1000字感覚で読めるエクストリーム粗大ごみ物語

あいんつ桜

本編


俺はミツル。近場に出来たほっこり弁当のロゴが入った袋をカゴに入れて、桜散る遊歩道を自転車で颯爽と駆ける。

「あたしゃカレーしか作れねえ女~♪」適当な替え歌を口ずさみながら、目的地目指してペダルを踏む。


いま走っているのは狭い一方通行の道路だ。ここは住宅街になっており、狭い道のわりに建売やらマンションやらが密集している。


そのひとつ、堂場マンションというご近所では名の知れた場所のエントランス付近から、四、五人の老若男女が道路をはみだして何やら口角泡を飛ばして発言していた。いや訂正。よくよく見ると、四人の成人男性しかいなかった。


「とにかく持って行ってもらわないと、困るんですよねえ」偏屈そうな小柄の高齢者が不満げに口にする。


「しかし、規定ではちゃんと申請していない粗大ごみは回収できないことになってるんですよ」青い作業着を身にまとった顎の細めの背の高い男が応じる。


「でもマジおかしくね? これ変じゃね? このケースやけに臭えし」髪がボサボサの男が口をはさむ。


「僕もね、これおかしいと思うんですよねー…、ああ、こわいこわい。ちゃんと真面目に働いているのに、どうしてこんな目に遭うのか」同じ青い作業着をまとった背の少し曲がった初老の男性も合いの手をいれる。


よくよく現場を注視すると、マンションのエントランスのむかって左側は壁で、右側が通路に面したゴミ置き場となっており、普段はしっかりコンテナが置いてあって施錠されて中のゴミの様子がうかがえないのだが、コンテナの隣にでんとギターケースが鎮座している。


(たぶん、この連中はギターケースの処分に困って顔を突き合わせているのか……それより道を塞がれちゃたまらないな)

俺が自転車から降りて手押しで、この住民が湧いた道路の隙間を横断しようとすると、不意に声をかけられた。


「あっ、キミキミ、ちょっと暇してる?」

「えっ、あの、僕のことですか?」思わずカゴの袋に向かって手を伸ばす。それを見た高齢者が俺をたしなめる。


「別に君の弁当を食べようってつもりじゃないんだよ。君にさ、この謎を解いてもらいたいんだがね」

「小田さん、何を言い出すんですか。赤の他人ですよ」顎の細い作業着の男が割って入る。

「なに、こういうのは第三者の意見を聞いたほうがいいケースもあるんだ。岡目八目とも言うじゃないか滝芝さん。な」


さすがに無茶ぶりだと思わずにいられなかった。ただの通りすがりの俺が、マンションの住人の問題の一体何を把握しているというのか。それより高齢者の白髪たっぷりのじいさんが小田、顎の細い青の作業着をつけた男が滝芝という名前であることはわかった。


「ああ、それナイスアイデアかもしんないですね。小田さんじゃおじいさんで頭の回転遅いし、俺はただのバカだし、丁度良い人材じゃないっすか。あ、俺サルジローっていいます、よろしく」


「誰の頭の回転が遅いじゃ!」小田さんが杖を振り上げながら応じる。サルジローはジョーク、ジョークと言って相手をなだめる。どうやらサルジローはボサボサ頭に不釣り合いな人懐っこい性格をしているみたいだ。


「ほら、稲美さんもこっち来て」小田さんに声かけられ、反対側の道の脇で十字を切って何やら真言を唱えている感じの青い作業着の初老のじいさんが、真言の続きをぶつぶつ言いながらこっちへ来た。


「あんたは何てお名前かの?」

「はあ、ミツルって言いますけど」俺は尋ねられ、漏れてもどうってことない個人情報なので、遠慮なく開示した。


「じゃあミツルさん、あなたには犯人捜しをしてもらう。ここにあるギターケース。これはもう気づいた時にはコンテナの横にあった。粗大ゴミのシールも貼られずにな。わしが気づいてから、かれこれ三週間が経過しようとしている。ケースからは変な臭いもするし、住民も迷惑しておる。滝芝さんにいいから持っていてくれとせがんでも、聞き入れてもらえない」

ということは滝芝さんはゴミ清掃員なのか。ゴミ清掃車もないのにここにいるということは、小田さんのわがままで呼びつけられたに違いない。同じ服を着た稲美さんもそうなのかな、と状況を把握した。


「だって、粗大ゴミの申請も一切しないで回収しちゃったら、悪い先例を作っちゃうじゃないですか。真面目に粗大ごみの申請をしてお金を払ってシールを買って指定された期日に出す人々がなんか馬鹿みたいになっちゃうじゃないですか」

滝芝は腕組みをして、不満顔で意見をのべる。


「さあ、わしからの情報は以上じゃ。一体誰がこんな真似をしたと思うミツル君」


(えっ、もう俺のターン? それだけ? 情報それだけ? 与えられた材料が少なすぎる……! こんなんホームズでも無理だろ、いやエスパーですら「この件は僕の手には負えない未来がハッキリ見えます」ってトンチみたいな事言ってさじ投げるレベルじゃね?)俺はさきほどまで鼻歌をしつつ自転車を漕いでいたのが嘘のような理不尽な状況下へと追いやったこの奇天烈な発想を得意とする小田氏に並々ならぬ憎悪を抱かずにはおれなかった。


