第6話 子守唄を重ねて

 宿で眠る他の人を起こさないよう、静かに階段を登り、自分の部屋の扉を開ける。


「着いたよ。ここが俺たちの部屋ね」


 そう言って、おぶっていたアメリーを背中から下ろした。

 見れば、彼女はぽやぽやしているというか、かなり眠そうだった。考えてみれば、もう子どもにとってはかなり遅い時間だ。早く寝かせてあげよう。


 宿の部屋にはベッドが一つしかないので、ポールは床で寝るつもりだった。


「ほら、もう遅いから寝ようね」


 穏やかな声で言って、彼はベッドの方を指し示した。しかし彼女は動こうとせず、きょとんとした顔でこちらを見上げてくる。


 そうだ。この子はあの小屋では雑魚寝をさせられていたのだった。

 ベッドで寝るということがよくわかっていないのだろう。


 ポールは、失礼、と断りながら、アメリーを抱き抱えた。いわゆるお姫様抱っこで。

 もちろん、彼女をベッドに寝かせるためである。


 アメリーは、高いところに持ち上げられる感覚が楽しいのか、へへ、と笑いをこぼした。

 さっきまで背負って運んでいたから、間近で見る彼女の笑顔が新鮮だった。

 また彼は、胸がきゅっとするような気持ちになった。



 彼女は、ベッドに寝かされても、とろんとしてきた目をむりやり見開くようにポールの方に視線を向けていた。


「……眠くないの?」


 ポールが尋ねると、彼女はこくりと頷いた。

 口を開いて、何か言いたげな様子である。


 アメリーが何を言いたいのか、予想のつかなかった彼は、黙って彼女の言葉を待った。


 やがて、彼女はすうと息を吸い込んだ。



  星の輝く丘の上



 ポールは驚いた。突然彼女が歌い出したことに。


 そしてそれは、彼もよく知っている子守唄の歌い出しでもあった。


 出身地が近いのだろうか。

 それとも、広く歌われている曲なのか。


 そんなどうでもいいことを考えるより先に、気づけば彼も歌い出していた。



  月明かりの下 二本の木



 彼女よりもやや低いピッチで。


 急に重なってきた声に、彼女はちょっと驚いたような様子だった。

 彼はにこりと微笑んでみせた。同じ歌を知っている、僕たちは仲間だというような意味を込めて。


 ポールは笛吹きだが、それ以前に音楽そのものが好きだ。

 だから彼は仕事と関係ないところでよく歌う。子守唄のみならず、色々な曲を知っている。機嫌のいいときに歌い出すこともしばしばだ。


 いや、人目を気にしなくていい分、歌う方が笛を吹くより楽だとさえ、彼は思っていた。



  吊るされているハンモック



 アメリーの透き通った声と、ポールの落ち着いた声は、不思議な調和を生んでいた。

 異なる楽器を組み合わせた合奏が、予想外の効果を出すように。


 二人とも、決して大きな声で歌っているわけではなかった。

 それがかえって、静かな夜の子守唄らしかった。


 窓からはちょうど、月明かりがほろほろと注いでいた。

 銀白色の光が、互いの目を見て歌う二人に、絵画のような影を落としていた。



  小狐の見る銀の夢



 歌が終わっても、ポールはしばらくの間、余韻で何も言えなかった。


 とてもシンプルなメロディの、短い曲だ。

 でも彼にとっては、誰かと一緒に歌うことそのものが久しぶりで、気持ちがよかったのだ。


 歌いながらポールは、アメリーがいきなり歌い出した理由について考えていた。

 わずかな時間で彼の頭にひらめいた結論はこうだった。


 この子はきっと、ご機嫌だったんだ。


 半分は適当だったけれど、彼はこれが大きく間違っているとも思わなかった。


 人は、幸せになると歌いたくなるんだ。



 不意にゴホッ、とアメリーが咳き込み始めた。

 ポールはとっさにその背中をさすった。


「大丈夫⁉︎」


 彼女のことを心配しながらも、脳裏によみがえったのは、歌うと真珠を出す子ども、という言葉だった。


 咳き込む彼女の背をさすり続ける。

 緊張しながら様子を​見守る。


 そして、ケホッという乾いた音とともに彼女の手に転がり出した、白い輝き。

 彼女はそれを慣れた手つきで拭うと、ポールに差し出した。


 おそるおそる受け取るポール。

 ——正真正銘の真珠だった。


「……ありがとう」


 かろうじて彼の口から出たのは、そんな言葉だった。


 はっきり言って、彼にとっては予想外だった。

 真珠を出すというのが、こんなに苦しそうなことだったとは。


 こんなに辛そうなことを、この子は伯爵の元でむりやりさせられていたなんて……


「……もう寝ようか」


 彼はそう言って、彼女の頭を撫でた。

 今度は彼女も、目を閉じて眠り出した。



 歌いながら真珠まで出せるなんて、なんて素晴らしいのだろうと思っていた。

 ただ歌ってもらうだけなら、子どもにとっても楽しいし、簡単に稼げるだろうと勝手に思っていた。


 これからどうするべきだろう。

 苦しそうな彼女を見た後で、ポールの気持ちは揺らいでいた。


 きっと今は、初めて外に出た興奮で、歌ってしまっただけなのだ。

 おそらく彼女にとって真珠を吐き出すのは、楽なことではないだろう。それが抑えられないのなら、歌うのだって、基本的には嫌なはずだ。


 自分は金のために、彼女を歌わせていいのだろうか。

 ポールはわからなくなった。



 今夜は眠れそうにないと思った。

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