第30話 温泉でお話ししようよ

「あー、久しぶりの温泉だなあ」


 小野寺ひすいは心の底からそういい、露天風呂にその身を沈めた。湯船に大の字でいる彼女の後ろから、恐る恐るレイチェルが現れる。ぴったりとタオルを体に巻いている。


「レイチェルちゃん、とっちゃおうよ」


「でも……」


 レイチェルの顔が曇る。ひすいは少し困った顔をしてみせるが、マナー違反だし、と付け加えた。すると仕方なくレイチェルもタオルを取り、神経質そうに湯船に入る。


 上根市にある温泉。ひすいも予てより行きつけのそこは、露天風呂を備えた開放感で主に彼女に大好評だった。しかし、いまいちレイチェルはそれに浸っていない様子。その要因の一つに、ひすいからの舐め回すような視線があった。


「レイチェルちゃん、着痩せするタイプっていうか、すごいアメリカンな感じ」


 唐突にそんなことを言い始めた。


「あと、髪の毛綺麗だよねー」


「これ、染めてるから」


「そうなの?!」


 ひすいは驚きの声を上げた。


「そう。ホントはもっと茶色というか、ほとんど黒ね」


「なんで染めてるの?」


 ひすいは素直に疑問を口にした。


「母が日本人で、パパはアメリカなの。で、パパはこんな感じだったから」


「お父さんのほうが好きだったの?」


 彼女の家族構成はひすいも知っている。


「そう。わたしの母はね、アメリカが嫌いだったの」


「え?」


 ひすいは首を傾げた。


「英語が全然ダメでね。パパは日本語ペラペラだったからよかったんだけど、それ以外の周りの人と全然話ができなくって。そういうのが原因で、家にいる間はずーっとわたしに、日本は良かったって、そういってたの」


 その割に、パパが家にいる間は絶対にそういう話はしないの。


「日本人はみんな仲良しで礼儀正しくって、お互いを気遣い合ってるって、そういう話ばっかり。でもね、そんなことないってずっと思ってた。わたしの周りの友達はみんな親切だしもちろん仲良しだし。だから、お母さんは間違ってるって。そんなのはどこも一緒だって。別に特別じゃないって。むしろね、そうやって周りと馴染もうとしないお母さんが」


 ママ、って呼ばせてくれなかった『お母さん』が、


「誰よりも、自分のことしか考えてないんじゃないかって。だから、日本人はみんな自分勝手なんだって。日本に来たのも、やっぱりそうじゃないかって、お母さんに言ってやるためだった」


 もう死んでるけど。


「どう、だった?」


「あなたのお母さんはともかく、圭介なんか何も喋らないじゃない。勝手に動いて好きにやって。あなただって大分そうよ」


 ひすいは目を丸くし、少し俯いてごめんなさい、といった。


「でもね、気持ちは伝わってるから、いい」


 レイチェルはひすいを真っ直ぐ見つめ言う。


「ずっと、ほとんどつきっきりでいてくれたんでしょ、あなたも、圭介も」


 学校を休んで。


『でも、行事には絶対参加するし、テストの点数もすごくひどいわけじゃないし、南方くんがいない時って大抵、なにか頑張ってる時だからね』急に圭介を持ち上げ始めるクラスメイト、森木友里にレイチェルは動揺した。


『なんで』思わずそんな言葉が飛び出る。


『だって、まあ、それは』森木友里は少し考えると、


『例えば、南方くんが一週間ぐらい学校来なくなったことがあってさ。みんな風邪にしては長いって話してた頃、突然登校してきたの。それでね、みんなに猪肉配り始めてさ』


『どういうこと?』


『ずっと、近所の畑にイノシシが出るからって、落とし穴ほってたんだって、それがさ。しかも勝手に。誰かに言われたわけでもないんだって。南方くんはね、そういう感じなんだよ。ここ二日だって、南方くんが病院に詰めてたのはみんな知ってるよ。学校サボってさ』


 言われてみればそうだった。本来なら学校があるはずだが、病院に確かに南方圭介も小野寺ひすいもいたのだ。


「まあ、わたしは病気だからね」


「病気?」


 いつも能天気そうに見える彼女からそんな言葉が飛び出すとは思わなかった。今度はレイチェルのほうが驚く番だった。


「心臓がちょーっと悪くってね。今は大分ましになったんだけど。温泉もね、なにか少しでもわたしの体調が良くなればってお父さんとお母さんがよく連れてきてくれたから好きになったんだ。飲んだりもしたんだよ、頼み込んで」


 今元気なのも、きっとそのおかげだと思うな。


「そうだったんだ」


 レイチェルは、圭介に草抜きを手伝わされたことを思い出した。ひすいが近寄れない、というのは、あまり労働ができないからだったのかもしれない。


「うん。まあ、今でも時々検診は受けるんだ。たまたまレイチェルさんが入院した時、わたしの検診と重なっててね。だからまあ、本当にレイチェルさんのために学校休んでたのはあにさんだけかな」


 それでも、ひすいは照れたように顔を伏せていた。レイチェルにも、ひすいが自分の検診のためだけに学校を二日も休むのはおかしい、ということぐらいわかる。レイチェルは空を見上げた。生憎の曇り空。それでも、何故かスッキリした感覚が胸にあった。


「でさ、話し変わるんだけどね」


 ひすいは言葉を続ける。


「みんな、なにをやってるのかなあ、わたしの見えないところで」


 どこか不満、というよりは不安そうだった。


「多分、圭介も、ゴウちゃんもわたしに何も言わないのは、わたしのことを心配してくれてるからだと思う。だけどね、なんだか、時々あるんだけど、すっごい置いてけぼり、みたいな感じがして」


 レイチェルは迷った。


「ごめんね、こういう話しして。でも、怖いんだ。だから、どうしても」


 圭介が何も言わないのはいつもだけど、ゴウちゃんが動かなくなっちゃったり、UFO見たいのが出てきたりするのはおかしいよ。


 ひすいは、どこか今にも泣きそうな声になっていた。


 レイチェルは思い出す。父と母を同時に失った日のことを。


「いいよ。教えてあげる、全部」


 その言葉に、ひすいは恐る恐る顔を上げた。

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