第13話 お山の大将
子供の頃、二男で甘えん坊だった僕は、母親の知り合い、近所のおばさんたち、親戚のみんなから愛されて、人から嫌われると言うことを知らないで育った。
…のどかな春の日。集落総出で芹摘みに出かけたとき。畦のぬかるみに足を取られてバランスを崩し、田圃の用水路に真っ逆さまに落っこちた。体中ドロドロになった僕は井戸でザーザーお構いなしに水をかけられて頭から丸洗いされた。
あの時、あまりの汚さと臭さに家族も近所の晴人ファンのおばさんも、僕を遠巻きに眺めて誰一人近づこうとしなかった。その日のあざやかな裏切りを、あの感覚を今も覚えている。
どんなに愛されていても人が引く瞬間があるものだと身に染みて感じた。
そんな状況を作り出せば一人になれることを僕は知っている。…
砂湖の現れないこの家は、だだっ広くて寂しいけれど、当然姉さんの出入りもなくて完全に自分の領域という感じがした。転がりこんだ兄貴の家で小さな部屋を一部屋もらってギターとCDを詰め込んで寝起きしたお城。そこから抜け出すのに5年もかかって、今度は多恵さんの離れに居候する。どこまでも自立とは程遠い宙ぶらりんの立ち位置だけど気持ちは高揚していた。
機材を入れた板の間を祖知ではなくユンちゃんが気に入って、編集途中のCDを抱えて、あれこれディスカッションをしに通い始めた。
ユンちゃんは仕事熱心でいつもライブのことしか考えていない。僕は曲に対する思い入れが強すぎる方なので、どう見せるか、どう聞かせるかなんて何も考えがなくて、一途に曲に酔いしれて歌うから顔がぐしゃぐしゃになる。カメラ映りとか、見る人の感情とか、色んなことを計算して見せるためのイメージを固めていくユンちゃんを凄いと思う。
僕の練習の合間も、
「晴、顔が険しいよ」
とよく言われて、自分のエンターティメント性の低さを反省させられる。
「もっと色っぽく素敵に歌わないと」
とか、
「この歌は明るいイメージなんだよ」
と言われてもひとつもそのとおりにならなくて戸惑っている。
「晴は愛されキャラだから存在自体がかっこよくて、意識しなくてもそこにいるだけで不思議と良い雰囲気になってしまう。
それは誰にも真似できないからいいんだけど、自分を良く見せようって言う欲も必要だよね」
そういうユンちゃんはポーカーフェイスでほとんどライブの間顔色を変えない。でも、ユンちゃんのキャラはそれでいいんだそうだ。僕もそうありたいもんだけどそうは行かないらしい。ユンちゃんの僕に対する演技指導はかなり熱い。
「みんなが晴に夢中にならないとうちのバンドの未来はないから」
「なにそれ、気持ち悪いな。止めてよ」
「ほらそう言うだろ、まったく晴は分かってない。君は我々の広告塔なんだからそういう自覚を持たないと」
「広告塔?なにそれロックバンドだぜ」
「そうも言ってられないんだよ、CDデビューともなれば」
そう来るかとまた、顔が歪んだ。だから嫌なんだよ。
「悪いけど、僕は僕のままでいるからね。どんなことになっても」
僕の言葉にハイハイと適当に力を抜いて答え、最終的には自分の思う方向に持っていく、仕事に対してはどこまでも粘り強いユンちゃんだった。
僕は知らず知らずユンちゃんの指導に沿って、ここで微笑むと言われればニコッと笑って、ここは伏せ目がちにと言われれば目を閉じる。結局全てはユンちゃんの思うままに操り人形のように希望をかなえてしまう。
「その才能が凄いんだよ」
と、祖知にバカにされ、自分を見失って途方にくれる。
「それよか、一度みんなでパーティーしようか?」
「なんで?」
ユンちゃんの突然の提案に顔が曇った。
「晴が孤立してるから」
かなり直球。僕はそうとう嫌な顔をした。
