「良い子」な僕と「美しい」彼の、短くて長い初恋の話

坂東さしま

美しいものに惹かれる気持ちは純粋な。

 僕の初恋は、近所の一つ年下の男の子だった。

 ……いつから好きかだって?

 そんなの覚えてないよ。小学校へ上がるころには自覚していたけど、その前から気になってたもの。きっと出会った時さ。物心がつく前だね。

 くりっと大きなヘーゼルの瞳、長いまつげ。光がさすと茶色がかるふわっとした髪。ありがちな表現で申し訳ないけど、すらっと長い手足。彼は子供のころから、他とは抜きんでた輝きを放っていた。

 彼との大きな接点は、同じ剣道クラブに通っていたことだ。僕もその子も親が警察官で剣道をたしなんでいたから、気づいたらやらされていたんだ。

 先に剣道を始めた僕は、しばらくは彼よりも上手だった。試合だって負けなかった。

 

 それが逆転したのは、彼が小5、僕が小6の時だ。

 あの日のことは、しっかりと記憶に刻み込まれているよ。

 8月の18時からの稽古。地域のスポーツセンターの剣道場。

 当時はまだエアコンが設置されていなかった。今はあるけどね。昔の夜はここまで暑くなかったなあ。暑いことは暑いけど、エアコンがなくても生きていける程度だったよね。

 ともかく、みなが汗だくになりながら稽古していたんだ。むわっとした熱気と臭気に包まれた剣道場。ご多分に漏れず、彼も汗だくだったよ。

 でもね、時折盗み見る彼の汗は、僕には清水に見えていた。

 うなじから伝う清水。

 飲みたい。

 その気持ちを抑えながら、僕は稽古に参加していた。しっかり竹刀をふれば、そんな「悪い妄想」は消えると頑張っていたけど、全然消える気配はなくて、むしろ高まっていった。

 僕っておかしいのかな、病気なのかな。

 思春期ってやつだったから、僕は日々、彼に抱く気持ちに罪悪感を抱いていたんだ。親に隠れて誰かを想うこと自体、罪の意識があったんだよね。厳しい親に育てられた「良い子」だから。

 時間も覚えている。19時23分から僕と彼の練習試合が始まったんだ。

 ついこの間までは、余裕だったんだ。彼の動きなんて止まって見えるくらい。僕は結構、上手だったからね。

 ああ、僕も彼も、大人になってからも剣道は続けたよ。彼さあ、ほれぼれするくらい強くなったんだ。会うたびに惚れ直しちゃうくらい。直す、じゃないな。上書きされていくんだ、更新されていくんだ。負けるたびに。

 話がそれてしまったね。

 それがさ、余裕じゃなかったんだよ、その日は。動きが互角になってたんだ。いつの間にやらってびっくりしたよ。

 でも、全く焦りなんてなくて。つばぜり合いが気持ちいいんだ。

 嬉しくて面の下はずっと、笑ってた。彼の方は真剣そのものだったけどね。かといって、手なんか抜かないよ。そこは真面目だったから。

 ああ、負けるかも。

 って思った時には、すぱん、といい面が入ったよ。

 僕は思わず、そのまましりもちを付いちゃった。

 彼が僕の上から、大丈夫かと声をかけた。剣道場の照明が、彼の後光になっていた。

 美しい。

 小6の僕は自然と呟いていた。美しいなんて、初めて言ったんじゃないかな。

 ぽたり、と彼の汗が僕の面に落ちてきた。口に入らないかなあ。そのことが頭を支配した。

 初めて負けちゃったって僕が言ったらさ、初めて勝っちゃった、って彼は言ったんだ。 

 この時からだよ。彼への気持ちに罪悪感が無くなったのは。

 おかしくなんかないんだよ、病気なんかじゃないんだよ。

 美しいものに惹かれる気持ちは純粋な愛なんだ。


 するとね、邪魔なモノに気が付いたんだ。

 何かって?

