第14話 兄貴の結婚

 兄貴と姉さんはこの簡素な時代におかしいだろうと思えるくらい、ちゃんとした結婚式を挙げた。これを親孝行と言わずして何をそういうのかと親戚一同が納得し、幼い兄貴を知る近所のおばちゃんたちも大喜びだった。

 氏神様でおごそかに神前結婚をし、その後、田舎屋の四八畳を開け放って知人友人に酒をふるまう大宴会をし、仕上げは屋根の上から祝い菓子を大量にばら撒いて、この地方伝統の古風な結婚披露をした。

 結婚願望が強かった姉さんと最近の簡素化された結婚式に寂しさを感じていた親父とお袋が盛り上がって、とにかく本気で結婚式をしたんだそうだ。お金に糸目もつけず。とは言っても氏神様の神神前結婚、家を開け放っての披露宴、衣装は代々伝わる紋付袴。結婚式場であげるものとは桁違いに質素だった。朝早くから集まった近所のおばさんが意気揚々とお芋を炊いたり、味ご飯を自慢したり、それはそれは手作りの周りを幸せに巻き込む二人らしいものだった。

 この家を出て以来、あんなに嬉しそうな親父とお袋を見たのは初めてで、座敷中それはもう盛り上がりっぱなしだった。

 我が家の田舎人らしい人柄の良さがにじみ出てはいたが、太鼓持ちのように酒を注いで回る次男坊にとっては楽しさばかりではなく、想像を絶するその騒々しさに、目が回りそうだった。

 こんな結婚式もあるんだな。僕には真似できないけど、みんなが幸せそうで、そんなミラクルを最大限生みだす兄貴らしさが眩しかった。

 久しぶりに会う砂湖が僕の隣に来て、

「おめでとう。今日まで放って置かれるとは思わなかったけど…」

 と、音信不通の僕を攻めるために、わざわざ一言耳元でささやいた。

「ああ…」

 僕は顔色を読み取られないようにうつむきがちにうなづいた。

 砂湖には合わす顔が無かった。全てを振り切って自分勝手に多恵さんちに引越し、だからと言って罪の意識も感じないで一人の時間を楽しんでいたのだから。

 唯一の仲直りの機会と思えたユンちゃん提案の蛍狩りは、あっさり今年はお流れになった。ホタルの出没する時期の短さを熟知する者が誰もいなかったのも問題だったけれど、それにもまして僕にやる気がなかったから、気付いた時にはもうその時期は終わっていた。

 この庭の住人の僕でさえ、夕暮れの庭に下りる余裕も持て無くて、ホタルを眺める機会は無かった。


 多恵さんは冠婚葬祭にふさわしく、喪服とも式服ともとれる綺麗な黒いワンピースをオシャレに着こなしていた。

 周りが眉をひそめる印象がある最近の僕は、ミュージシャンというよりも多恵さんのお抱え運転手というほうが正しかった。どこへ行くにもお供してコマネズミのように動き回り、扉を開けたり、荷物を運び出したり、多恵さんのマネージャーも兼任している様でもあった。

 自分の実家に来るのにも姉さんとも砂湖とも一緒じゃなかった。砂湖にしてみればこんな一言ではすまない。さぞかし気に食わないことだったろう。

 でも、静かだった。式の間も、終わってからも祖知の車で移動し、僕のことは見ようともしなかった。いい加減見捨てられたか?と頭の片隅を疑問符がかすめる。僕たちはもうだめかもな…

 僕は姉さんとも距離を置かざるを得ない。自分は兄貴の代用品だと思う気持ちが拭えない。だから、兄貴が出現すると僕の役は終わり、出る幕は無くなる。そんな関係だった。だからこそ安心しきって姉さんを独り占めしていた。

 今の役割としては、遠巻きに姉さんを眺め、親父やお袋と楽しそうに話す様子に満足して、拍手を送るしかなかった。

「寂しそうだな」

 不意に現れた祖知がからかうように言ってくる。

「そんなこと無いよ」

 図星だ…僕は姉さんに関する心情が発露する時だけ誰よりも素直になる。泣きそうになる。それくらい姉さんには心を開いている。でも、兄貴に対する意地があるから、とことん平気な顔をして親戚の一人になりきるしかなかった。

