第6話 足立さん

 携帯が鳴った。

「あ、晴君?今日は練習なの?」

 それは姉さんからの電話だった。姉さんから電話が来るなんて相当珍しい。表示を見るだけでテンションが上がってオー!と思う。

 姉さんは僕のことを晴君と呼ぶ。と言うかバンドのみんなも基本みんな晴君、または晴と呼ぶ。それに反発して砂湖だけが晴ちゃんと呼ぶ。多恵さんは晴人と名前全部を呼び捨てにする。三者三様の呼び方があってそれぞれ主張して聞こえる。僕は一人なのに三人分の僕でいなくてはならないような不思議な義務感に駆られる。

「今日練習終わったら真っ直ぐこっちに来れない?ちょっと事務所に寄って欲しいの」

 姉さんからの電話でドキドキする僕は本当に子供だ。周りで見てる者からすればひたすら恥ずかしい子供じみた顔だ。少しも誤解を招くような姿じゃないのに…

「良かったらみんなも誘って。砂湖ちゃんや祖知君も一緒に」

「え、なんであいつらも…」

 僕は残念な気がして眉間にしわを寄せた。そして、こういう気持ちを砂湖に見抜かれてるんだなと苦笑いする。

「みんなを紹介したい人がいるの。事務所で待ってるから」

 確かに姉さんと二人で食卓に着く時の、あのほろ苦い予測不能な気持ちの変化は表現するうまい言葉が見つから無い。僕も姉さんも今の関係を壊す気は無いし、あくまで兄貴がいての二人だと思っていても、お袋だと思うには生々し過ぎて、そのヒリヒリする胸の痛みは男としてどうしようもないものだった。

「姉さんが帰りに事務所に寄れって」

「へえ、何だろう、写真でも撮ってくれるのかな~」

「まさか、姉さん食べ物専門だぜ」

 そう言う僕の顔がニヤケていたに違いない。砂湖がふと目をそらして不機嫌そうだった。姉さんとのことをあれこれ詮索されるのは気分が重い。でも、どんな風に弁解してみても砂湖には納得してもらえない。永遠に理解できない関係もあるとあの頃は意地になっていた。

 僕らは事務所の駐車スペースに車を止めると車を降り砂湖に手を伸ばした。祖知の手前照れ臭いがこうすることが砂湖とのトラブルを解決する一番の近道だと知っている。それがマンネリ化していることも同じくらいに分かっていたとしても、砂湖の不機嫌な顔を見るのは何よりも僕が一番嫌いだった。

 砂湖は一瞬惑ったが、それほど機嫌が悪い感じでもなく僕の手のひらに指を重ねた。


 事務所に着くと意外な顔ぶれに驚く。多恵さんが僕たちを待っていた。

「あれ、多恵さん。今日は何ですか?」

 相手が多恵さんならまた出方が変わる。

「まあ、どうぞどうぞ」

「へえ~多恵さんもここに来ることあるんだね」

 珍しいところで師匠に会えてテンションの上がる僕を、姉さんがとがめるように言った。

「何言ってるの、晴君のために来てくれたんだよ。あ、こちら友達の足立さん。音楽事務所の所長さんをやってるの」

「所長さんて、やめてくださいよ。なんか年取って聞こえるな。足立です。よろしく」

「音楽事務所って?」

 足立さんはスーツを着ているせいか落ち着いて、堅っ苦しそうで、姉さんの事務所にはちょっと不釣合いな気がした。

 姉さんの事務所はさすがにクリエイティブな場所だけあって日頃からジャケット族が多い。たいていの人はおしゃれでラフな中にもきちんとしたイメージのある服を着ている。足立さんのようにあからさまなスーツを着ている人をこの事務所で見るのは珍しかった。

「一応名刺です。形だけ…本業はCM曲を作ってるんです。あと、素人さんのCD作りの手伝いとかしてて、面白いものも時々出来るんです。それで、多恵さんから話を聞いて本気で君たちのCD作ってみたいと思って、お手伝いさせていただけるなら…」

「CD…」

 そう言って覗き込む眼差しの底に本気と取れる決意を感じて戸惑った。バンドを初めた頃、いつかはCDデビューと思うこともあったが、ライブの方が楽しくてそこで満足していた。

