畑遺跡で発掘された水田跡から、今から約2500年前の紀元前500年ごろには弥生時代の早期に入ったという説が現在、主流となりつつある。
なお国立歴史民俗博物館は独自の炭素年代測定法により、さらに弥生時代の始まりは紀元前950年ごろにまで遡ると推定しているが、いまだこの見解は議論の最中である。
次にその米がどこから来たのか、という今回の本題である。
稲作の始まりは中国大陸の長江中・下流域であるとする説が有力である。
長江中・下流域で紀元前5000年前に始まった稲作は大陸に広がっていった。稲作の技術は伝播の経路にあった土地の文化や信仰を取り込みながら、やがて様々な儀式・風習を伴った稲作文化となって日本に伝えられた。
大陸から日本への稲作の伝播経路、すなわち「稲の道」には三つの説がある。
一つ目は中国江蘇省の藤花落遺跡周辺を出発点として朝鮮半島北部から南部へと伝わったのちに日本へ伝えられたとするもの
二つ目はやはり中国江蘇省の藤花落遺跡周辺を出発点とし、朝鮮半島南部を経て日本へ伝えられたとするもの
三つめは長江の下流域にある河姆渡遺跡周辺から黄海を渡り直接日本へ伝えらえたとすものである。
どれか一つの説が正しいというより、いくつかのルートで何回かにわたり稲作文化が日本に伝えられたと考えた方が実情に近いだろう。
もしかしたら、中国や朝鮮半島で改良されたいくつもの米の品種を吟味するような、そんな場面も歴史の中であったかもしれない。
美味しい米を求める日本の稲作文化がこうして始まった。
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