しかし皆、なぜか俺を好意的なキラキラとした視線で見つめている。まるで俺がこれから快刀乱麻の推理を披歴し、おおさすが期待どおりの若者であった、これで皆安心して平和に暮らせる、というリアクションを準備しているような態度である。


俺は左手を腰にやり、右手の指で顎先を押して、何がしか頭の中でいろいろ推理を組み立てているようなポーズをとった。だが、しょせんポーズである。頭の中ではこの状況をどう切り抜けようとしか考えておらなんだし、それに俺はもとより探偵じゃない。


一分が経過した。冷や汗がたらりと流れる。にっちもさっちもいかなくなったこの状況に、マンション前の道路から線の細い男の声が響き渡った。


「ちょっと! 何マンションの入り口前でたむろってんですか! そこにいると僕が入れないじゃないですか」

声のするほうを見ると、カビくさい登山リュックに荷物をパンパンに詰めた青年が、ビーズを巻いた茶髪姿で両手に荷物を抱えて立っていた。


ここは都心からは少し離れた片田舎。いかにも上京したけど何の成果も得られず実家に帰ってきました風のたたずまいである。


現況に起きたわずかな変化。とるにたらぬ変化。

ただこのときの俺は、これを状況を打開する一手にしてやろうとヤケクソになっていた。


「皆さん! 犯人はこの青年です! 間違いありません!」


どうせもらい事故で参加することになったこの井戸端会議。もらい事故の被害者をもう1人増やしてもいまさら何の問題もあるものか。「ちょっ……犯人って、一体なんのことですか?」当惑する青年。


小田さんがここぞとばかりに烈火のごとく怒る。

「貴様かっ! ギターケースを粗大ごみのシールも貼らずにゴミ捨て場に放置した不届き者は!」

「ちょちょ、この人別に関係なくね?」サルジローが半笑いであわてて、張り詰めた空気に、良識の風をいれる。


「ギターケース……粗大ごみ……」青年はぶつぶつと指摘された内容を反芻する。

「じゃ、僕は用事があるので」ピッと手刀を切って、はいはい道をあけて、帰ります帰りますのアピールしていた俺だったが、サルジローは俺の後ろ襟をむんずと掴んだ。

「ちょっとミツルさ~ん。どこ行くんすかあ? まだ問題は解決してないでしょ」

「う……」言葉に詰まる俺、と青年。

「あなたですかね? ギターケースを無許可でゴミ捨て場に出した人物は?」滝芝が問い詰める。


「………申し訳ありません! 僕がやりました!」ドデカいリュックを背負ったまま、青年は土下座した。リュックの重みで額が地面にごっつんこしている。

俺は、なになに? 何が起こったの? と今起きているシチュエーションに唖然としていた。


そして青年はこちらが催促してもいないのに、犯行を自供する。

「……実は、僕が実家に帰る連絡をいれたとき、世間話みたいに母親から『そういえばあのギターどうする? 場所ばっかり取っちゃっていい加減捨てたいんだけど』って持ち掛けられたんです。僕は了承して、母に頼んでおいたんです。もう音楽の道に進むのは諦めたから、ギターは処分してもらってかまわない、と」

「それで、どうして粗大ゴミのシールを貼らずに捨てたわけ?」

「それは、きっと母がいい加減な性格のせいだと思います。米は一合間違えて炊いちゃうし、雨が降っても洗濯ものは取り込まないし……」

「じゃあ、いますぐ部屋に持ち帰って、申請しなおしといてよ」滝芝がやれやれといった表情で話す。

「はい、どうもご迷惑をおかけしました」


「やったじゃないですかミツルさん。あんた同じマンションの住民も知らないこんな青年の事情まで把握していたんですか? いやはや脱帽モンですよ、いや、俺の場合は脱パーマかな」

「え? いや、まあ……そうですね。こんなものは屁のツッパリにもなりませんよ」俺は虚勢を張った。

やった、なんだか知らないけどうまくいった。これで謝礼のピン札1枚でももらえれば言うことなしだが、そう贅沢も言ってられまい。俺が停めた自転車のカゴに入れた袋のほうも気になるし。


