第9話 朝の曲


 ソーセージを食べながら、ポールは切り出した。


「ご飯を食べ終わったら、君に歌ってもらいたいんだ。よければ何か一曲、歌ってもらえるかな?」


 ウィルバーの店に行った翌日の朝のことである。



 結局、昨日はアメリーが欲しい人形を決められなくて買えず、他に女の子が欲しそうなものも思いつかずに宿屋に帰った。

 つまり、彼女が欲しいものを準備することができなかったのだ。 


 歌ってもらう代わりに、彼女の望むことをして、それで自分を納得させるつもりだったというのに。



 だから、ポールは昨日の夜から、眠る前に床の上で考えていた。

 せめて楽しんで歌ってもらおうと。


 ソーセージを頬張ったまま表情を変えないアメリーに、彼は語りかけた。


「僕が一緒に笛を吹くよ」


 そう言って、笛を持ち上げてみせた。

 彼女の表情が、少しだけきらめいたようにポールは思った。



「それじゃあ、君が知ってる曲は、どんなのがある?」


 朝食を食べ終わり、二人はベッドに並んで座っていた。

 アメリーが咳き込んでしまうときのために、水まで用意してある。


 明るい口調のポールの質問に、アメリーは申し訳なさそうにうつむいた。


「あの曲しか知らない……ごめんなさい……」

「えっ……あの、ハンモックの曲? あれをずっと歌ってたの?」


 思わず驚きの声が漏れてしまう。

 アメリーが頷いて、ポールはまた頭を抱えた。


 この子はいったい、どれほど辛い生活をしてきたのだろう。

 大量の真珠のためにひたすら歌わされるだけでも辛いのに、ずっと歌っていたのがあの曲だけだなんて……


「いや、君のせいじゃないから、謝らないで」


 とりあえず、彼女をなだめながら考える。

 この爽やかな朝に、子守唄を歌うというのは、ちょっといただけないなと。


 儲からないとはいえ笛吹きが本職のポールは、曲の、TPOと言えばいいだろうか、曲が状況に合うかどうかにはうるさかった。

 夜には夜らしい曲や恋の曲を、昼には昼らしい賑やかな曲を選ぶのは、人前で演奏する人間にとって基本中の基本だ。


 ポールが賑やかで明るい曲を演奏するのが苦手なのは、また別の話ではあるのだが……


 彼が明るい曲をまるで知らないというわけではない。


「俺が朝の曲を教えてあげるよ」


 ——簡単だから、すぐに覚えられるはずだよ。


 そう言って彼は、見本として歌い出した。



  お日様が山の向こうから顔出して


  犬も小鳥も目を覚ます


  お隣のパン屋がパンを焼き上げて


  僕のお腹も目を覚ます


  川はきらきら光り出し


  今日もいい日になりそうだ



 ポールが歌ったのは、子ども向けの童謡だった。


 アメリーは、ポールが歌うのに重ねて鼻歌を歌い、少しずつメロディを掴んでいった。

 彼女は覚えるのが早かった。もちろん簡単な曲というのもあるけれど、それ以上に彼女は熱心な生徒だった。

 新しい曲というのもまた、彼女の好奇心の対象だったのだろう。


 ちなみに、練習するうちにわかっていったのは、彼女はフレーズを歌うだけでは真珠を吐かないということだ。真珠を出すのは、一曲を歌い切ったタイミングなのかもしれないと気づいたポールは、彼女が真珠を吐かないように気をつけて練習させた。


「そろそろ、一人でも歌えそう?」


 頷く彼女は少し不安げだったけれど、聞いてみるとちゃんと歌えていた。


 それを確認したポールは、さっそく笛で音を重ねる。


 笛を吹き始めると、アメリーはぱあっと笑顔になった。


「アメリーは笛が好き?」

「うん、ポールの笛、好き」


 アメリーは力強くそう言い切った。


 久しぶりに自分の演奏にもらった、心からの賛辞にポールは嬉しくなってしまった。

 舞い上がってしまったと言っても過言ではない。


 それで調子づいたのか、彼のこの朝の曲の演奏は、ここ最近でいちばんの出来となったのだった。



 頃合いを見て、二人は一曲を通した。

 アメリーは相変わらずの透き通った声で歌い、ポールは曲調に合った、そこそこ明るい音色で笛を吹いた。


 アメリーは真珠を吐き出した。

 ポールがすかさず水を飲ませる。


 宝石をあまり見ることのないポールは、渡された真珠に見入ってしまった。

 美しい球形のそれは、とても少女の喉から出てきたとは思えなかった。



「……ポールの笛、また聴きたい」


 不意に横からかけられた声に、ポールはアメリーの顔を見た。


 演奏が終わった後、もっと聴きたいというふうにこちらを見つめるきらきらした眼……


 いったい、いつぶりだろうか。


 ポールはアメリーの頭を撫でて立ち上がった。


「ありがとう。でも今日は、広場に演奏しに行かなくちゃいけないから」


 稼ぎをこの子にばかり頼ってしまってもいけない。


「いい子にお留守番できる?」

「うん、待ってる」


 やはり、留守の間に彼女が退屈しないよう、おもちゃはいつか買いたいな。

 そう考えながら、彼は笛吹きの衣装に着替えて、宿の部屋を出た。




 一方その頃——


 パーティーから帰ってきたフォーゲル伯爵は、あの小屋に向かおうと鍵を取り出していた。

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