第3話 SAKO

こんな僕にも一つ年下の彼女がいる。もう三年付き合っている。

 俺等のバンドのファンだった彼女は、高校に入ってすぐトンマンと軽音楽クラブの連中と作ったバンドに、秋頃から時々顔を見せるようになった。動き出したばかりでファンなんていない。まだ名も無きバンド。みんな無条件で歓迎した。

 初め、誰か別のメンバーの彼女だと僕は勘違いしていて、人見知りの僕が気負いも無く、かなりずうずうしく、タメ口で相手をしていたのが砂湖には新鮮だったらしく、そのまま居ついて知らないうちに僕の彼女になった。東京で育った砂湖は田舎育ちの僕に向って、何を根拠にか、

「晴ちゃんは東京の人より江戸っ子らしい」

 と言う。ヅケヅケ言う性格と拘りがなくさっぱりとしているとことをそう思われているらしい。さっぱりしていると言うより、冷たいんだと思う。仲間に感心がなかったし、ひととこに留まっていられなかった。

 僕は基本的にお上手が下手で、友達には平気で傷つくようなことも言う。でも、これは相手が男のときに限ってで、女にまであえて悪い言葉を吐こうとは思わない。

 なのに、初めから男と女として出会わなかった砂湖は、女の扱いを受けないで関係が出来てしまったから、僕から丁寧な言葉で扱ってもらったことが無い。

 案外否定しているようで、何でもづけづけと言い合えてしまう僕たちも、兄貴と姉さんの関係に似ているのかもしれない。


 東京とはいえ田舎生まれの砂湖と、本当の田舎育ちの僕との共通に感動し合えることは、星を眺めて言葉もなく過ごせることだった。都会とはいえ、大きな川を挟んで座り込む郊外の土手は真っ黒な闇が横たわる。頭上に都会とは思えない美しい星空が広がり僕たちは言葉を失くす。

 口数の少ない僕は、口数は確かに少ないけれど、だからって感動しないわけじゃない。何でも口にしないと伝わらないことが多い中で本当に感動したときには、言葉にならなくても目を合わせたり微笑んだりして心が通じ合えることはあると思う。

 砂湖もどちらかと言えば口数の少ない女で、僕たちは二人一緒にいても会話が弾む事はない。そんな時、シーンとした状況でもお互い分かり合えるってありがたい。

星はキラキラ瞬いて何万光年離れても一つ一つが調和していて会話しているようで、気持ちが安心する。そういう関係になれることは男にとって理想だと思う。

 なにしろ口下手だから…押し黙る事が多い。適当に一言言えば良いものをそれすら思い浮かばない。上手い言葉を語れないでつまずくのは、気持ちとは違うところでかみ合わなくなるのだから悲劇以外の何ものでもない。

 彼女、砂湖と一緒にいると心が休まる。自分を飾らないで素のままでいられる。それは本能的にそう思う。でも、何事に対しても自己防衛本能が強く、その場その場で自分を使い分けてしまう僕だから、まだまだ砂湖には見せられない隠したい部分も多々ある。

 さらに極端な二重人格、いや三重…と過去を知る祖知はあきれてバカにしてそう言う。相手が変わると意識しなくても性格が複雑に変化するらしく、それに付き合えない祖知から、お前は扱いにくいと断言される。

 その点に関しては自覚が無いので、自分でもどれが主人格か掴み切れないでいるけど、人からの評判を聞くにつけ、よほど厄介な性格と思われている。

でも、砂湖の前の自分が一番素直な自分じゃないかと勝手に思っているところに砂湖への弱みを感じる。

 砂湖の勝気で男っぽく、そのくせ情にもろくて面倒見が良いところは、女にしておくのはもったいない。砂湖には申し訳ないが性別を超えてこのまま一生親友でいたい気がする。

 なのに、突然堰を切ったように話し出して砂湖が聞く、日頃話しをしない分何処かにためているのか?

「私の事どう思っているわけ?」

「どうって?」

「女として見てるとか、結婚しようとか」

 確かにこの気持ちを確認しあったこともないし、はっきり言った覚えも無い。でも、この質問に正しく答えるのは厳しい。

「や、何も無くてこんなことしないでしょう」

 僕たちはそういう関係になってもう長い。でも、結婚とかこの先のこととか問われるとまだ機は熟してないような気がする。何しろ二十歳前だから…

 朝の身支度を整えながら、忙しそうに曖昧に、そこまで深く考えてないことを見抜かれないように苦笑する。

「でもね…あなたには憧れのお姉さんもいるわけだし」

「それは違うよ。姉さんに対する気持ちは家族愛。憧れとかそういうんじゃないから」

 歯磨きでアワアワになった口元を押さえながらそこは急いで否定する。

「どうだか、面倒くさいの嫌いでしょ。お姉さんなら甘えてるだけですむじゃない。遥さんはあなたにとって究極の恋人よ」

「いやいや、それじゃ姉さんを利用してるみたいに聞こえるでしょ、彼女は、彼女は…あくまでお前だから」

と言った後で、胸がしくしくする。

「じゃそろそろ私の事、名前で呼んで欲しいんですけど」

 砂湖は意地悪そうに、この日を待ってたのかと疑いたくなるほど子悪魔的に、僕の眼を覗き込んで言う。

え、名前?