 彼の周りをウロチョロする女だよ。こいつも近所に住んでたやつ。

 いわゆる幼馴染なんだ、彼と彼女とそして僕は。

 確信を持って言える。僕の方が先に彼を気になっていた。だって彼女より一つ年上で賢いからさ。

 僕と彼の友情に、女が割り込んできたのはいつだったかな。彼と彼女はいつからか、一緒に登下校するようになっていた。放課後だってよく遊んでいた。

 でもね、罪悪感を持っていた頃の僕は、仕方ないと諦めていたんだ。僕の彼への気持ちはおかしいかもしれないから、遠目で二人が仲良く遊んでいるのを眺めていた。

 あの女も別に悪い奴ではなかったし、僕も「良い子」だから仲良くしてやってたけど……。

 邪魔になってからは、憎らしくなった。

 殺したいってこういうことなんだね。

 何度も言うけど、僕は「良い子」で親は警察官だ。本当に殺すことなんかしないよ。気持ちの話だ。

 それより、彼と僕の友情と愛情を深めればいいだけの話なんだ。あの女を上回るほどに、僕への感情を高めればいい。

 僕は以前よりも積極的に、彼に話しかけたり、遊んだりしたんだ。

 君の理想に近づきたいなんて歌もあったよね。その通り、僕は彼の理想にも近づこうと努力した。

 自分で言うのもなんだけど、美人でしょ、僕。

 生まれつきでしょう、だって?

 話を聞いてないな。「彼の理想にも近づこうと努力した」んだ。子供に整形なんてできっこないから、鏡をみるたびに美人だ美人だって自分に魔法をかけたのさ。彼が好きだっていうアイドルとか聞き出して。

 そしたら、ほら。誰もが振り向く美人になれたの。試してごらん。

 でもさ、おかしいんだ。

 僕が彼の理想に近づくたびに、彼は離れていく。どういうことなんだろうね。自分の理想が近づいていったら、近づくものでしょ。

 中学に入ってから、あいつらはどんどん近づいていくのに。

 僕と彼は遠くなっていく。

 焦ったよ。

 彼の気持ちを僕に向けるためにはどうすればいいか、いろいろ考えた。なぜあの女なのか、観察した。

 するとさ、あの女ってずるいんだよ。「友達」がたくさんいるの。男女問わず。いつもいろんな人と遊ぶんだ。

 一方彼はさ、美しいけど口下手だから友達ってあんまりいないんだよ。大人になってからもそう。信頼できる一握りの人間だけ。例えば僕とか。

 女は彼を、いつもやきもきさせていた。つまり嫉妬さ。

 嫉妬。

 いつ彼女が自分から離れていくかわからない不安。

 これだと思ったね!

 ほら、僕は彼しか見えてないから、簡単に手に入る人間なんだよ。それよりも難しい相手の方が燃えるだろ。

 僕も難しい人間になろうと決意した。つまり、彼に嫉妬される人間さ。

 女を見習って、いろんな人間と付き合ってみたよ。友達じゃなくて「お付き合い」の方ね。

 この頃には厳しい親なんかどうでもよくなってたよ。うわべだけ繕っておけばバレない。だって表面しか見えてないんだよ、あいつら。

 僕の予想では、数少ない友人の僕が遊びにくくなって嫉妬する、と思ったわけ。

 でも、全然。なんでかな。おかしいよね。僕と遊べなくなっても寂しそうな顔ひとつしない。初めて彼に腹が立ったよ。

 

 努力むなしく、高校生になった。この時ほど、彼と同い年か年下であればよかったと思ったことはないね。浪人も考えたけど、「良い子」だから辞めといたさ。こればかりは、どうしようもなかった。同じ高校にはならなかったんだ。

 僕より勉強ができる彼だから、地元でも有数の進学校へいくだろうと思っていた。

 そしたらだよ、ほんと信じらんない!

 彼は僕よりも学力のないあの女と、同じ高校へ入学した。レベルを下げまくったわけだ!