俺が辞去しようと会釈をしたタイミングで「タカシ!」という大声がエントランスの奥のロビーから響き渡った。


その声に青年は驚き、目を見開き、「母ちゃん……」とひとりごちた。


どうやらこの青年はタカシという名前で、ロビーから登場したこのおばさんはタカシの母親らしい。


「あんたどうしたの? マンションの玄関前でおろおろしちゃって! 何? またひと様にご迷惑おかけしたの?」

「迷惑かけたのは母ちゃんだろ! 俺のギターをこんな無造作に捨ててくれちゃって」

「ギター? は? なんのことかいね」

急に場に戸惑いの空気が流れる。

タカシは言いつのった。

「だから、ギター。外にあるの僕のでしょ? 帰るタイミングに合わせて処分しといてくれって」

「あーあーあー、言ってありましたなそんなこと。すっかり忘れておったわ……忘れておったから、まだギター処分してないんだけど?」

「え? そうなの?」

「母ちゃんが嘘ついたことあるか? うっかりは山ほどあるけどな」


場に白けた空気が流れる。サルジローと小田は白い目で俺のことをじっと見ている。うっ、視線が痛い。


「なんだ、よそさまのギターのことで揉めてたの? まあ勘違いは誰でもあることだし、家にお稲荷たくさん作っておいたから早く帰っておいで」

「すいません、じゃあ、僕はこれで……そのギター、僕のじゃなかったみたいです。まあ十年前のモノだったし、ケースの色形もよく覚えてなかったし。失礼します」

ロビー脇の階段をつかって、二階へと昇っていき姿を消したタカシ親子。


小田さんはチッと舌打ちして「ふりだしか」とボヤいた。


「ちょーっと、ちょっと、ミツルさん!」俺が自転車のハンドルに手をやりかけたところで、サルジローのストップが入った。

「なに帰ろうとしてんすか。まだ犯人捜しは終わってないですよ」

「あ、ああ~っ、犯人、ですよね。そういえばそんなのいましたよね」俺はわざととぼける。

「ミツル君、名探偵の君がそんな弱腰でどうするんだ。ワシは君がどうしても犯人捜しをしたいと立候補するから、君の参加を認めたんだ。それがこんなていたらくじゃ、名探偵の看板に傷がつくとは思わんのか」小田がぐちぐちと俺を罵倒する。


(だ・か・ら! 別に俺探偵じゃねーし! それに立候補しただって? 勝手に都合よく記憶改ざんするのやめていただけますぅ? 俺の失態を嘆くよりまずは自分の脳みそにある委縮した海馬の状態を嘆いたほうがよくないすか?)喉元まででかかったセリフだった。


「ま、まあ常識的に考えて僕にわかるわけがないじゃないですか。ただの通りすがりだし……」

「いや! ワシの目に狂いはない! あんたこそが犯人を突き止める希代の預言者だ! いや神だ! ほれほれ、犯人を見つけてみろ!」


なんだこの白髪ジジイは。さっきから理不尽なことばっかり言いやがって。なんかだんだんムカッ腹が立ってきたぞ。俺は「……わかりました」とつぶやいて、俺を煽る小田さんの鼻先に自分の人差し指を突き付けてやった。


「犯人は小田さん! あなただ!」


「な、なにぃ! ワシが犯人だとぉ!」途端に目が血走る小田。

「ほんとっすか、ミツルさん? その根拠とは一体?」サルジローが合いの手をいれるように先を促す。

「小田さんは、僕をこの問題に巻き込んだ張本人です。僕が赤の他人という立場に関わらずね」

「そ、それが何だというんだ」小田が反駁する。


「赤の他人を探偵役に仕立てて、犯人捜しをしようと思った理由は明確です。このギターケース問題は、むしろ事情通な人間ほど、むしろ容易に犯人を割り出せてしまうからです! 小田さんは自分が犯人であることを悟られたくなかった。だから赤の他人の僕を無理やり参加させて、僕に間違った推理を披露させて、何の罪もない第三者を犯人にでっちあげようとしていたんです!」


しゃべりながら、自分でもあからさまに適当なことを言っているな、と恥にまみれて悶えそうになった。

こんな薄いロジックは、たちまちサルジローのツッコミひとつで崩壊してしまいそうな詭弁同然のものだった。

だが、説明を聞いた小田は、血走った目をわなわなと震わせ、歯の根を震わせ、そしてとうとう、己を支えていた杖をカツーンと落とした。


小田は両手をエントランス前のマットに置き、ぽろぽろと涙を流してこういった。


「すまんかった……ワシだよ。ワシが全部やったんじゃ」


その場にいた俺、サルジロー、滝芝、稲美ら全員が「え―――っ!」と叫んだ。エントランス中に響く大音声であった。

一足早く冷静を取り戻した滝芝が、そっと小田に身を寄せる。

「小田さん……なんであなたがこんなことを?」

「みんな……わしの虚栄心が引き起こしたことだったんじゃ……。わしは今から五十年前に竹松芸能の漫才コンビ『おでんこでん』のこでん師匠として活躍し、世間の注目を浴びたことがあった」


「『おでんこでん』? 聞いたこともないんだけど」サルジローの突っ込みに対し、稲美が割って入る。

「あ……あの、僕は知ってました。世代じゃなかったけど、小さい頃によくテレビでお見掛けしておりました。」

「そう。わしらの漫才は一世を風靡したとしてもせいぜい二年ぐらいの栄光じゃった。でもお笑いをストイックに追及した個性派コンビとして、一部の熱狂的ファンの間では今も語り継がれるほどじゃ。この堂場マンションが有名なのは、わしのおかげと言ってもほぼ過言ではない」

堂場マンションに知名度がある程度あったのはそういうカラクリがあったのか、と俺は納得した。しかし今の若者世代にとっては、神奈川にあるグラバー邸のレプリカを眺めるように、なぜかよくわからないが有名なものなのだろう、という意識しか先行してないのが実情である。


「だけど、その知名度が何だっていうんですか? なんでそれが粗大ゴミを違法投棄した理由になるんです?」滝芝が訊く。

「君らにはわかってもらえないかもしれないが、時折、聖地巡礼と称して堂場マンションを見学しにくるじいさんばあさんが時々現れる。さすがにインターホンまで押してくる無粋な輩はいないが、彼らは無断でマンション内を徘徊し、あろうことかSNSで『朝の十時頃に、こでん師匠宅の近くから下手糞なギターの音が漏れ聞こえてくる。老人の朝は早いとはいえ、こでん師匠が静謐に過ごせる環境づくりに貢献してほしいものだ』などと書きよる」