「もう少し孤立していたいんだけど」
と正直に今の快適さを語った。
「知ってる?、この裏にきれいな地下水の湧き出るところがあってホタルが出るらしいよ。ホタルなんてなかなか見れないでしょ」
「庭の中に?」
「うん、凄いよね。多恵さんのお屋敷。この前来た時光蔵さんに聞いたんだ。湧き水の出るところがあるって、みんなでホタル見ない」
「見ない。絶対見ない」
僕はこの時期そうとうナーバスになっていた。意地になるしか自分が保てなくて、いろんなことがわずらわしくて、悲しくてワイワイやる気分じゃなかった。
「このままじゃ晴、悪者になるよ。なんでそこまで強がるんだよ」
今はどんな質問にも答えたくないと思った。
「ユンちゃん、ユンちゃんにはわかんないかもしれないけど、この家は僕の隠れ家にしておきたいんだ。一人でこっそりいる場所にね。
ユンちゃんが通ってくれるおかげで寂しくないし、兄貴のところを離れたとたんに、今まであると思ってた根っこがなくなって宙ぶらりんなんだよ。
当分、次の根っこが生えてくるまで引きこもる。ここにいたって曲はちゃんと作ってるし、そろそろ、練習始まるだろ」
「晴…」
ユンちゃんの気持ちは察しがついた。僕と砂湖が仲が良いのを一番楽しんでいたのはユンちゃんで、僕がバンドのムードメーカーでいることにも協力していてくれた。もう長い付き合いだから心配してくれるのも良く分かった。
考えすぎないほうがいいと言った多恵さんの言葉を思い出す。でも、今はその考えも面倒だった。曲作りに打ち込んで全てを忘れたかった。
中庭を通って多恵さんのサンルームに向った。途中で小さな小川をよいしょと越えた。どうやらこれがユンちゃんの言ってたホタルの小川らしい。いったいこんな水がどこから沸いているんだろう。そのうちこの庭も一度探検しなくちゃなと周囲をゆっくり見渡した。
「おはようございます」
「まあ、早いわね。晴人がこんなに早くから動き出すなんて、意外。私は夕方からの晴人にしか会ったことが無かったのね」
「鳥の鳴き声が良く聞こえて、この頃朝早くに目が覚めるんです。散歩もしたかったし」
多恵さんの淹れてくれたコーヒーを受け取ってソファーに深く腰掛けた。
「ユンちゃんがここでパーティーをしようって言ってたわ。この頃みんなで会ってないって?」
「ユンちゃんが曲作りで家に篭ってたから…曲が仕上がったらまた練習はじまるし、CDの準備もあるし、僕の曲ももう直ぐ仕上がるんで」
「どう?新しい家は」
そういえばまだお礼も言って無かった。
「あ、ありがとうございます。良い家で、何か静かに暮らしてますよ」
ふんぞり返ってコーヒーを飲んでいた身体を起こして多恵さんに改めて挨拶をした。
「ふふ、そうなんだ。心境の変化ね」
多恵さんが僕のことを足の先から頭の先までじっくり眺めた。
「それ、パジャマ?」
「いや、部屋着です。ちょっとリラックスしすぎかな。地下鉄にも乗らなくていいんで」
言われてみれば朝から鏡も見ていない。
「普段はそんな感じなんだ。けっこう無防備ね」
え、気がついて眺めてみれば、僕はスエットの上下にぞうり履きだった。
「目覚ましにお風呂に入ったら。さっぱりするわよ」
「あ、はい」
こんな僕じゃいけなかったか。多恵さんの前で化けの皮がはがれないように、もう少し慎重にしないと…
僕は朝のコーヒーを飲み終えて言われるままに風呂に入った。鏡に映った頭を見ると後ろ髪が見事に跳ねていて、多恵さんの落胆の意味がわかった。
ユンちゃん期待大のカリスマロックンローラーも形無しだなと、はねた髪を抑えた。
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