第26話 おうちにかえる

 さすがのレイチェル・ミズシンも、身を固くし小野寺家の前に立った。三度にも渡り、勝手に家を出て行ったのだ。それも、そのうち一回は学校から。今までは病院送りで有耶無耶になったり、その日のうちに〈カミノネゴウ〉が送ってくれたので小野寺弓枝も深く訊ねはしなかったが、今度こそダメだろう。いっその事失踪も視野に入れたが、


 ――がちゃがちゃ。


 後ろを六メートルほどの赤茶けたロボットが窺っているのだ。下手な姿は見せられそうにない。隠れてみているつもりらしいが、塀は彼を隠すほど高くはない。もう夕暮れ、どこからともなく晩御飯の匂いが流れてくる。レイチェルははあ、と溜息をついて覚悟、家に足を踏み入れた。


 ぎい。


 ドアを開けるとまず玄関。誰もいない。待ち構えでもしていたらどうしようかと思ったが、そんなことはなかった。しかし、余計に緊張する。


『お腹が痛くなって』

『やっぱり、疲れてたみたいで早退を』

『環境になれなくって耐え切れなくなって』

『やっぱり空気が合わなくて』

『外をUFOが』

『わたしは』


 言い訳が頭のなかをびゅんびゅん飛び交う。どれにしようどれを使おう、いっそのこと本当のことを言ってしまおうか。


『わたしは留学には興味が無い』


 意を決し、居間への戸を開ける。


「あの、おばさん」


 その先にはテーブル、晩御飯、小野寺毛の大黒柱小野寺曜一、ひすい、そして弓枝がいた。


「レイチェルちゃん」


 おばさんは重い口調で言う。レイチェルは後の言葉が続かなかった。


「あのね、お母さん」


「ひすいは静かに」


 うぐ、とひすいは唸って静かになる。


「レイチェルちゃん、日本では、お家に帰ってきたら『ただいま』っていうの。知ってた?」


 え、とレイチェルは口の中で出した。叱られるものかと思っていたからだ。


「その」


「その顔、叱られるって思ってたでしょ」


 おばさんはそう言って笑う。レイチェルはどんな表情をしたものかと俯いた。


「いいの。うちにはねえ、もっと手のかかる子がいっぱいいるんだから」


 レイチェルは思わず顔を上げた。


「ひすいもそうだけど、圭介とかゴウちゃんとかね」


 座って、とおばさんはレイチェルを椅子へ促す。レイチェルは魂でも抜かれたように椅子に腰掛けた。


「でも、わたしはあの子たちのこと信じてるから。いつかは、なんで、どうしてって話してくれるって」


「そんな」


 レイチェルは知っている。病院で世話になった時もそうだが、もちろん学校を飛び出したことでおばさんに如何に迷惑をかけているのかを。


「レイチェルちゃんは、きっと何か、大事なことをしに来たんでしょう。だから時々いなくなるんでしょ。まあ、学校はきちんといってくれないとちょっとおばさん困るけどね、でもいいの。レイチェルちゃんがやってること、きっと間違ってないから」


 そういっておばさんは丁寧にレイチェルの髪をなでた。レイチェルの体がびくりと震えた。


「なんで、そんなに」


 レイチェルの声が震えている。


「レイチェルちゃんはね、なんとなく圭介に似てるのよ。変に一生懸命で、なんにも言わないところなんか」


「え?」


 今度こそ音になってレイチェルの困惑が漏れた。


「でも、圭介は、間違ったことはしてなかった。悪いことをしたと思ったらきちんと謝りに来てくれた。レイチェルちゃんもね、きっとそうなの。じゃないとゴウちゃんがあんなにレイチェルちゃんに優しくしたりなんかするもんですか」


 レイチェルの困惑は深くなった。


「あの子ね、ああ見えて臆病だから。でも、随分仲良くしてるみたいじゃない。だからきっとそう」


 レイチェルは何も言えなかった。ただ俯いて、どうすればいいのかわからない。


「本当は初日に言うべきだったんだけど、ほら、色々とあったじゃない」


 円盤の出現、そして気絶。レイチェルの顔が曇った。


「あの日から、レイチェルちゃんは留学生じゃなくて、わたしの家族で娘なの。だから、レイチェルが何をしても、お母さんが守るから。レイチェルの思う、正しいことをすればいいの」


 お母さん。レイチェルは反射的に顔を上げた。そこには優しげに微笑む、


「とりあえず、レイチェル、言ってみよっか」


 小野寺弓枝はレイチェルの目を真っ直ぐに見る。声の出ないレイチェルへ、


「忘れたの、家に帰ったら?」


 いたずらっぽくおばさん笑う。レイチェルは目を右に左に泳がせ、そして、静かに口を開いた。

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