「その下手糞なギターを弾いてた張本人って、小田さんのこと?」サルジローが期待の笑みで尋ねてくる。

「その通りじゃ! 若い頃のわしはお笑い一筋でほかの趣味にはまるで目を向けてこなかった! だが齢七十五を過ぎて初めて迷いが生れたのじゃ。このまま何も世間を知らぬまま逝ってしまってよいのかと。そこでたまたま散歩して見つけたリサイクルショップにあったギターを見つけて購入して、見様見真似で弾く練習を始めたのじゃ! ……爽快じゃったよ。まるで額にもう一つの目が浮かび上がるみたいに視野がどんと開けた」

「でも、下手糞なままだった?」サルジローがいらん合いの手を入れる。

「そうじゃ。いかんせん始めるには遅すぎた。ピックをかき鳴らすだけでも楽しいのに、コードを抑える手の指はもうロクに力も入らない。わしのギターから生み出されるのは不協和音ばかり。そのうち同じ階にいる住民もちらほらわしが弾いているのではないか、と勘づくようになった……と思う」


「思う?」俺が聞き返す。

「『思う』だよ、あくまで憶測じゃ! だからこの憶測が確信に変わる前に、いちはやく手放す必要があると思ったんじゃ! だから名残惜しい気持ちもあったが、三週間前の深夜、ギターをケースにいれてこっそりロビーへと降りていき、コンテナの脇に放置したんじゃ」

「なんで粗大ゴミ申請しなかったんです?」滝芝が訊く。


「その申請を受け付ける担当者が、ひょっとしたらワシのファンである可能性があるかもしれんじゃないか! そこの稲美さんのように!」

その場にいた小田以外の全員が口をあんぐりと開けたまま絶句してしまった。

そんな可能性、たぶん人が雷にぶち当たる確率よりぐっと少ない。

「いえ……僕は別に熱烈なファンというわけでは……」稲美も情報を補足する。


俺はとりあえず話を進めようと思った。

「それが粗大ゴミの不法投棄の真相ですか……でも小田さん、ギターとケースだけを放置しただけじゃ、こんな鼻のひんまがるような臭いを放つはずがないですよ。これは一体どう説明するんです?」

「そ、それは……捨てると決心した日の昼に作ってたあんずジャムを焦がして失敗してしまったから、ついでにと思って……ジャムもケースに入れたんじゃ」

「あんずジャム?」サルジローが気圧されたように呟いた。俺が追及する。

「いや、これはジャムみたいな甘い匂いとは別ですよ。もっと、こう生物が生理的に嫌がるような、なんかこう、どこかで嗅いだことのあるような……」

人によって嘔吐感をもよおすような刺激臭がギターケースから発され、道路中央まで拡散されており、道行く人々をしかめっ面にさせていた。

「小田さん、これ本当にあなたが捨てたギターケースですか?」俺が確認のため尋ねた。


小田は鼻を抑えながら、ギターケースのそばまで寄っていて、そのケースの外装をまじまじと見た。途端に声をあげる。

「こ、これはワシのギターケースじゃない!」

小田の発言に一同どよめく。

「わしのケースにはネック部分にこんな小さな十字傷などついてはおらんかった。それに金具部分の構造もよく見ると違う」

「えっ、てことは何? 誰かがギターケースまるごと入れ替えたってこと?」サルジローがほくそ笑みながら応じる。

俺は「とりあえず、このケースの中を開けてみませんか?」と提案した。

提案しながら、俺は内心自分の言動に後悔していた。俺がしゃしゃり出なければ、このギターケースは小田さんのものと勘違いされたまま、小田さんが申請し直すことで事態は収束に向かっていたはずである。俺は今更ながら、場の空気をなんとかしようという自身の協調性の高さと人並以上にある知的好奇心について呪った。