 剣道はお互い続けていたから、接点はそれだけになってしまった。僕はそれ以外の交流を持つために必死になったよ。同じバイト先に入ったり、毎日メールしたり、学校の前で待ってたり、あらゆる手を使った。

 理想もそうだったけど、僕が距離を詰めるごとに、彼は離れていった。

 逆に、彼と女はどんどん距離が消えていく。高校の頃には「ゼロ」だよ。そんなの見てればすぐわかる。

 大学は彼と同じところに進学した。高校は浪人するわけにいかなかったけど、大学は許されるだろ?彼と同じ予備校に通って、志望先も聞き出して、彼の成績も把握した。

 ……すごい大学?

 実を言うと、大学受験はかなり大変だったんだ。さっきも言ったけど、彼は僕よりも勉強できるから。さすがに大学は仕事を見据えて、女と同じにはしなかった。そこはちゃんとしてるよ。

 将来を考えていて好きだなあ。って思ったこともあったけど、それは女との未来だった。

 俄然、やる気が出ちゃったね。

 愛の力は偉大ってほんとだよ。ないはずの学力が生まれてしまって、親もびっくりしてた。

 僕があの大学受かった時なんて、何度も「嘘だろ」って。合格の証拠見せても、しばらく信じらんなかったみたい。ま、僕本人もその気持ちはわかるけど。

 愛は偉大だと実感した出来事だった。


 それでも距離は縮まらない。同じサークルに入ってもダメ、たくさん遊びに誘ってもダメ……。

 嫉妬されるように他人との「お付き合い」は継続していたけど、効果なし。っていうか、僕自身が疲れてしまった。彼以外の人間と過ごすストレスに耐えきれなくなって、心の健康を損ねてしまったんだ。

 大学2年生の後半ごろから、僕は自分でも何をしているのか分からなくなってきていた。

 彼を諦めるべきなのか。

 そんな考えがちらつくようになり、僕は彼と距離を置くようになった。

 でもね、距離をおいても彼は僕の前に現れるんだ。

 サークルは辞めたし、授業もほとんど被らない。剣道も通わなくなっていたし、僕は彼に会わないように気をつけていた。

 はずなのに、毎日のように大学で彼を見かけるし、大学の外のコンビニとか、駅とか、いつでもどこでも彼はいる。これってさ、やっぱり彼と僕は繋がってるってことじゃないかな。そうとしか思えないよね?どう思う?

 ……どうも思わないの?感情死んでるんじゃない?

 まあいいや。大学3年生の夏休み、僕は剣道を再開した。

 道場に彼はいたよ。彼は真面目に剣士を続けていたのさ。子供たちにも指導するようになっていた。

 しばらくぶりの竹刀は、僕の手のひらを押し返すような感覚があった。ずっと握ってなかったから、拗ねちゃったみたいだったね。

 ごめんね、って謝った。一番、僕が心を開いているのはこの竹刀だった。コイツは僕の良い顔、悪い顔、全部知ってるんだ。生活の中で思い煩うことのない、生まれたままの魂でいられたのは、竹刀を振っている時だけだったのかもしれない。

 ああそうか、だからだ。彼への気持ちが病気なんかじゃないと気づけたのは。

 彼も僕も、まっさらな魂の状態でぶつかり合った。女はそんな魂で彼と交流したことなんてあるのかな。

 いや、絶対ないね。

 この世で僕だけだ。彼と混じりけのない心で渡り合ったのは。

 ……他の剣道道場の人はって?

 変な横やり入れるね。揚げ足取りが好きなんだから、君らみたいな人種はさ。ほんと嫌い。

 彼と真正面で向き合ったのはいつ以来だろう。僕は記憶を辿った。

 ああ、彼を初めて美しいと言った日ぶりだ。もちろん、それまでに稽古や試合で向き合っているかもしれないけど、それは姿勢のことで、今話しているのは魂の事だよ。

 子供の頃は僕の方が背が高かったのに、いつの間にやら逆転された。それがいいんだ。僕を見下ろすのが。

 すべてにおいて、彼に勝てる要素なんてない。それがいいんだ。ぞくっとするんだ。彼に負けていたいんだ。

 あ。

 彼に勝てることが一つだけあったよ。

 一途さ。

 物心つく前から彼一筋の気持ち。これだけは彼にも女にも負けないさ。

 お互い成人になってからの、まっさらな魂の交流が始まった。僕は、彼の美しさを再認識させられた。より美しくなった彼を、僕は欲しくなった。

 ちょうどこの頃、彼と女は小さな仲たがいをしていた。女と僕はほどほどの距離を保ち続けていたから、その情報は女から直接聞いたのさ。幼馴染の僕にしか相談できないって話。

