第8話 ゆめとうつつ
火炎。レイチェル・ミズシンは燃え盛る家を庭から眺めるしかなかった。
「お母さん」
なぜこんな言葉が自身の口から漏れたのかわからなかった。あんな母親でもいなくなれば悲しいのか。兎にも角にも真っ赤に燃える一軒家、自分の服も本も全部その中だが、もちろん近寄ることはできない。見ればわかる、例え十一歳とはいえそこまで馬鹿ではない。なのに。
「玲子!」
男の絶叫がレイチェルの耳に刺さった。はっとして振り返ると車が一台。レイチェルの父のものだった。そこから転がり落ちるように彼は車から飛び出し、家へかけていく。
「パパ!」
わたしにもわかる。あの家に近づいてはならない。なのに。
「パパ!」
当の彼には、娘の声など耳に入っていないようだった。思わず走りだす。もう遅い、あの家でお母さんは死んでいる、
『あんたみたいのがいるから!』
母の姿を思い出し、少女の体ががくんと震え、腰を抜かした。でも、それでは、パパは、
「レイ、ここにいちゃ危ない!」
震える体を支える手。パパの友達、ついで部下と聞いている男、ハーミス・タナーがレイチェルの肩を引っ張った。だけど、ここで戻ったら。
そのとき、轟音が背中を突き、薬品のツンとする臭がする。あっと思った時彼女は真っ白な天井を見ていた。これは、病院だろうか。
「レイチェルさん?」
露骨な日本語訛りの自分の名前の呼び方に、違和感を覚える。ここはどこだ、アメリカじゃないのか。知らない少女の顔に驚く。誰だ彼女は。
「あにさん、お母さん呼んできて、じゃなくて看護婦さんのほうがいいかな、えっと」
「両方呼ぶ」
もう一つ、男の声。男の方の声には聞き覚えがあった。でも、ハーミスじゃない、誰だろう。否、どこで聞いたのだろう。
「あの、わかりますか、わたし、小野寺ひすいって言います。あの、レイチェルさんのホストファミリーで」
そうだ、わたしは留学生として日本に来ていたのだ。
『宇宙人の密輸業者が地球に来るらしい』
『監査機構の高官はすでに買収されている』
『宇宙人側の保護機関はあてにならない』
『僕も出来る限りサポートはするが、難しいだろう』
『でも』
「あんなことは、おきちゃいけない」
「あの、レイチェルさん、大丈夫ですか?」
女の子、ひすいの不安げな顔にどう反応すればいいのかわからない。とりあえず自分の指先を動かし、足の具合を確かめて、動きそうだ、ということは確認した。しびれもないし、痛みもない。
「大丈夫です。ご心配をお掛けしました」
えい、と体に力を入れて上体を起こす。腕には点滴の針が刺さっており、それだけが邪魔だった。
「よかった。今、あにさんがお母さんかお医者さん呼んできてくれますから」
「こうなった経緯を教えていただけますか」
そう口にしてから、多分聞きたいことが多いのは少女のほうだろう、と思った。だが、少女の方といえばそんなことは一切気にする様子なく、
「はい。あのですね、なんだか牧場で倒れていたところをあにさんとゴウちゃんが見つけまして、それで慌てて病院に連れてきたところです。どうしてレイチェルさんが倒れていたのか、あにさんにもゴウちゃんにもわからないそうです。えっと、あれから二日経っています」
「二日?」
予想以上に自体は深刻だった。
「あの、その間になにか、大きな事件とかはありませんでしたか?」
「大きな事件? わたしは知らないです。ごめんなさい」
少女は知らないという。だが、奴らのこと、気付かれずに何かをしている危険性もある。
「すぐに出なきゃ」
そういうと、少女は目を丸くし、
「いやいやいや、ダメですよ。とりあえずお医者さん待ちましょう、ね?」
「しかし」
そう言っている間に扉が開き、大柄な少年が入ってきた。その後ろには医者らしき白衣と、五十代ほどの女性、そう、小野寺弓枝がいた。ようやく、自分が留学生として日本にやってきたことの実感が湧いてきた。
「おれは」
と少年は医者に声をかけ、医者は少年に何やらつぶやくと部屋から追い出してしまう。あ、と声が漏れる。あの少年は確か、あのときゴウちゃんとやらに乗って、三脚式円盤と戦っていたのではないか――。
「レイチェル・ミズシンさんでお間違えはないですか?」
しかし二人の間に割っているように医者はレイチェルの前に座る。診察を始める医者を前に下手に動くことはできない。知らなくてはいけないことはたくさんあるはず、心だけが急き立てられた。
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