「いやっ、ミツルさん。そいつはマズイですよ。やめといたほうがいいって」

急にイケイケドンドンな性格だったサルジローが難色を示した。どうしたんだ一体。

「えっ、なんで? なんでケースの中身を開けちゃいけないの? 見た感じカギもかかってなさそうだし」

「いや、この刺激臭マジヤバイじゃないですか。中に食虫植物とか潜んでて、開けた瞬間ミツルさんが頭から食われたら俺寝覚めが悪いっす」


そう言うサルジローの目が泳ぎに泳ぎまくっている。開けたら自分の立場が悪くなるであろうことを自ら示唆しているような態度だ。

俺はがぜんギターケースの中身に興味をもち、小田も俺の提案に追随した。

「誰じゃ! わしのふりをしてケースを放置した不届き者は! 開けろ開けろ! 中身を白日の下へさらしてしまえ」

俺はすかさずギターケースの金具部分に手を伸ばし、強引に開けようとした。しかしサルジローがその手を掴んでくる。

妙な取っ組み合いが始まった。「だめ……ですってぇ……ミツル……さぁん」わき目もふらず妨害しようとするサルジロー。

そのときサルジローの背中に鈍い音が響いた。小田が相手の背中めがけ杖を振り下ろしたのである。

背中を抑え倒れるサルジロー。「今じゃ!」小田の声に返事する間もなく、俺は留め金部分を外し、ギターケースを全開にした。


ごろり、ごろごろ、ごろりん、びちゃ。


はじめは腐ったあんずジャムかと疑った。しかしそれらはしっかりと形をなし、その自らの柔らかな質感により可塑性のある物体だとわかる。

ケースから地面に撒かれたのは臓物、臓物、そして……人間の足とおぼしきもの、手とおぼしきもの、尻とおぼしきもの。


それらが切断された状態で詰まっていた模様である。

「げっ……! うげ――――っ!」

稲美が吐いた。俺も小田も顔が蒼白になった。

ギターケースに入っていたのは、バラバラの死体であった。

「あっ、その……へへ、すんませんっス」突如サルジローがぺこぺこしながら皆の前でお辞儀を繰り返した。

「これ詰めたのは、お前か?」俺が問いただす。

「ええ、まあ、ごめんなさい。ああ、見つかっちゃった」

「お前、快楽殺人鬼とかのたぐいか? もうここまで来たら……!」

俺の手には負えない。即刻通報案件だ。俺の脳内ではサルジローが解体した遺体の目玉に頬ずりをしながら、手錠をされてパトカーに乗せられていく場面までがありありと視えた。

「ちょ……! ちがうんです! これはマネキンですってば!」サルジローは急に弁解を始めた。

「この内臓は?」

「一応本物です。まあ豚の内臓なんですけど」

「せ、説明してもらおうか、サル君」小田がふらつきながら釈明を求めた。

「あ……はい、あの、オレ実はユーチューバーやっておりまして」

ユーチューバーによる広告収入で生活費を稼ごうと考える輩はいまどき珍しくもない。

「動画サイトで“サルジロー”で検索すればヒットすると思います。そこで俺、友達と色々とくだらないこと動画に上げてまして……」俺がズボンのポケットからスマホを取り出し、言われた通りサルジローで検索する。なるほど、テレビの有名動画配信者と同様に大量の動画配信をこなしているようであった。だが、どれも再生数はいいとこ2ケタという、過疎の域を超えた過疎状態ではあったが。


「そのなかで、俺たちは“裏の物置をあけて謎の腐乱死体を見つけたら友人はどうなる!?”という動画を作ろうって、俺含む仕掛人二人で一人の友人を引っかけようともろもろ準備したんです」


どこかで聞いたような企画だ。たぶん俺は似たような企画の動画を別チャンネルで見たことがある。サルジローたちの制作アイデアは完全にパクリ頼みであり、オリジナリティがないことがこの再生数2ケタという超低空飛行の原因であることは想像にかたくなかった。

「それで、まあ俺ら予算ないですから、町中のゴミ捨て場回って、やっと見つけたのが粗大ゴミシールの貼られた頭の欠けたバラバラのマネキン。それを持ち帰って塗装してそれっぽくして、まあ動画はうまくいったんですが、“このマネキンの処分どーする?”って話になって……そんとき俺風邪引いてて、動画の編集とかほとんど残り二人にお任せしてたんです。その負い目もあって、よっしゃ俺が持ち帰るわ、と息巻いたのはいいんですが、俺マンション住まいだし、親なんかは潔癖症だから妙なダンボールとか俺の部屋にあれば色々と問い詰められるわけですよ。そんで俺マネキンの入った段ボールもってエントランスで立ち往生してたんですけど、ふとゴミ捨て場を見たらギターケースがあるじゃないですか。だからこれ幸いと、ケースの中にありったけ詰め込んだんです。空になった段ボールは畳んでコンテナにぶちこみました」


「その中にあんずジャムは入ってなかったのか?」

「入ってませんよ。中身は空っぽでした。まあケース自体、激クサでしたけどね」


俺がマンションの住民の相談に乗ってから、次々と新たな事実は明らかになるが、肝心の真相のほうはまったく見えてこない。俺は反省してしゅんとなっているサルジローをチャンスと思い“用事を思い出した”と言い出してこの場を切り抜けようとした。だが。

「ミツルさん! なんなんじゃ貴方は! 場を引っ掻き回すだけ引っ掻き回しておいて、いっこうに問題は解決してない。それどころかいろんな住人が恥をさらけ出す結果になって、迷惑しておる!」

それは俺のせいじゃないだろう、と喉まで出かかった。すべては重要なことを隠したりごまかしたり他人任せにしてきたあんたたちに原因があるんだ、と俺は頭の中で小田に往復ビンタを繰り返すイメージを強く思い浮かべていた。がそれをおくびにもださない。

「ミツルさん! さあ真犯人をあぶり出してくださいよ!」小田の訴えに、俺はまたもやヤケクソになっていた。


「あーあーあー、わかったよ、わかりましたよ。犯人はズバリ、滝芝さん! 貴方です!」


いきなり名指しされた滝芝は、きょとんとしていた。

「え……ミツルさん、なんで俺なんですか? 俺一応ゴミ清掃員ですけど」


「“ゴミ清掃員”それがミソなんですよ……」俺は忍び笑いをしながら、貴方の考えていることはすべてお見通しだ、という苦しいポーズをみせた。滝芝を指名したのは理由もクソもない。単なる消去法である。だがなんとかそれを秘匿して皆を納得させるつじつま合わせを即興でせねばならない。以降は頭をフル回転で導き出した適当な推理パートⅡである。


「滝芝さん、あなたの心には誰よりも深い闇を抱えています。しかしその闇を吐き出せば途端に社会不適合者の烙印を押される。ならばどうするか。烙印を押されぬよう、誰にも見つからず吐き出す。つまり完全犯罪をするしかないんです。ゴミ清掃員が完全犯罪をやろうとするなら、いのいちに何をやろうと考えますか? ……そうです、ズバリ“ゴミ清掃員なら絶対にやらないであろうこと”なんです」

