第5話 バンド仲間

 僕は僕の意思で酒を飲むことはない。酒を飲むという行為がどちらかと言うと苦手だ。味だろうか、雰囲気だろうか…体質的に苦手な部類なのかもしれない。

 二十歳になれば誰に遠慮しないでも好きなものが飲める祝いだと、周りが待ちに待った僕の二十歳の記念日は、祖知がキャプテンを務める草野球チームの親睦試合の打ち上げの席で迎えた。兄貴のところに厄介になりながらも、親元を離れて長いその年月を思えば、二十歳になったことに感慨深いものがあった。

 男ばかりが集まるそのやかましくもむさ苦しい集団に、試合の後から合流した砂湖も来ていた。

 何ヶ月ぶりかでみんなが集まった午前中の練習試合で思い切り汗を流し。大声を出した時は昔に戻ったみたいで自分が解放される気がする。思えば、子供の頃の僕は何も考えずひたすら野球に打ち込んでいた。

 その頃の僕は祖知とも変わらない身体つきだったし、肩を組むことも、一緒に風呂に入ることも何の抵抗も無かった。

 それが…今では僕ひとり大人になりきれない大人になってしまって、日陰のもやしみたいに弱っちく、祖知のガタイの良さを恐ろしいと感じるくらいの差が出来た。

 しかもその差は、そのまま心の差にもなっているようで、祖知は男らしく何でも押していく積極的なタイプ。僕はあれこれ考え過ぎて一歩も踏み出せない軟弱なタイプ。周りに気を使っていると思われたくなくて、小さな肩を思いっきり突っ張る後遺症まで伴っていた。

 その軟弱な身体に、飲めないビールを流し込んで、慣れないドンちゃん騒ぎの主人公を演じて、息苦しさに眼を回しながら、こんなことにも気持ちがギクシャクする不自由すぎる自分をなんて困り者だろうと思っていた。

 照れ笑いをし、時々曇る顔に閉口し、酒というものの不快さに体調を崩しながら、だからって、けして嫌なんじゃない。こうやって誕生日を祝ってくれる友達がいる事自体は嬉しくて、表現こそ拙いが気持ちは、自分の振り幅としては最大級に喜んでいるんだった。

 上京した僕を横目に、地元の高校をきちんと卒業してから、遅れてこっちに出てきた祖知は、僕と三年のブランクがあったはずなのに、持ち前の強引さで直ぐにうちのバンドの大将になった。

 その後、スタッフやバンド仲間に声をかけて野球チームを作り、公私共にみんなのまとめ役になった。とにかく声がデカい。どこにいてもその存在は広告塔だった。

 自分の作ったチームへ僕にも入れとしつこく誘ってくれていたけれど、その頃の僕は、ピアノしか頭に無くて、他のことには目が向かなかった。今年に入って体力的にもう少しパワーが欲しくなってようやく誘いに乗った。

 入ったばかりの僕に、幼稚園の頃から腐れ縁の祖知は、半強制的にピッチャーをやれと言う。最近の僕しか知らない関係者の多くは、僕にそんなことが出来るわけ無いと半分笑って、祖知の意地悪にも困ったもんだなと、なんの期待もなく反対に可哀想がってくれた。

 なにしろ家に引きこもって楽器をいじってる真っ白い僕にその当時の面影はない。どこから見てもひ弱で軟弱だった。

 でも、実は僕は子供の頃、祖知に勝るとも劣らない野生児で、一日中外を飛び回って遊んでいる子供だった。何よりも野球が好きだった。身体能力もそれなりに高くて、多分、体力では祖知に完敗だけど、技術としては勝っている自信があった。

 酒の席の猥雑な雰囲気は、比べるものもなく苦手だと思っていたけれど、回を重ねれば案外慣れてくるもんだ。子供に戻れる祖知との時間は素直に楽しかった。

 少年野球で鍛えた祖知の不屈の精神は、未だ衰えず安定感がある。ライブに耐える強靭な肉体と、パワフルなドラムワークで僕たちのバンドを後ろから盛り上げてくれる。

 あいつがこのバンドにいると思うだけで、寄っかかって好きなように振り切ることが出来た。


 高校時代の夏休みに、祖知が親と大ゲンカしてしばらくこっちに家出していた時期があった。ちょくちょくやってくる姉さんに一目ぼれして、どんなに兄貴の彼女だと説明しても頭から疑って、なにかと僕との関係をかんぐりウダウダ攻められるのが面倒だった。

