第2話 貧しい笛吹き


  ピロリロリ——


 突然広場に響きわたった笛の音に、道ゆく人々は好奇の目を向けた。

 大きな飾り羽根のついた緑の帽子。赤いマントに黄色い服。

 笛を吹いているのは、奇天烈な格好をした笛吹きだった。


 市場を貫く大通りは人通りが多い。何人もの人が、しばしの間足を止めた。


 しかし、男の吹く笛の音色はどこか単調なのだった。

 演奏は確かに上手いのだが、色とりどりの風体から予想されるような愉快な音色ではない。緩慢で、もの悲しいとさえ感じられるメロディは、昼の市場の賑やかさにはふさわしくなかった。


 そのせいか、一瞬は目を止めてもらえても、演奏に足を止めて聞き入ってくれる人間は見当たらない。

 足元に置かれた籠に投げられている小銭はわずかだった。それも、笛の演奏に感動してというよりは、痩せて貧しそうな笛吹き男に同情してというような表情で入れていくのだ。

 男はそのたびに情けない気持ちになった。


 いっときは、彼にも今よりずっと人気があったのだ。人々は楽しげに彼の演奏を聞き、彼の音楽は人々に愛されていた。

 この国に来るより前、はるか遠い地でのことだが。


 今はこうして落ちぶれてしまい、事実、彼は貧しかった。

 この街に住み続けようとは考えていない彼は、笛吹きのほかにできそうな仕事が思いつかず、今日もこうして広場で演奏するしかないのだった。


 やがて息が切れてきた笛吹き男は、いったん吹くのをやめた。

 籠を拾って広場の真ん中にある噴水のところまで行き、腰掛ける。

 喉が渇いていた男は、午後の日差しを受けてきらきらと光る水面を見ると、我慢できなくなってその水を飲んだ。


 男は生き返ったような心地になって、しばしの間そこに座っていた。

 振り向いて、噴水の真ん中の石像が持っている竪琴を、なんとはなしに見上げる。



「……フォーゲル伯爵の家にいる子どもの話、聞いたことある?」


 男の耳が、向こうにいる女たちの世間話を拾ってしまったのは、単に話し始めた彼女の声がよく通ってこちらまで聞こえてきたからに過ぎなかった。


「伯爵の息子のこと?」

「いや、その子どもは買ったんじゃないかな……何って、その子は庭の片隅の小屋にいて、屋敷にすら入ってこないらしいから」


 子どもを買えるほどの貴族なんて、縁遠い話だと男は思った。


「その子がどうしたって?」

「それがね、噂なんだけど——なんでもその子、歌うと真珠を出すらしいよ」


 続く言葉を聞いた男は、自分の耳を疑った。


「え、本当に?」

「うん、あそこの屋敷で働いてる子が話してたらしくて。ご飯はいつも召使いが持っていって、でも小屋の鍵を持ってるのは伯爵だけなんだって」

「それって……伯爵は真珠のためにその子を閉じ込めてるってこと?」

「そうなるんじゃないかな」

「かわいそうだね。フォーゲル伯爵って、あの太った人でしょう?」

「そうだよ。ああ、嫌だ、想像するだけで」

「でも、歌うと真珠を出す子どもが本当にいるなら、見てみたいわね……」


 人混みのざわめきが大きくなって、それ以上の会話は聞こえなかった。

 男は、噴水のへりに座ったまま、今聞いた噂話について考えていた。


 歌うと真珠を出す子ども。

 もしもそんな子どもが屋敷にいれば、その伯爵はいくらでも儲けられるだろう。


 最近は真珠が人気だ。真珠のアクセサリーを身につけている婦人を何回か見かけたことがある。

 それから、なんだったか、ウィルバーがいつか、真珠は薬になると言っていたっけ。男はこの街で懇意にしている商人の話を思い出した。


 そう、真珠がいくらでも手に入れば、いくらでも……


 喧騒がすうっと意識から遠ざかる。


 男の頭に、一つの考えが閃いた。


 ——その少女を攫ってしまえばいい。


 俺なら、その子を閉じ込めるなんてことはしない。

 伯爵の家ほどいいものを食べさせてあげることはできないかもしれないが……伯爵の子ではないのなら、閉じ込められている子どもを外に連れ出すのは、決して悪いことでもないはずだ。

 俺は街から街へ、国から国へと旅をする笛吹き。いわば、さすらいの身だ。いろいろなものを見せてやれる。


 真珠が手に入ったら、ウィルバーに売ればいい。他の商人なら、急に大量の真珠を手に入れた俺を怪しむかもしれないが……彼なら俺の罪を知っても、黙っていてくれるだろう。

 他の街に行ったら……その時はその時。

 世の中、金さえあればどうにかなるんだ。


 あとは、どうやって実行するかだな……


 男は、自分の手の中にある笛をじっと見つめた。


 ——屋敷はきっと、なんの警備もないということはないはずだ。見張りの人間がいると考えた方がいい。

 考えなしに屋敷に立ち入れば、捕まってしまうだろう。

 そして、ひとたび捕まってしまえば、身寄りのない俺を助けてくれる人はいない。ウィルバーも、俺の家族ではない。


 ——でも、俺には考えがある。


 男は、笛を見つめたまま、自分に笛を教えてくれた老人の言葉を思い出していた。


 ——笛吹きは魔法使いだ。


 それから彼はゆっくりと立ち上がり、籠の中の金を懐にしまい込むと、宿までの道を歩き出した。

 一人で笛の練習をするために。



 ……ああ、それから、仮眠もとっておこう。

 今日の夜は眠れないから。

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