滝芝の額にピクリと筋が浮かんだ。

「完全犯罪をやるには、人々の憶測の埒外のこと、人々の想像の盲点をついた犯罪をしなければならないんです。粗大ゴミの違法投棄……軽犯罪といえどまったくのノーリスクで行える人物といえば、滝芝さん、あなたしかいないんですよ」

「だまれっ!」突然滝芝が一喝した。その声に俺は驚き、体感で五メートルくらい後ずさりした。


「だまれだまれだまれだまれっ……うう、くそ、なんで、なんでそんなこと、あんたに分かるんだよぅ……」


滝芝が目を血走らせ、息の荒い様子をみせた。あれ? この人意外とメンタル弱いのかな? 俺はなんとかフォローしようと考えた。

「ま、まあ今の推理はまんま同じゴミ清掃員である稲美氏にも当てはまることで……」

「稲美さんのことを悪く言うな!」滝芝はつかつかと歩み寄り、俺の胸倉をつかんだ。慌てて小田とサルジローが相手の腕をほどこうとする。げほっ、一瞬息ができなかった。滝芝さん背が高いし、普段からゴミ運んでいるから喧嘩強そうだな……と俺が慄いていると、


「さすが……ミツルさん、何もかもお見通しなんですね……そうです、俺が犯人というか、首謀者です」

滝芝は両のこぶしを震わせながら自白した。みんな仰天の度が過ぎて声もでなかった。


「これは、あなたのギターケースなんですか?」俺が訊く。

「そうです、俺が事前に用意したものです。……マンション住人のみなさん、ここに一か月半前から、空き部屋がでたことはご存じですよね?」

「ああ、確か六階の角部屋の」サルジローが応える。

「あそこは建物の構造上、エレベーターから歩いてすぐだし、日当たりは最高だし、長い間吉宗さんが気に入って住み続けておったな」

「そう、その部屋に私はどうしても住みたかったんです。だがこのマンションは家賃がお手頃な割には、初期費用が異様に高かった!」

「いくらぐらいじゃ?」小田がのぞき込むように聞く。

「ざっと百二十万くらいです」

「ひょえ~、近年の物価高の影響かねえ」サルジローが知った風なことを言う。

「この家主はどうしてか分割にも対応していないし、キャッシングも厳しいうちの家計……だが、こんな好立地の好物件はなかなか諦められなかった。そこで俺は、目をつけた日から今日までガムシャラに働いて、すぐに金を稼ごうと考えた。だがその間に誰かに入居申し込みをされたら水の泡。そこで策が必要だった」

「策、ですか? どんな?」俺が尋ねた。

「俺が物件に目をつけた翌日、ゴミ収集でこの地域を回ったんだ。そしたらギターケースがコンテナの横にあった。小田さんが置いたものだろう。そのギターケースから甘酸っぱいあんずジャムの芳香がエントランス手前いっぱいに広がっていた。俺は申請なしの粗大ゴミにも呆れたし、この匂いはまるで香害だな、と思った。そのとき閃いたんだ。この匂いがもし人を寄せ付けない強烈な不快臭であれば、内見に来た連中もこの物件を諦めてくれる確率が高いんじゃないか、と」

ほう、と思わず感心する俺。確かにこのマンションへ入る動線はひとつしかなく、必ずこのゴミ捨て場であるコンテナの手前の道を通らねばならない。それに昨今のゴミ分別のリテラシーの高まりから“物件の良しあしを見極めるにはまずゴミ捨て場を見ろ”という内見のコツが拡散されている今の時代である。滝芝の策は決して的を外したものではないと思った。

「俺はその日の仕事終わりに、隣町にいる兄に連絡しました。『ギターを最近始めようと思ってるから、譲ってくれないか』と。飽き性の兄はその依頼を快く了承しました。そしてギターをケースごと譲ってもらい、帰りしな、深夜にここのコンテナまで軽トラで移動したんです。そしてあんずジャムの匂いのするギターを回収し、代わりに兄から譲ってもらったギターだけ抜きとったギターケースを置いた。ただし、ケースの中にまんべんなく、カメムシの噴射する液体を抽出した特製スプレーを吹きかけた状態でね……」

