第3話 夜の屋敷に響く魔法

 月の光が明るい夜。

 伯爵邸の門の前には二人の警備の人間が立っていた。


 フォーゲル伯爵領では、市場のある大通りを中心として商業が盛んであり、様々な土地から人が集まってくる。

 その分、スリや盗みといった犯罪をする者も多くいて、治安はあまり良くない。そのため伯爵は、屋敷の人間に簡単な装備をさせて、夜間の警備にあたらせていたのだった。


 警備の男の一人が、眠気を抑えきれずにあくびをした。

 時刻は十二時を少し回った頃だろうか。このままでは居眠りをしてしまうと思った彼は、隣に立つ男に声をかけた。人と喋っていれば、少しは眠気も紛れると考えて。


「なあなあ、明日の旦那様の予定、覚えてる? 確か、遠方のパーティーで、早くに出発なさるんだったっけ」


 しかし、返事はなかった。

 こんな静かな真夜中、聞こえなかったということはないだろう。

 まさか、自分より先に寝てしまったのか。彼は慌てて隣に目を向けようとした。


  ルルルルル——

  ルールル、ルールル——


 その時だった。彼の耳に、音楽が聞こえてきたのは。

 静寂の中に響く穏やかなメロディ。繰り返される独特のリズム。


(これは……笛? どこから聞こえる、んだ……?)


(……あれ、まぶたが、おも……)


(だめ……だ……)


 立て続けにドサっと音がして、二人の男はぐっすり眠ったまま崩れ落ちた。

 冷えた夜風が通り過ぎていっても、彼らは目覚める気配を見せなかった。



 その頃、小屋の中の少女は、目を覚ましていた。

 一回ぱちりと起きてしまい、眠れなくなったのだ。

 地面に横たわりながら、窓の向こうの明るい夜空を見つめる彼女は、布団も何もかけていない。

 なんとなく寒く感じて膝を抱えた、その時だった。


  ルルルルル——

  ルールル、ルールル——


 彼女が、音楽を聞いたのは。

 ハッと身を起こす。


 ——今まで、こんなの、聞いたことない。何の音だろう。


 魔法のメロディを聞いても、少女は眠らなかった。



 しばらくすると、音の様子が変わってきた。

 流れるような旋律から、弾むように軽やかな旋律へ。


  ピッ、ピッ、ピロピロピ——


 すると、耳を澄ます少女の目の前で、がちゃりと鍵の音がして、扉が開いた。


 夜なのに。あの人が来たんだ。

 そう思った少女は、小さな手をキュッと握り込む。


 しかし、姿を見せたのは、彼女の予期した人物ではなかった。

 大きな飾り羽根のついた緑の帽子。赤いマントに黄色い服。

 奇妙な装いに身を包んだ男、笛吹きだった。



 笛吹きは、ここまで事が順調に運んだことに、とても安心していた。


 彼の主な懸念事項は二つあった。


 一つは、自分の派手な服装が夜の闇で目立ってしまうのではないかということ。

 やはり、笛吹きとしての魔法を使う以上、その効果を最大にするために、笛吹きの服装はどうしても欠かせなかったのだ。

 心配に反して、彼はここにやってくるまで、誰ともすれ違わなかった。神の采配だろうか。彼は自分の幸運に感謝した。


 もう一つは、自分の魔法は本当に効くのだろうかということ。

 彼が笛の師の元で魔法の練習をしていたのは十年以上も前の話。さらに当時は、今よりも笛の腕前が未熟で、魔法もあまり上手には使えなかった。

 つまり、今夜の作戦は、彼にとって一か八かの賭けでもあった。

 でも彼は予定通りに警備の人間を眠らせ、小屋の鍵を開けた。笛吹きは自分との賭けに勝ったのだ。


 だから、小屋の中にいた少女が怖がっている様子であるのを見た彼は、彼女を連れ出すのが今日一番の難関かもしれないと、覚悟した。



 歌うと真珠を出す少女は君のことか、と笛吹きは確認しようとしたけれど、ふと気づいてやめた。

 彼女は、真珠目当てに伯爵に閉じ込められている。自分も真珠が目的であると気付かれたら、警戒してしまって、ついてきてくれなくなるかもしれない。


 庭の片隅の小屋にいる時点で、彼女は件の少女であると考えて間違いないだろう。

 ならば、あとは彼女が大人しくついてきてくれるような言葉をかけるだけだ。


「……どうやって、鍵を開けたの?」


 ところが、笛吹きよりも先に口を開いたのは、少女だった。


 その、鳥の囀りのような、小川のせせらぎのような、透き通った声に、笛吹きは胸を掴まれたような思いがした。


 少々面食らいながらも、彼は親しみやすい声色で答えた。

 笛吹きをしていて、子どもに声をかけられたことは何度もある。子どもの相手は慣れていた。


「あれはね、笛を使ったんだよ」

「笛……?」

「そう、これが笛」


 少女は、近寄ってはこないものの、笛には興味があるようだった。彼の手の中の笛から目を離さない。


「これがあれば、どんな音楽でも吹けるんだ。ほら」


 笛吹きはそう言うと、小さい音で簡単な明るい曲を吹いた。

 ちらりと見ると、彼女は目を見開いてこっちを見つめている。当初ほど怖がってはいないようだ。

 彼は内心でほくそ笑む。

 笛を吹くのをやめてしゃがみ、彼女と目を合わせた。


「ねえ、君、お兄さんと一緒に、外に行かない?」


「そ、外……?」

「そう、外。外には、君の知らないものもたくさんあるよ。ついてきてくれたら、君の好きなものも買ってあげよう」


 彼女の真珠があれば、子どものお願いくらいなら叶えてやれるだろう。

 今はとにかく、この人についていこうと思わせるだけだ。

 そう、それだけ——


「……でも、私はここにいないといけない……」


 彼女の口から出た言葉に、笛吹きは思わず天を仰ぎそうになった。

 どうやら、子どもを攫うというのも一筋縄ではいかないみたいだ。

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