第7話 胎動

 足立さんから話をもらった後も、僕たちは煮え切らないで明けては暮れる変わり映えのしない毎日を送っていた。僕はこういうとき口火を切る役じゃない。自分で課題を作ってマイペースに練習するのが得意なだけで、決定的な決断を下すことをした事は無かった。

「せっかくもらったチャンスは生かさないといけないよね」

 話をもらってから半月。CDデビューを話題にもせず練習に励んでいた僕たちは、ユンちゃんの振り絞るようなつぶやきでようやく重い腰を上げてデモテープ作りを始めた。

 僕たちの曲の大部分を作っているユンちゃんがやろうと言うんだから、拒む理由も無い。ところが、そうつぶやいたとたん、ユンちゃんは自分の家に引きこもってしばらく練習に姿を見せなくなった。

 そうだった。もともとユンちゃんはある程度形になるまでは一人で仕事をするタイプで、曲数の多い今回はユンちゃんの篭りも半端なく、大方の形が出来上がるまで当分全員で集まれそうも無異状態となった。

 それでこの際、僕も思い切って気分転換に多恵さんの家に入り浸ってピアノの前に張り付いていた。

 僕が曲作りをすると聞いて多恵さんがサンルームに小ぶりなピアノを置いてくれて回りも何だかちょっとしたホテルのアトリウムのようにしつらえてくれて居心地良く仕事を始められた。

 ユンちゃんの強く薦めるバラード一つと、僕のイメージとは違うって文句言われそうなアップテンポの明るいラブソングと、クラシカルなピアノの音色に合わせてポツポツと雨音のするイメージの曲を考えていた。

「あれ、このピアノ?」

「倉庫から出して調律してみたの。このピアノ晴人のイメージでしょ」

 多恵さんは繊細に彫られた波のレリーフを細い指で撫でながらそう言った。

「私が子供の頃からこの家にあったの、時々ホームパーティーする時なんか集まった父の友達が弾いてくれたりしてね」

 と、懐かしそうに言って、何小節かポロポロと弾いた。

「グランドピアノみたいに冴えた音じゃないけど、少しこもる音の雰囲気が晴人のイメージにぴったりなんだよね。どう思う?」

「どうって僕なんかが使わせてもらっていいのかな…」

「かまわないわよ。誰にも弾いてもらえないピアノのほうが可哀想でしょ」

 声に力がない。多恵さんはこの頃元気がなくて、ピアノのことよりも多恵さんの体のことのほうが僕は気になっていた。

「多恵さんちょっと顔色悪くないすか」

 いつもの明るさが無かった。

「そう?実はそのうち晴人にお願いしたいことがあるんだけど、その前に遥に承諾を得ないと、と思ってる。もう少ししたらあなたにも言うつもり」

「え…」

「待ってて、それまで」

 多恵さんに待てと言われれば待つしかない。僕は納得のいかない顔で返事をした。

「このピアノで好い曲いっぱい作って。ここはこのままにして置くからいつでも使ってね」

「はい」

 やっぱり僕は『はい』と返事するしか能が無いみたいだった。

 しかし、はいと威勢よく答えてもそう易々と良い曲は出来るはずも無く、それからの僕の毎日は、環境だけ整った中で、だらだらと過ごしているような、何かに思いつめているような、ひどく重苦しい毎日になっていった。


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