「祖知、ゆっくり親父さんと話した?」

「まだ。終わったら送りがてらちょっと寄ってくるかな」

「喜ぶよ。お前、大事な祖知家の長男坊だから」

「一緒にいくか?たまには寄ってけよ。お前だって息子の俺がうらやむほどの親父の一番弟子だからな。今でも自分が野球を教えた中で晴人が最高だって自慢するんだぞ」

「そっか、良い親父だよな」

 祖知の親父は少年野球のコーチだった。

 野球が大好きだった僕は、何時間でも暇さえあれば相手してくれる祖知の親父が大好きだった。早くから僕の野球センスが良いと認めてくれて、地方でプロ野球の試合がある時など、僕も息子の一人のようにどこにでも連れて行ってくれた。

「そうだな。今度行くよ。グローブ持って遊びに行くよ」

 自分を認めてくれた人には感謝する。どんなに感謝しても仕切れないと、心からありがたい思いがする。

 

「綺麗ね。遥、ね?」

「は、はい」

 どうも多恵さんにはタメ口が利けない。適度に緊張する。

 姉さんと同じ年だし、誰にでも年など関係なくずうずうしくタメ口の利ける僕なら多恵さんもお茶の子歳々で手なづけられそうなのに、一線を越えないでいる。それはきっと多恵さんから伝わるオーラのせいだ。多恵さんのオーラは半端なく素敵で、ピアノを弾いている時など音に聞き惚れてその間すべての時間が止まってしまう。

 才能ってあるんだとその時思う。多恵さんは何をしていても絵になる。

そんな僕が多恵さんのお抱え運転手をするのはまさにはまり役だった。意識しなくても心から尊敬できたから。


「兄貴おめでとう」

 と声をかけると、親戚の手前、日向を進む兄貴としては無視することも出来ず、自分勝手な弟に片手を挙げて笑顔を返してくれた。

 一方、姉さんは、遂に夢にまで見たこの日を迎えたと言うのに、初めから最後までありえないほど泣いていた。泣いては笑い、笑っては泣き、両親からも親戚からもその初々しさが気に入られて満場一致で祝福を受けていた。その横に僕の席は無い…

式の間も、披露宴の間も一度も僕を見ることは無かった。

 泣いている姉さんはなんだか可哀そうで、まさか兄貴と結婚するのが嫌なんじゃないかと疑いたくなるほど信じがたい光景だった。そんなに綺麗なドレスを着て、こんなめでたい日にそこまで泣かなくてもいいのに…

 嬉しくても、悲しくても涙は出るものらしい。泣きっぱなしでも伝わる、姉さんの幸せな姿を一番嬉しそうに眺めていたのは兄貴でも姉さんの親戚でもなく親友の多恵さんだっただろう。

 多恵さんはこの世で一番愛する人を失った。もともと結婚できる相手だったのかどうかそんなことは知らない。でも、相手が生きていれば一方的にでも愛することは出来る。その相手が今はもうこの世にいないのだから。


 僕は心からおめでとうを言えていただろうか…


 帰りの車の中、多恵さんはとても辛そうだった。披露宴の後、居間に横になってゆっくりしてはいたが顔色も悪く、息苦しそうだった。どこかで休もうと声をかけたけれど、それより早く帰りたいと車を急がせた。