「やりませんか。歌や演奏の実力は確かに必要だけど、若い今の音源を残しておくのも悪くないでしょ。これ多恵さんの受け売りなんだけど」

「多恵はあなたのことを買ってるのよ。自分の弟子だから」

「あら、売り込むつもりなんて無かったのよ。ただ話してるうちに面白そうって、足立さんが言うから、やってみるのも良いかもって思ったの」

「面白そうって、まだ早いと思ったら断ったって良いと思うわ。無理することは無いから」

 姉さんの反応はいたってシンプルで、友達だからって気にすること無いと本心そう思っているようだった。

「良かったら。一度音を聞かせてください。うちのスタッフで検討してみたいんで」

「はあ、」

 気の抜けた声で対応する僕たちに失望しただろうか。突然のことでピンと来ないというのが実感だったかもしれない。メジャーになりたくない…見たいな、これからの変化を考えづらい気持ちもどっかにあったかもしれない。

「おかしな子達でしょ。ギラギラしてないっていうか。まあ、私はそこが気に入ってるんだけど。今時の子たちよね」

 やるせなさの漂うため息を多恵さんがついた。

 バイトをセーブして自分の音楽に少しずつ専念できるようになってから音楽の方向性が変わってきた。リードギターのユンちゃんがバラード好きで、何度も繰り返し、

「晴にはバラードが似合う」

 と言う。

 ユンちゃんの言うバラードの似合う僕は、少し翳りがあって、声もストレートに出すというよりは押さえた静かな歌い方をした方の僕で、ユンちゃんの作り上げた幻想に過ぎない。

 もともと持っている一見暗い、積極性に欠ける引いた感覚も、もちろんユンちゃんのインスピーレーションに引っかかっているんだろうけど、本当は荒削りな歌い方のほうが好きだ。

 だけど、僕はユンちゃんの歌を歌えば歌うほどその空気の人となってバラードと言うジャンルにはまっていくんだった。

 多恵さんの家のピアノで作曲することが増えてから、確かにメロディーラインの整ったバラードを作ることが多くなった。その分自分の殻に閉じこもる傾向にあって、姉さんが心配するくらい、最近は、週一の多恵さんちとバイト、練習室に通う以外は引き籠って出かけることが少なくなっていた。

 そんな時期に、突然のCD制作の話。

 人前に出るのが苦手な集団の僕たちは、きっとわかりづらい第一印象で足立さんを悩ませただろう。唯一元気印の祖知でさえ外に向けて大騒ぎすることはない。ましてや、僕やユンちゃんに取り付く島はない。そんな中で、砂湖の表情だけは明るい。彼女はこんな異端なバンド仲間の中でも貴重な常識人といえる。人前でどういう態度を取るのが良いのか分かっているから、そんな彼女がただ笑ってくれているだけでバランスが取れる気がした。

 そんな僕たちに足立さんは呆れてしまったか、名刺と足立さんお薦めのCDをいくつかもらって話はあっけなく終わった。

「さあ、終わったならどこかで何か食べない?」

 この話が出てようやく僕たちは息を吹き返して場が盛り上がった。

 多恵さんの誘いは一度も断ったことが無い。自分では行けない店で、見たことも無い料理にありつける。

 初めて会うことになったユンちゃんが噂の多恵さんに興味津々で、とにかく何かおごってもらおうと言うことになった。

 僕にはよくあるシュチュエーションだけどユンちゃんには新鮮だった。

「晴、感激!ゆっくり話がして見たかったんだ~噂の多恵さんと」

 なんだよ、いままで借りてきた猫みたいに静かにしてたのに…

「何その感想、どんな噂なのよ」

 多恵さんが反応する。

「そうだよ。失礼だよ。噂なんて…ただ、ユンちゃんが憧れてたってだけですよ」

 そんな話を聞いて久しぶりに多恵さんが嬉しそうに笑った。

「だって僕、年上の女性に免疫無いからドキドキする…」

 そう言うユンちゃんはこれでなかなかの美男子でファンからの人気も篤いのに、物静かだから、いつも祖知に隠れて掻き消える存在だった。

「トンマンも呼んでいいですか?そろそろバイトが終わるから、向こうで合流できると思うんで」

「いいわよ。みんなで飲もう!たまにはいいわね晴人」

 僕は作り笑いをしてうなづいた。この状況で嫌とはさすがに言いづらい。

「いやあ、感触いいな~みんな若いし、ルックスいいし」

 さっきまで僕たちを持て余して意気消沈していた足立さんが、おじさん臭くそう言うと、ようやく打ち解けた顔で笑った。

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