「そうか! これ、どっかで嗅いだと思ったらカメムシの臭いか! どおりでエグいわけだ!」サルジローが鼻をつまみながら話す。

「ちなみに回収したあんずジャム入りのギターケースはどうしたんです?」俺が訊く。

「あれは持ち帰ったあと、中身のジャムを生ごみに出して、小田さんのギターもケースも、ちゃんと粗大ゴミで出した。もちろん申請済みだ」

とうとう真犯人が判明した。俺は朝起きぬけにシャワーを浴びたようなサッパリとした気分になった。

「滝芝さん、あんた反省しとるのかね……?」小田が訊いた。

「はい、どうもご迷惑おかけしました。俺も好きでこんな真似したんじゃありません。ただやっと七歳と九歳になった娘に、いい環境を提供しようと思って……」

「ふむ、毎日毎日、私たちのゴミを運んでくれてご苦労さんじゃった。もうここまできたら運命共同体みたいなものじゃ」

「え?」

「どうじゃ、あなたの困っているその初期費用とやらを、ワシが肩代わりしてあげようじゃないか」

「ほ、本当ですか小田さん!」小田の前に駆け寄り、膝を折って崇める滝芝。

「とりあえず期限はもうけるがの。なに、五年以内に元本だけ返してくれればいい」

「あ、ありがとうございます!」

気っ風の良い老人である。合縁奇縁という四字熟語を思い出さずにはいられない。

でもまあ、これでめでたしめでたし……と俺がひと息ついてたら、急に今まで隅っこにいた稲美さんが大声をだした。


「だぁーかぁーらぁー! 違うんですよぉおおおおおおおおおおおおおお!」


今まで流れていた大団円みたいな空気は完全に吹っ飛んでしまった。

「い、稲美さん、どうしたんですか一体」滝芝が心配そうな目で見る。

「……のしわざです」稲美がぼそっと言った。

「え?」


「これは……幽霊のしわざなんです」


「はぁ? 幽霊?」サルジローが笑いを堪えながら聞き返す。

「だって! 幽霊のいたずらとしか説明がつかない! ……なぜなら、僕はこのギターケースを回収した本人なんだから!」

「「ええ――――っ!」」今回何度目の驚きの声だろうか。どうして田舎の無農薬の畑の土に棲むミミズのごとく後から後から新事実が湧いて出てくるのか。俺の脳はもはや疲労困憊になっていた。

「稲美さん、どういうことです?」俺の代わりに滝芝が尋ねる。

「シバちゃん……僕、実はシバちゃんに嫌がらせしたくてたまらなかったんだよ。このマンションにケースを放置したこと、僕にもうっかり漏らしたことがあったろう?」

「あ……そういえばあったかも」

「その頃、僕にも新しい彼女ができたって話したじゃんか。その時スマホで彼女の画像見せたときシバちゃん言ったよな。“非の打ちどころのないブスですね”って。僕、その言葉が悔しくて悔しくて……三日間、内心はらわた煮えくり返っていたんだよ」

「あ、あれは語弊です! 見た目がその、多少時代遅れである以外はすべてパーフェクトな人柄ですね、って言いたかったんです」

苦しい言い訳だな、と俺は思った。この誠実そうな滝芝がそう言わしめる稲美の彼女の顔、一度拝んでみたいものだ。

「僕はそう言われてから四日目、滝芝がギターケースを入れ替えて五日目にあたる日だったか。僕は仕事終わりにこっそりこのマンションに寄ったんだ。仕返しのためさ。そして自家用車のボンネットにこのギターケースを入れて、わざわざ粗大ゴミ申請をして、粗大ゴミ処分場に直接持ち込んだんだよ。ぜんぶシバちゃんを困らせようと思ってしたことだ」

稲美はつかつかと歩み寄り、ギターケースの端をバンバンと叩いた。

「このケースについてる十字傷! このカメムシの臭い! 間違いない! 僕が直接粗大ごみ処分場まで運んだものです! それが、なんで今日ここにあるというのか…!」

「稲美さんが持ち込んだ翌日にはすでにこのギターケースが同じ場所にあったということですか?」俺が訊く。

「いや、それはわかりません……処分場の帰りにインフルエンザになって、四日ほど仕事を休んでたんです。処分場に出かけて五日目、仕事を再開したときにこのマンションを訪れたときには、すでにギターケースがあった。これを見つけたとき僕は心底ぞっとしたんです」

「マジで……これ本当に幽霊のしわざ?」サルジローが周囲の反応を見ながら冷や汗をかく。

「そういえば……わしのいない時間帯にも『ギターの音がうるさい』とか見当違いな苦情があったような……あれは見当違いでは、ない?」小田がつぶやく。

「ひょっとしたら、何か超常的な力が働いているのかもしれませんね……それよりギターケースを放置した張本人は誰なのか。これでまたわからなくなってしまった」

俺がしめくくると、四月のまだ冷たい寒風がエントランス前に差し込まれるように入ってきた。

冷静になるとそっと忍び寄る生理現象ももれなく感知できる。サルジローが発言した。

「あ、あのちょっと俺トイレ行きたいから、小田さんも一緒に連れションお願いできますか……?」

「……う、うむ、わしも丁度お手洗いに行きたかったところだ」

二人が現場を離れる。

稲美は滝芝に懇願した。

「ねえシバちゃん! 職に困っていたシバちゃんにゴミ清掃員を紹介したの僕だよね? 一生のお願いだから、これから近くの神社にお祓い一緒に行ってもらえないかなぁ?」

「な、何言ってるんすか稲美さん。こんなの誰かのいたずらに決まってるじゃないですか。まずは落ち着きましょうよ」

マンションの住民が現場を離れ、ゴミ清掃員がギターケースをめぐり揉めている。


俺はチャンスだと思った。


「―――あっ、ミツルさん! どこ行くんすかぁ!」

サルジローの大声を背に、俺はほっこり弁当のロゴが入った袋をカゴに入れたまま、自転車で一目散にこの場から遁走した。


「……俺にできることはここまでだ。これ以上首を突っ込んでしまえば、誰かが真相に辿り着いてしまう可能性もないとはいえない」

そうひとりごちながら、俺はまっすぐ自分の住む高級マンションまで直帰した。






@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@







カードキーによる解除と網膜認証を済ませてタワマンに入り、四十六階にある自室までエレベーターで直行する。


途中、四十六階に住む隣人とすれ違う際、反射的に弁当ロゴの入った袋を手でおおってしまった。


家に入り、玄関前の棚にブツの入った袋を置く。ブツの形状は丸みを帯びているので、思わず転がり地面に落としそうになった。


適当なシューズクリームをかませて安定させ、俺は室内に入った。


俺の部屋は書類関係の束と専門書だらけで、足の踏み場もなかった。普段から忙しい日々を送っているので、整理整頓をする時間があれば、その分気分転換に自転車で散歩をするほうが良いという考えであった。