「砂湖って…名前じゃねえの?…お前クレジットもSAKOって」

「砂湖は苗字です」

「そ、そうなの…」

 きっぱりとそう答える姿に、これは簡単に教えてもらえるはずは無いと名前を聞くのは諦める。諦める僕にまた砂湖が腹を立てる。僕もあまのじゃくだからそう来られれば素直に『名前教えて』なんて言えない。

 僕は、あからさまに一本ねじの抜けた顔をして首を傾げる。一番身近でかれこれ二年名前を呼び合っている砂湖が、他に名前を持っていたとは考えようもない。

 砂湖というのが苗字だなんて一度も想像したこともなかった。苗字なんて分からなくても付き合えるもんなんだ。と感心してる場合じゃない。このままじゃどんどん雲行きが怪しくなる。

「そうよ、百歩ゆずってよ!砂湖が名前だとしてもよ、苗字ってもんもあるわけでしょう。彼女の苗字知らないなんておかしいでしょう。私、結婚したらSAKOじゃなくなるわよ」

「それは困る。砂湖はずっとSAKOでいてもらわないと…」

 ひんやりとものさびしい空気が流れる。

「はいはい、結婚はあきらめろってことね」

「いやいや、そうじゃなくて、別にペンネームにすればいいじゃない」

「そういう問題。大事なのは、名前も苗字も知らないで二年もいられる神経。その程度の愛情ですかって、とこよ。じゃない」

「何で突然、その話なんだよ。何か僕、気に触ることした。そんなにむきになって…」

 気弱な僕はいい訳は下手だ。決め手になる挽回作が具体的に浮かんでこない。砂湖ににらまれたまま僕は絶望的になった。

 確かに、こんな僕が女を幸せになんかできるのか?

 砂湖のことだけじゃない。多恵さんのことも、姉さんは間違っても僕にとって女じゃないけど、僕の周りには女の影が多すぎる。

 女でも男でも誰れ彼れかまわず寄っていきたい弱虫なのを周りに見抜かれている。そうなんだから良いじゃないかと自分でも甘やかして長所なんだと思って良いように利用しているきらいがあることを砂湖はいつも怒っている。

 それはそうなんだ。でも、砂湖はその中でも特別なんだ。特別だと思ってきた。特別だと思っているけど…どんな特別か表現するには身勝手すぎて言葉に詰まった。

 不安な気持ちで砂湖を横目で追うと、いつの間にこの家に持ち込んだのかわからない小さなオルゴールの中から、今日のアクセサリーを選んでいた。

 こんな時のリアクションは難しくて身動きが取れない。果たして砂湖はまだ怒っているのか、もう忘れてしまったのかそれが分からなくて、聞こえないように大きく息をした。

「私、お姉さんとケンカしたことあるの」

「何で?」

 いつもの驚きの戦術に僕はいよいよ翻弄されていく…

「私から晴ちゃんとらないでって」

「とる?」

「なんか、狙われてる気がして」

 いや違う。狙ってるとすれば多恵さんの方がヤバイ。姉さんはああ見えて兄貴にぞっこんで、僕は連れ子みたいなもんだ。砂湖のことも親目線で心配している。その姉さんに、

「そんなこと言ったんだ…」

「あらいけない?女としては当然の心配でしょ」

「それでなんて」

 そう聞くとまた怒りが爆発して返ってきそうだが不安でつい聞いてしまう…

「本気で心配された。ちゃんと避妊しなくちゃ駄目よって」

「やめてよ!」

 そう来るかと情けなくなった。姉さんならそう言うに違いない。僕のことを本当の弟以上に心配している。その姉さんに勘ぐられるのは重大なことが親にばれた気分でたまらない。

「姉さんは僕の、兄貴より強力な保護者なんだから。ああ…まずいな。親にしても姉さんにしてもそんなこと言われるようなまねするなよ」

 砂湖は舌を出して意地悪そうに笑った。そうやって自分の立ち地位を確認して僕に揺さぶりを掛ける。

 砂湖の戦略はわかっている。僕のことを独り占めしたい。その気持ちもわからないではない。でも、僕は人と関わらないでは生きていけない。この業界は人脈が第一で良い人脈がなければ良い仕事は出来ない。もちろんそれだけじゃないけど、人を好きでいることが最大のセールスポイントだと僕は思っている。今までもギリギリのところで複雑な関係を保ちながら生きてきたんだ。

だけど…

 この日の初めての些細な口論は、のちに決定的な何かをもたらす…


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