第7話 ウィルバーの店へようこそ

 次の日の明け方。

 ポールは、アメリーの寝顔をじっと見つめていた。


 すやすやと安らかな寝息を立てている。

 朝日を浴びる彼女の無防備な姿は、天使のようだと彼は本気で思った。


 ——しかし、一向に起きる気配がない。

 昨日の夜、よっぽど疲れたのか。それとも元々よく寝る子なのか……


 とにかく、もうとっくに朝だし、今日はウィルバーに会いに行くという用事がある。惜しいがさっさと起こしてしまおう。

 ポールは眠る彼女の肩を揺さぶった。


「ほら、もう朝だよ。起きよう」


 彼女は、ぼんやりと目を開けた。


 ぼーっとあたりを見回す。昨晩のことを思い出しているのだろうか。

 そして、ポールの方を見ると——驚いたように目を見開いた。


 理由のわからない彼は、戸惑った。

 もしかして、一晩経って、急に俺のことが悪人に見えてきた……とか? いや、そんなはずはない。


 いったい、どうしたというのだろう。

 焦りながらも、原因を探すために自分の体を見下ろした彼は、はっと思い至った。


 彼は、地味な服を着ていたのだ。


 くたびれた白いシャツに、なんの変哲もないズボン。

 昨夜の、緑やら赤やらの鮮やかなコーデとはまるで違う。


 この子とは、暗い中、つい数時間前に会ったばかりだ。彼女はまだ自分の顔もろくに覚えてくれていないだろう。この服装のせいで、見知らぬ人のように映ったとしても無理はない。

 ポールは慌てて言った。


「そんな顔しないで、安心して。笛吹きのお兄さんだよ」


 笛を取り出してみせると、彼女は安心したような顔になった。


「俺も、年がら年中、あんなトンチンカンな格好をしてるわけじゃないからね……あれを着るのは、笛吹きの仕事をするときだけだ」


 そして今日は、笛吹きの仕事をするわけではないのだ。



 朝食はパンとソーセージで簡単に済ませた。

 アメリーはソーセージが気に入って、至極おいしそうに食べた。よっぽど好きなのかと思って尋ねると、なんとほとんど食べたことがなかったとの答えが返ってきた。

 どうやら肉はあまり食べさせてもらえなかったらしい。


 今まで独り身で、食事にも量の他は何の頓着もなかった。けれど、 これからは食生活も意識していったほうがいいかもしれない。


 朝食を食べ終わった後、汲んできた水でアメリーの体を拭いた。

 彼女は冷たいのを嫌がったけれど、ずいぶんさっぱりしたので、ポールは満足だった。


 ついでに彼は、彼女の髪も洗った。

 彼女の色素の薄い金髪は柔らかくて彼にとっては新鮮だった。子どもだからだろうか。それとも、洗いたてだから?



 そうして朝の支度を終えて、日が昇り切ってから向かったのは、懇意にしている商人、ウィルバーの店である。


 ウィルバーは、主に希少価値の高いものを取り扱う商人である。

 だから彼の店は、商人の事務所のような感じはなく、むしろ宝石店の様相を呈してるのだった。


 さっきから街の様子でさえ物珍しそうに眺めていたアメリーは、ここに来て飛び跳ねんばかりの勢いだった。

 宝石のような美しいものがずらりと並ぶ店内。女の子にとっては夢のような場所かもしれない。


 楽しそうな少女と、地味な服装の笛吹き。

 それを不審そうに眺める店主のウィルバー。


 ウィルバーは自分の視力を疑うように、かけている眼鏡をずいと押し上げた。


「……その子どもはどうしたんですか?」


 彼の疑問は無理もない。

 先日まで独り身だった男が、急に見知らぬ子どもを連れてきたのだ。


「あー、そのことなんだけど……込み入った話になるんだ。いい?」


 ポールが言うと、ウィルバーはこっちに来い、というようなふうに手招きをした。

 彼が指し示したのは、カウンターの奥にあるテーブル。


 アメリーは、この話を聞かない方がいいだろうか。

 そう思ったポールは、彼女に少しの間、店の中を見て待っているようにと言った。カウンターの奥からは店の様子が一望できるし、大丈夫だろう。

 もちろん、店の商品には手を触れないようきっちり言い含めて。



 二人で向かい合って座るテーブル。

 丁寧なことに、ウィルバーはコーヒーまで出してくれた。そこまでの長話のつもりでもなかったのだけれど。あるいはこれは、コーヒーブレイクのお誘いというか、一種の好意の表れなのかもしれなかった。


「実はあの子……歌うと真珠を出す子どもって聞いて、攫ってきたんだ」


 コーヒーを一口だけ飲んでから、ポールは端的にそう告白した。

 懐からあの真珠を取り出して、ウィルバーの方に差し出す。


「……伯爵のところの子どもでしょう」


 ところが、ウィルバーは歌うと真珠を出す子どもという単語にそれほど驚く様子もなかった。それどころか、彼の口から出たのは予想外の台詞だった。


「どうしてそれを……」

「伯爵から真珠を買い取っていたのは私です」


 まさか、そうだったのか。


 世界は狭いとポールは思った。


「……だから、あなたが子どもを攫ったなんて聞いて、驚きましたけど、納得もしました」


 ウィルバーは、コーヒーを一口飲んで、続けた。


「彼は毎回、とんでもない量の真珠を持ってきました……気になっていたんですが、彼女はどのように真珠を出すんですか?」

「昨日の夜、初めて見たんだけど、歌い終わると咳き込むんだよ。それで、最後に真珠を一粒吐き出して」

「なるほど……吐き気がしそうです」


 彼は辛辣な口調で言った。

 ——ポールも同感であった。


「俺はどうしたらいいと思う? 歌いながら真珠を出すなんて、楽だと思ってたんだよ。でも違った……」

「……あの子をどうするかは、あなたが決めていいと思います。いや……」


 あなたなら決めていいと思います。

 そう、ウィルバーは言った。



 ウィルバーはそれから、とにかく今あるこの真珠は正規の値段で買いましょうと言った。

 提示された金額に、ポールは腰を抜かすかと思った。

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