俺はスマホを取り出し、知り合いの建築家兼アーティストを名乗る男に電話した。


「ああ、どうも、村瀬かなた代議士の秘書をしている伊藤ミツルと申します。おたくは隈野建二郎さんですか?」


俺は電話先の相手が目的の人物であることを確かめたあと、不満をだらだらと口にした。

「隈野さーん、あなたが失敗を取り返したいっていうから、せめてもの情けと思って、処分方法まであなたに委託したんですよ? それが何ですかあのギターケースは? 肝心の粗大ゴミ申請シールが貼ってなかったじゃないですか」


相手のダルそうな返答を耳を澄まして聞く。だんだんムカムカしてきた。

「僕が指定した日時までにギターケースを用意したことは評価してもよいですよ。でも粗大ゴミ申請シールが貼ってなかったから、僕が隙を見てブツをギターケースに入れる計画がパアになった。不法投棄だ、なんて言ってマンションの住民が集まってたんですよ! おかげでブツはまた持ち帰らざるを得なかった。一体誰にギターケースを用意させたんです? はっ? 粗大ゴミ処分場の破砕担当のベトナム人? よりによってベトナム人かよ! それただのバイトなんじゃないですか?」


これで稲美の言っていた元に戻るギターケースの謎が解けた。稲美が運んだ処分場で働いていた正規雇用か非正規雇用かわからぬベトナム人が、破砕前にギターケースをこっそり持ち帰り、あろうことかたまたま前日と同じ場所にこっそり置いてきたという訳だ。


よくも不法就労の恐れのあるベトナム人ともつながりがあるもんだ、と相手、隈野の業界人としての知名度の高さに内心舌を巻いたが、論点はそこではない。


「申請シールは貼ってないし、ブツを隠すにはあのギターケースは不適当ですよ! なんですかあのカメムシの強烈な臭いは! おかげで人目を引いてしょうがなかった」


相手からの乾いた笑いが電話口に響いた。俺はキレた。


「もう金輪際あなたを信用しません! ブツはやっぱり従来通りこちらのやり方で処分いたします! 山梨に建築予定の大型ショッピングモールに出資する件はお忘れください。では失礼します!」


ブツっとスマホの通話を切る。


俺は、ふう、とため息をついた。


いろいろ今後のことを思案しながらコーヒーをいれていると、スマホが鳴った。恋人からである。


「あ~ハルミちゃん? 何わざわざ? え、今年のサプライズは何だって? それは誕生日当日のお楽しみだよ。うん、うん……ちょっと待って! その件についてはまた改めて。じゃあまたね」


政治家の秘書を長年つづけているとストレスも溜まる。俺にとって関係が三年以上続いている今の恋人は必要不可欠な存在となっていた。


もっとも恋人側にとっても必要不可欠かといえば、違うかもしれない。長い付き合いだ。いずれ試練の時がやってくるであろう。


俺はリビングから玄関に置かれた弁当のロゴ入りの袋に入ったブツを遠目に眺めた。



忌まわしきもの。


俺の感情のはけ口であったもの。



情報屋からの話によると、国税局による強制の税務調査が実施されるのは三日後だという。

うちの村瀬がずいぶん無茶な帳簿の改ざんを指示していたから、いずれこうなることはわかっていた。

ただ強制の税務調査が入るとなると、タワマンにあるうちの自室も徹底的に調べられるだろう。


税理士の指示に従い、重要書類の類はすべて処分済みだが、国税局はそれこそうちで稼働しているルンバまで押収し隠し財産がないか分解してくる可能性だってある。

だから、人に見られてマズイものはいつまでもここには置けないという事実が重くのしかかってくるのだ。


俺はコーヒーを飲み干し、玄関前までゆっくりと歩を進める。


ブツは、こうなったら東京湾の沖合にでも投棄するしかあるまい。


湾岸に停泊してある漁船と話をつけて、漁業体験と称して沖合に連れて行ってもらうのだ。このブツを密かに持ち込んだまま。



俺は玄関前に立ち、袋の中身をあらためた。ボウリング大ほどのサイズの丸い形状の、それを。



俺はチッと舌打ちをして、このブツに関わった建築家兼アーティスト、隈野健次郎の存在をあらためて呪った。


「恋人に極上のサプライズプレゼントをするつもりだった……だから政治家秘書の立場を利用してあいつにコンタクトしたんだ。それがなんだ? “贈り物なら手作り作品が良いですよ。ネット動画にやりかたもアップされてますし”だと? あいつを盲信した俺が馬鹿だったわ……」





袋に入っていたものは、人の頭…………くらいの大きさの石膏で作られた

「ハルミ ラブ♪ ケッコンシヨウ★ BY ミツル」

とデカデカと印字された俺の手作り作品だった。


(完)







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1000字感覚で読めるエクストリーム粗大ごみ物語 あいんつ桜 @aintsusakura

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