 そして、家に帰り着いたとたん多恵さんは倒れた。

 僕の目の前で崩れるように座り込んだ姿に僕は青くなって内線で光蔵さんを呼んだ。光蔵さんは冷静に手抜かりなく多恵さんを介抱し、かかりつけの医師が飛んできた。

 多恵さんがシーツより白い顔で横たわっている。ここのところ食欲の無かった多恵さんに長時間の移動で負担をかけたことを申し訳なく思った。

「多恵さん、無理した?」

 あんなに好きなお酒も一滴も飲まず、食事もほとんど口にしていなかった。恐る恐る聞く僕に、多恵さんの告白は衝撃的なものだった。

「私、妊娠してるの。なかなか言い出せなくて…」

「妊、娠、って、だからあんなに顔色が悪かったの?ここんところ毎日ひどかったよね。いつも調子悪そうで」

 僕はこの期に及んでタメ口で雄弁になっていた。

「そうでもないよ。体調は悪くなかったわ」

 多恵さんはそれ以上何も言わない。言わないつもりでいるんだ。いつもの僕ならきっと何も聞かない。でも、今日はそれで終わりにしたくなかった。

「なんで、なんで妊娠?」

「なんでって、不思議がること?」

 そういう多恵さんが不思議に可愛かった。

「いい年よ。おかしなことじゃないわ。子供が出来るって幸せなことよ。新しい物語がお腹に詰まってる感じ。ただ、お父さんについては今のところシークレットね。

晴人がお父さんになってくれたらいいな~そのうちばれるでしょ。ばれたら晴人の子よ。って堂々と言えると助かるんだけど」

 そう、お茶目に笑いながら言った。

「助かるって…本気で、本当にそうしたいのなら?」

 僕は半分おどけた顔で聞いた。真面目な顔は出来なかった。そんなことしたい訳ないって分かっているのに本気になるのは大人気ない気がした。

「僕はいいよ。そう言ってもらってかまわないよ。みんなが信じるかはまた別の話だけど」

「まあ、ほんと。許可もらったからみんなにそう言うかもよ。信じてくれても信じてもらえなくても…そんなことはどっちでも良いわ」

「ああ、僕はかまわないよ」

 そう意地になって答える自分にあきれた。

「子供って産むのは一人で生めるのよ。産まないとなると父親の同意がいるんだけどね。おかしな話でしょ。育てる方がはるかに父親は必要だと思うんだけど」

 日本の法律はそうなっているんだと不満そうだった。

「いつ、生まれんの?」

「あと五ヶ月、二月に生まれる」

 少し目を泳がせて考えた後、

「わかった。僕が名前考えるよ。父親だから」

 そう言うと多恵さんは可笑しそうにクスクスと笑った。僕がしてあげられることなんて何もないだろう。一人で産んで育てると決めている多恵さんにとって、父親が誰でも平気なんだと思う。そういうきっぱりとした多恵さんが僕は好きだった。


 結婚式を済ませて数日で兄貴はナポリへ帰った。帰ったと言う言い方が正解だ。拠点は向こうなんだから。そそくさとあいさつを済ませ、結婚したって荷物ひとつも片付けないで姉さん任せにして、格好良くスーツを着こなして慣れた様子で搭乗口に消えた。

 これから…日本にもこういう結婚が増えていくんじゃないだろうか…

 男も女も仕事を持ってお互い対等に遣り合って生きていく。こんな家庭的な姉さんでさえ仕事は棄てられない。男にとってそうであったように仕事は生きることだ。仕事が無かったら生きていけない。

 そういう意味で僕の口出しできることじゃないとわかっている。わかっていても姉さんの後姿が寂しそうに見えた。

「行っちゃったね。兄貴の飛行機を見送るのは初めてじゃないけど、今回ほど切ない気分になったことは無いよ」

 姉さんは黙って飛行機の消えていく方向をじっと眺めていた。

「晴君が落ち込むこと無いわ。私、彼の仕事の邪魔しないって決めてるの。

 私が向こうにいけば仕事に没頭できないでしょ。彼は家庭に気を使うってことに器用じゃないの。私は寂しい思いをするって分かってる」

「ええ!、そうなの、それでいいの?そんなの寂し過ぎるよ。それわかってて結婚って…

 姉さんも向こうで仕事すればいいじゃない。やろうと思えばやれるよ」

「それほど簡単じゃないと思う。今はスタッフに恵まれてるだけ。みんなに助けられてようやく形になってるだけ。彼に頼ったらそれも気まずい…」

「そうかな、頼ったって良いと思うけど、僕なんて頼りっぱなしだ。今は多恵さんに張り付いてるし」

「晴ちゃんには晴ちゃんのやり方があるわ。多恵も喜んでる。きっと辛い時期だから」

 僕は姉さんを見ていられない。心が痛んで辛くなる。だからって僕に出来ることは何も無い。もうしちゃいけないんだと僕と姉さんの間に深い溝が出来始めた。僕を今まで支えてくれたあったかい故郷が遠くなっていく。

「僕行くわ。今日はライブだから」

「うん、気をつけてね。また聞きに行く」

 姉さんと肩を並べてここにいるのは辛かった。出来るだけ普通にすることで、変わらない優しい顔をしていたかった。


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