 人間ってさ、実はアドバイスなんて求めてなくて、ただ話を聞いてほしいだけなんだ。僕はただ聞いて、すごく適当なアドバイスをした。女は話したかっただけだし、様子からすると、二人は終わる感じがした。具体的な理由は彼の尊厳のために省くよ。

 このまま破局すればいいさ。

 絶対そうなると信じて、しばらく過ごしていた。

 結果、そうはならなかった。あの女、よくある「すごく適当なアドバイス」を実行したんだよ。そんな人間いるんだって呆然としちゃったねえ。しかも一般的な助言って効果あるんだってことも知った。馬鹿にできないよ、人生相談。君も何かあれば参考にしな。

 大きな障害を乗り越えた二人って、結構、強いんだよね。僕は彼と諍いなんて起こしたくないから、そうやって付き合ってきたけど……。

 僕は考え方を変えた。彼を振り向かせることしか考えてなかったけど、そうだよ、女の心を変えればいんだって!

 それから僕は就職活動と並行して、女の心を彼から剥がす方向にシフトした。彼と同じ職場に入りたいから、そっちも頑張らなきゃあ行けなかったのさ。

 ……そうそう、キャリアになるのって大変だよね。君もそうなのかな?ああ、違うの。

 勉強でわからないことが出てくると、すぐ彼に聞いた。一緒に図書館で勉強もしたなあ。お弁当作ってあげたりしてさ。

 ここでもないはずの力が発揮されて、僕は晴れて彼と同じ……ああ、話がまた逸れちゃったね。

 仲直りの一件で信頼が厚くなったからさ、簡単よ。彼の不正をでっち上げればよかった。

 そんなの信じるわけないって思うでしょ。

 信じるんだなあ。

 積み重ねが大事でね、社会人1年目の終わりには効き目が見え始めた。

 彼がいくら潔癖の証拠を示しても、それを覆す証拠が出てくる!なぜだろう、不思議だあ。

 修復したはずの仲に亀裂が生じる。女から電話やメッセージで実況中継してもらってたんだけど、毎日ゾクゾクしてたよ。直木賞より芥川賞よりノーベル文学賞よりアカデミー賞よりカンヌより!どんな物語より面白かったねえ!

 ……あ?人の不幸を楽しむなんて?同じ立場になってみればわかるよ、僕の気持ち。人の不幸は蜜の味って言葉知らない?

 ……知ってる。まあ、立場上そう言わなきゃね。

 そんなわけでさ、彼らはまた修羅場。しかしまあ、なっかなかお別れはしてくれないわけだよ。

 逆に気持ち悪くなってきたよ。執着じゃん。特に女。散々、彼の「不正」に文句つけといてさあ!

 なんで結婚するわけ?

 もう彼らのこと理解できなくなって、僕の心は折れてしまった。

 周りがすすめるままに、僕は28で結婚した。

 

 とまあ、散々いい散らかしてきたけども。

 これだけはっきり告白しても怪しいかい?

 むしろ潔癖じゃないか。これまで誰にも語らなかった初恋の思い出を話してやってんだからさ、包み隠さず。恥ずかしいったらありゃしない。これだけ辱めを受けてやってんのに、まだ疑われてるわけ?

 今では文字通り、「幸せ」な家庭を築いている。

 それにさあ、何度も言うように、僕は良い子で、親は警察官だ。知ってるだろう。

 君らのトップじゃないか。

 僕は殺してない。

 ……まだ信じられないのかい?

 僕だって家庭があるんだ、絶対に殺しなんてしない。

 状況から見て、彼らが勝手に殺し合ったんだろ?

 あんなに深い絆で結ばれてたのに、むしろ僕が絆を強くしてやったのに。恩を仇で返すような事してさ。人間関係なんて、もろくて儚いね。

 

 はあ。そこに至る「積み重ね」があったんだろうねえ……。

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