第23話 余波
サンルームはただ一人、足立さんだけ非常事態に包まれていた。
「まったく何考えてるんだか?こう言う記事出るとダメージなんだよね。多恵さんも気をつけてくれないと。よくよく考えたら、同じ敷地に住んでるって言うのもホントは無しかな?」
足立さんは考えても見なかった大失態に、油断していた自分を責めた。庭にまで猜疑の目線を走らせて、今まで一度だって問題にしたこともなかったのに、頭の中であれこれ勘ぐって僕の離れを思い出し、オロオロしているみたいだった。
今日も朝から一日多恵さんちに張り付いて、僕たちを疑っているのか、見張っているつもりなのか、あれこれこぼしたり嘆いたりしていたが、僕が考えるのには、多分、ライブも一通り終わって暇になってしまったから半分は時間つぶしだろうと思われた。
「足立さん、もう帰ったら、一日ここで遊んでるつもり」
「遊んでる…失礼な。そんなはずないでしょう。本気で心配してるんです。最近ここへも来てなかったし、多恵さんが妊娠してるなんてまったく知らなかったし」
「あら随分前から目立ってたのにそんなに来てなかったかしら。ごめんなさい。でも、ほんとにお店の前で偶然会っただけなのよ。荷物持ってもらったのも自然な成り行きだったし」
多恵さんが悪戯そうに舌を出した。
「そうだよ。僕は多恵さんの一番弟子だよ。荷物くらい持つよ。目くじら立てることじゃない」
「そういう訳にはいきません。世の中はどうでもいい事に厳しいんだから」
「そうだね。いっそ発表しちゃおうか僕の子供だって」
「またあ。晴人はいい奴」
「ヤバイね。やぶ蛇だ。もういいです。黙っててくれるだけでいいですから。多恵さん、当分家から出ないようにね。晴君、くれぐれも余計な発言しないように」
「はいはい。良かったな~この前ゆっくり晴人と散歩しておいて。これじゃあ当分家から出られそうにないわ」
多恵さんは話をはぐらかす名人みたいに足立さんの話に面白おかしく答える。そのやり取りが可笑しくて僕は笑ってばかりいた。
「多恵さん、たくさんの人が多恵さんの演奏を待ってるんだよ。でなきゃこんなの記事にもならないよ」
「そうでもないのよ、やっぱりスキャンダルは面白いって、騒ぎたいのよ。ま、覚悟しなきゃね。お腹も目立ってくるし」
そんな僕たちの一言一言が足立さんには心臓にくるきつい会話みたいだったけど、僕には楽しい時間だった。ここのところ元気のなかった多恵さんがとても活き活きして見えたし、僕は基本、世間の評判がどうでも、周りの人が幸せそうならそれでいいと思うところがあった。
携帯が鳴った。
「はい、ああ、ちょっと待ってて、今家に帰るから。うん」
僕の周りで一番不幸な砂湖からの連絡だった。
「多恵さん僕ちょっと家に帰って来るよ。身体無理しないでね」
「若いのに優しい言葉をかけるね。感心するよ。ほんとに、君の子供なのかな?疑いたくもなるよ。僕は事実は知りたくないんだけど」
「はは、じゃあね」
僕たちはきっとそんな嘘を本気にして楽しんでいた。
「よく来たね」
砂湖にはそんなことしか言えなかった。
「光蔵さんに頼んで西の門から入れてもらったわ」
「そうなんだ。この家、門がいっぱいあるからね。何かあったとき便利だ。でも、砂湖なら同じバンドのメンバーだからそんなに気を使わなくてもきっと大丈夫だよ」
何が大丈夫なんだか、必要以上に神経質になりたくなかった。
砂湖には確信に迫りたくないような慎重さが伺えた。あいまいに言葉を選びながら遠回りなやり取りに終始した。
「砂湖、この家の裏に小川があるんだ。行ってみない?あそこなら屋敷の中だからフォーカスされないよ。たまには外で話すのもいいでしょ」
僕は玄関で砂湖を手招きして呼んで、そのまま庭に降りた。部屋の中で重たい話をしたくなかった。多恵さんに見せるつもりで持っていった楽譜が手の中に有った。
小さな小川に綺麗な水が流れている。そばの石の堰に座って話をした。
「多恵さん大丈夫?」
「いつものとおり、明るい顔して足立さんを煙に巻いてるよ」
思い出して笑う僕を砂湖が見つめる。
「多恵さん妊娠してたのね。晴ちゃんが忙しく代役を務めてたから、なんでだろうって思ったりしたけど…」
「うん、悪阻、すっかり体調を崩してね。食欲も無くて、ようやくこの頃少し戻ったみたい。今日は事件に湧いて上機嫌。まったく世間の話題はどこ吹く風で相手にして無くて頼もしい。
相変わらず良い曲を弾いてるから、家に籠ってるのはもったいないんだけどね。誘ってみても断られる。当分演奏はしないみたいだ。
多恵さんクラスになるとファンも多いんだろうな。そばにいると気安い気持ちになって、つい名演奏家ってのを忘れちゃうけど、僕には素晴らしい師匠なんだよな」
「師匠?」
「そうだよ。曲作りからアレンジから一つ一つ丁寧に教えてもらった。多恵さんのためなら何でもしてあげたいと思っちゃうよね。僕にとって大事な人なんだ」
「そうなんだ」
砂湖には辛い会話だろうか、でも、僕の本心だから告げておきたかった。
「あ、これ忘れてた。お姉さんから預かったの。きよめ餅だって」
「へえ~、名古屋に行ったんだ。僕が好きだからいつも買ってきてくれてた。覚えてたんだな。わざわざごめんね」
僕の嬉しそうな顔が明るかったのか、砂湖の表情も明るかった。
「食べようか、後でお茶入れる」
「悪いね。あ、砂湖、この曲どう思う。使えそうならアレンジして欲しいんだ。なんかの時に曲を貯めておかないと、と思って、最近作り貯めてる」
「まあ真面目ね、そうよ、そうなのよ。昔から晴ちゃん仕事好きだもんね。晴ちゃんには仕事が似合うわ。やっぱ血筋じゃないお兄さんも仕事好き」
「かもな、曲作ってるとホッとする。余計なこと考えないですむ」
その表情を砂湖が読み取ろうとしてるようで少し黙った。
「ああ、そうそう、一つ報告。私お姉さんのアシスタントで今度沖縄に行って来ようと思うの」
「アシスタントって、それ、写真の?姉さんの?」
「うん、ライブも終わってちょっと時間が出来るでしょ。その間、アルバイト。私が写真を撮れるとは思わないんだけど、機材運んだりスケジュール調整したり、それなら出来そうじゃない」
「へえ、いいかも。この『きよめ餅配達』が姉さんのアシスタントのお初だね」
僕はきっと凄く優しい顔をした。砂湖はそれを素直に受け取って笑い返した。そして、きよめ餅を美味しそうに食べて帰って行った。
僕たちには、昔はもう戻ってこないかもしれない。僕が意識して一線引いている。砂湖を不幸にしないように僕に近づかない方がいいとそう決めてる。
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