第8話 子どもの欲しいものといえば

 ウィルバーの店を出るとき、ポールは彼から一言、忠告を受けた。


「伯爵は、この子を死に物狂いで探すかもしれません。真珠によるあれほどの収入が、一気に消えてしまうのですから」


 言われてみれば、確かにその通りだ。

 その可能性をこれまで考えてこなかった自分に驚いた。


「もちろん、先に罪を犯したのはあなたですが……もう引き返せないのでしょう。あとは逃げ切るだけです……くれぐれも気をつけてください」


 自分の罪を知って、なお味方でいようとしてくれるウィルバーに、ポールはありがとうとだけ言って、店の中にいるアメリーを探した。

 彼女は言われた通りに大人しく商品を見ていた。


「アメリー、もう帰るよ」


 はーいと言って走り寄ってくる彼女の手をポールは握った。


「ありがとうございました」


 ウィルバーは丁寧な挨拶で二人を送り出す。

 あくまでもポールと彼との関係は、客と商人なのだ。



「ごめんね、待たせちゃって。暇じゃなかった?」

「平気。きれいなものがいっぱいあったから」

「それならよかった」


 思った以上の長話をしてしまったが、アメリーは退屈しなかったようだ。


 アメリーに話しかける一方で、ポールは悶々と考え事をしていた。


 ——伯爵が追いかけてくる可能性がある以上、フォーゲル伯爵領に留まり続けるのは、安全ではないだろう。ウィルバーの言いたかったのも、要するにそういうことのはずだ。


 ならば、違う領地に移動するまで。

 俺はさすらいの身だからな。


 この子がいるから、あまり遠い場所、例えばよその国に行くのは大変だと思うが……隣の領地くらいの距離ならきっと問題ない。


 しかし、そうなってくると……

 短距離とはいえ、旅をするにはやはり、ある程度のお金がないと不安だ。

 まず、移動する間の食料は事前にある程度準備しておかないといけない。

 狼も怖い。用心棒も雇う必要があるだろうか……移動先の遠さにもよるな。ちゃんとどこに行くか考えないと。

 ああ、それから、宿屋にまた泊まるにもお金は必要だな。


 ついさっき真珠を売って稼いだ金額ももちろんあるが、今の貯金を考えると、少々心もとない。

 何より、食費はこれから二人分かかるのだ。相手は成長期の子どもだから、量を減らすわけにもいかない。


 問題点は、この状況で笛を吹いて稼いでいては、お金が貯まるまでにかなり時間がかかること。こっちは今すぐにでもこの領地を出たいというのに。

 となれば……


 ……アメリーに歌ってもらおう。

 仕方ない。また新しい場所でコツコツ稼げたら、もう大丈夫なはずだから。

 今回だけだ。


 ただ——無理に歌ってもらうのは忍びない。

 彼女が快く歌えるよう、俺にできることはあるだろうか。


 何か、この子の欲しいものを買ってあげるのはどうだろう。

 ——そうだ、おもちゃがいい。

 子どもはおもちゃが好きだからな。

 伯爵のところではきっと、おもちゃで遊んだりできなかっただろうから、いい機会だ。


 ポールがそこまで考えついたのは、市場を貫く大通りを歩きながらのことだった。

 だから彼はその足で、すぐ近くのおもちゃ屋に向かった。



 色々なおもちゃが売っているというより、色々な木の人形が並んでいるという感じの店だった。

 この辺りの地域では、おもちゃといえば木製、特に木製の人形が人気なのだ。


 ちらりとアメリーの様子をうかがうと、興味津々といったふうに目を輝かせている。

 彼女の、初めて見るものに対する好奇心旺盛な様子がポールは好きだった。


「これ、何?」

「これはね、人形っていうんだよ」


 彼女の質問から、思った通り人形遊びをしたことはないのだと察した。


 店の棚に視点を戻すポール。

 ここの店の人形はどれもころんとした印象があって可愛らしく、ポールは勝手に気に入ってしまった。


「気になるもの、ある? 好きなのを買ってあげるよ」

「本当?」


 彼女の声は弾んでいて、思わず笑みがこぼれた。

 店員も、心なしか微笑ましげである。



 ところが、いくら待っても、彼女は欲しい人形を決められなかった。


「……気に入ったもの、なかった?」


 ポールが柔らかい声で尋ねると、アメリーは泣き出しそうな声で答えた。


「欲しくないわけじゃないの……でも、決められない……」

「泣かないで、大丈夫だから。人形はいつでも買えるから、今日はもう帰ろうか」


 慌てて言葉をかけると、こくりと頷く。その目はちょっと潤んでいた。


 そのまま店を出て、じっとりとした湿気に空を見上げると、なんだか雨が降りそうな雲が覆っていた。

 早く宿に戻ろう。

 そう思ってポールは、アメリーを抱き上げた。



 道すがら、彼は考える。


 彼女はずっと小屋の中、一人で過ごしていた。

 決めることや選ぶことが少し苦手なのかもしれない。


 気づけば、肩のあたりが温かく湿り始めていた。


「……泣かないで。人形を決めて欲しかったわけじゃないから。アメリーに笑ってもらいたかっただけだから」


 ポールがそう言うと、頷く感触があった。

 肩のところは、もっと湿ってしまった気がした。

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