 美しい姉さんのいる僕の環境は確かに最高だ。高校時代から付き合っている彼女のいる僕に、甘えさせて可愛がってくれる姉さんまでいることが祖知には許せないに違いなかった。

 祖知はどちらかと言うと男仲間が多く、思い出す情景としては、いつも集まってワイワイやっている。地方にライブで出かけるときも顔が広いと言うか、どこの店でもマスターや店のママに気に入られて大人気だけれど、特定の彼女がいる話は聞いたことが無かった。

 この前、名古屋でライブをやった時、向こうで大学に通っている砂湖の妹が陣中見舞いと言って友達を連れてのぞきに来てくれた。砂湖によく似て手足の長い明るいその様子は、日頃砂湖に感じている癒しにあふれていた。あの明るさは、絵に描いたような屈託のない家庭で自然に培われたものなのかと思わずにはいられない。

幸せな砂湖の家庭が思い浮かぶ。

「砂湖映見です。姉がいつもお世話になっています」

「砂湖映見…」

 あ~本当に砂湖は苗字なんだ。絶望的な現実を突きつけられる。あれっきり話題にしてない話を思い出した。当然砂湖は僕の動揺など意に介してもいない。平然とその場の空気に溶け込んで久しぶりに会った妹を歓迎している。今さら僕に名前を教える気も無いんだろう。

 ああなる前に映見ちゃんに会って免疫を付けておけばどんなに良かっただろう。と思いながら、ああならなかったら眼の前で「砂湖映見です」と言われても気がつかなかったかもと思って、今さら自分の鈍感さに落ち込んだ。

 砂湖の明るさだって凄いのに、更にその二倍くらい明るい映見ちゃんは、すぐに人気者になって祖知に可愛がられていた。でも、どう観察してもその様子からは、からかっているとしか考えられず、祖知は、女の子を妹みたいにしか見られない。そういう体質なんだと勝手に思っていた。

 ユンちゃんは相変わらず特に興味も示さず、ただニコニコしていた。浮いた噂も聞かないし、女の影も無いし、いったいユンちゃんはどんな暮らしぶりをしているんだろう。

 ユンちゃんの家は新大久保で有名な韓国料理店をやっている。姉さんが学生の頃から懇意にしているお客さんで、親父さんからポスターやDMの仕事をもらっていた。その息子のギターがそうとう上手いと姉さんから聞かされて居ても立ってもいられず、とにかくすぐスカウトに行った。

 店の前には見たことも無い文字の赤い看板が立っている。韓国語か?ここにきてようやく向う見ずな行動に気がつく。そして自分が極度の人見知りだと思い出してたじろぐ…

 飛び出してきたもののどう尋ねていいかわからない。今まで一度も入ったことの無い韓国料理の店。偏食の激しいこの僕がいったい何をたのんだら良いのか…分からず勇気を振り絞って、見たことも無い、当時は珍しかった『韓国冷麺』をたのんでみた。ラーメンは好きだから麺なら外れても何とかなるだろうと踏んだ。

 ステンレスのボールに入った氷の浮いた冷たいスープの麺…それは相当覚悟のいるいでたちで目の前に出てきた。

 麺も思ったのと違う…覚悟を決めて吸い上げた一口。これが凄く美味しくて、可笑しいけど親父さんに親しみを感じた。声の大きな威勢のいい親父さんから考えると、さぞかし息子も迫力ある大食漢でタイプが似ているとしたら祖知。これはうまくいくだろうかと心配したが、似ても似つかぬもやしみたいなユンちゃんが現れて二度びっくりした。

 ユンちゃんはその頃から部屋に籠って人知れず曲を作るタイプで、今だに少しも変わらずストイックな少年だ。僕と祖知を比べればかなり僕に近い。

 絶対的な迫力を持つ祖知と繊細なユンちゃん、傍目には社交的な僕といつもニコニコのトンマン。バランスのいいメンバーだと思った。

 主張する奴がそんなにいても話は進まないからこのくらいがちょうどいいと思っていたら、ユンちゃんは、見かけがもやしなだけで大事なところは芯があって主張するタイプだったから、やっぱりあの親父さんの息子だなと感心した。

 でも、調整能力の高いユンちゃんは、祖知との刷り合わせも上手くて話が暗礁に乗り上げることは無かった。

 僕はユンちゃんにはめっぽう弱い。祖知には無鉄砲には我が儘をぶつけるけどユンちゃんから言われると、それもそうだと納得できて、たいてい言うとおりにして生きてきた。


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