第11話 都合の良い自立
久々に砂湖が兄貴の家に来ていた。残念ながら平和な話じゃない。今まで付かず離れずなんとかなっていたあの日々から逸れてしまった二人は、険悪なモードに突入して、ついに勃発してしまった相変わらずの押し問答。
「二人が結婚するって聞いて正直ホッとしたんだ。僕は兄貴の代わりになれないから、いい機会だろこの辺で自立するって」
荷物をまとめながら砂湖に引っ越す経緯を説明しているつもりでいる。
「ふーん、この生活気に入ってるって思ってたんだけど」
「気に入ってるって?」
「だってそうでしょ。晴ちゃんには都合良いよ。この暮らしは」
いちいち的確な砂湖の言葉に顔が曇る。
「そうかな、そうでもないよ。大体都合がいいって何だよ」
怒りを感じて苛立つ。
「僕だけかもしれないけど、姉さんの気持ち重いって感じるときもあったんだ。兄貴がいないからね。弟ったってどうしたらいいのかわからなくもなるわけよ。勘違いしてないぜ。姉さんにしてみればただの弟に決まってるんだけど」
この家にいる意味はもう無いと砂湖に説明している。
「なら、この際、晴ちゃん私の家に来ちゃえば?」
砂湖は話しのついでにそう言った。そう来るだろうな…今までだって何度も出た話しだ。僕の気持ちを確かめるようにそう聞く時、砂湖は女の顔になった。
「なんだよ急に」
「私と言う彼女がいるのよ。前から嫌だったの。お姉さんが晴ちゃんの世話焼くの。見たくなかった」
「世話なんて焼いてもらってないよ。洗濯だって自分でやってるし、姉さんこんなふうに僕の部屋に入った事一回も無いぜ」
正当な権利として言い返す。僕は何も間違ったことはしてないと。
「来るたびにご飯作ってもらってるじゃない」
「あれは、姉さんの趣味だよ」
「趣味なら良いわけ、洗濯だってやりたいって言ったらやってもらったのよ」
だんだん口調がきつくなる。
「それは無い。僕は兄貴のおまけだってちゃんと自覚してるよ」
情けないけどそれは本当だそう思うしかない現実。
「自覚してるって…それ、嫌、絶対許せない。だいたいなんで晴ちゃんと一緒の時間を私より多く過ごしてるわけ」
砂湖はあからさまに、物理的に姉さんに嫉妬している。
「そんなこと言うなよ。お前に疑われるようなことは何一つ無いよ。僕の気持ちを疑うならもうここに来んな」
「疑われるような態度をする晴ちゃんが悪い」
そう言われて、何を疑われているのか見当もつかず面食らう。
「止めてくれよ。なにも疑われるようなことしてないから。やめようよ、この話」
僕は苦しくなってイライラと話を打ち切る。この点に関しては何度もケンカをした。言ってもどうにもならない事を言って来る砂湖にうんざりした。
興奮すると日頃思わないことまで頭に浮かぶ。砂湖は僕が姉さんにぞっこんみたいに言うけれど、そもそも男は女に命を掛けたりしないよ。と、悲しいけど冷ややかに思う。
砂湖が言うほど僕は女に熱を上げたりしないし四六時中女のことを考えるなんてありえない。そう言い棄ててしまいたかったが、そんな事を言ったら最後、違う意味で砂湖の怒りを逆なでしそうで黙った。
ほんとに正直なところ、そんなことにむきになって僕は暮らしていない。男は仕事の方が大事だ。と思うのは僕だけだろうか。そのわずらわしさから逃げたい気持ちが何なのかその頃の僕には子供過ぎて分からなかった。
砂湖の家に転がり込む未来は想像できない。誰かの一部にはなりたくないし、束縛もされたくない。一緒に暮らすとなれば砂湖に気を使わなくてはならなくなる。今までのようにのん気にしてはいられない。
その点、砂湖の推察どおり姉さんとの関係は楽だった。姉さんからの好意を受け取るだけで良かった。砂湖にその気楽さなんて到底納得させることはできない。
それを理解させるなんて虫が良すぎる。僕にとって、砂湖の愛と姉さんの愛は両立出来るものだった。都合よく成立していた。それは女にとって聞きたくない事実だろう。
今回ばかりは砂湖は泣いた。何度も泣いた。絶対引きたくないことだからだ。それを解っていて僕はそのたびに、
「僕が好きなのはお前だけだから」
と、砂湖に言い。そんなのを口にしてしまえるのは砂湖だけだからと自分に言いきかせ、面倒くさいことにならないように祈った。
会う度にそんなことがあったにの、面倒くささをこれ以上抱えるのはなにより嫌なくせに、僕はあれこれ悩んだ末、最終的に、どうにでもなれと投げやりな気持ちになって多恵さんの離れに引っ越した。
きっとこれは最悪の選択だ。誰も傷つけない未来を思いながら一番大切な砂湖を傷つけた。
最後まできちんと考えるのが苦手で、最後は流されて事を決めてしまう。こんな僕が東京に出てきたんだからミュージシャンの夢だけは半端じゃなかったんだと今更他人ごとのように、奇跡のように思う。そんな時は夢の中にいたんだろう。いつまでも夢の中に居たくて煩わしい現実を拒んだ。
砂湖の猛反対と兄貴からの遠くから飛んでくるクレームをかわすのに疲れて、最後は面倒くさくなって、ムスッと黙り込んで強行突破した。
多分、何もかもから逃げたかった。そんなときの誰にも何も言わせない方法を僕は知っていた。そして、何故かそれを得意としていた。人と関わらないで生きていけないくせに、人から距離を置いて孤独になる瞬間が平気な厄介な奴だった。
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