第4話 今日は特別暗い夕方
「ただいまー。お母さん、道草食っちゃったー」
日も傾き夕刻、小野寺ひすいはようやく自分の家に帰った。その後ろには大柄な少年、南方圭介がいた。少し不満そうな顔を下げているが、結局留学生を見に来てしまった。
「それがねー、佐藤さんがご飯ごちそうしてくれるって言うから長居しちゃったんだー。連絡しなくてごめん」
返事がない。靴を脱ぎかけ、ひすいは不安そうに圭介を振り見た。圭介はひすいの前に出た。
「おばさんいますか? おじさんは? 圭介です」
南方圭介も声を張るが、返事はない。玄関から先、そもそも電気がついておらず、闇の奥、人の気配ももちろんない。
「どうしたんだろう」
少女は不安を隠すことなく声にし、少年の服の裾を掴んだ。お前はそこにいろ、とだけいい、少年は長靴のはいった袋を玄関に置き、スニーカーのまま家に足を踏み入れた。
ぎいいぃ。
床がきしむ。小野寺家は今四人暮らし、ひすいとその父母、そしてその祖父。そして必ずその内一人は家にいるものだった。普段はありえないその不気味さに圭介は思わず緊張していた。その時だった。がちゃ、とひすいの真後ろ、ドアが開いた。
「ひえっ」
「なんだ!」
ばっと振り返った二人、ドアを開けていたのは他でもなく小野寺弓枝、ひすいの母であった。突然の悲鳴と怒声に見舞われたおばさんはそれこそ声も出ず目を丸くしていた。
「なんだお母さんか。びっくりしたよ」
ひすいはこれまた隠さずに安心を表情に出していた。圭介もふぅ、と息をつき、はっと気付いて靴を脱ぐ。
「どうしたの? もしかしてみんなで温泉?」
靴箱にもたれてひすいは言う。
「すみません、なんか事件でも起きたのかと思って慌ててしまいました。床拭きます」
圭介は改めて玄関で靴を脱ぎ、遅れてお邪魔します、といいかけて足を止めた。
「お母さん、どうかしたの?」
ひすいが訝しむように言った。圭介も振り返る。よくみればひすいの母、小野寺弓枝の息が荒い。まるで走ってきたあとのようだ。否、そうなのだろう。
「そういえば留学生の……」
「いないの」
おばさんがようやく口を開く。その言葉にひすいも圭介も理解が遅れた。
「いないの、お昼ごろには家についたんだけどね、なんだかトイレにいくとかで急に」
長いこと見ないから慌ててお父さんとおじいちゃんにも探してもらってるの。
「ほんとに?」
ひすいが不安そうに言う。夜になればこの辺りは文字通り真っ暗。月の光や星が当てになるほどだ。来たばかりの人では道に迷いかねない。だだっ広い田畑しかないこの辺り、目印にできるものも少ない。
「探してきます」
真っ先に圭介が名乗りを上げた。
「わたしも行く。あにさんレイチェルさんの顔もわからないでしょ」
「見たことない奴がそうだろう、なめるな」
小さなコミュニティ故、自信があった。すぐに意図を理解し、ひすいは、そっか、と頷いた。
「ごめんね、よろしく。お母さん交番行ってくるから」
「そう言えば、電話は?」
「つながらないの」
「え?」
少女の顔に動揺が走った。
「っていうか、電気も急に。なんか怖いことが起きてるんじゃないかって」
圭介は玄関の電灯のスイッチを押す。反応なし。玄関は暗いままだった。
「とにかく行ってきます。おばさんは車で交番に」
「そのつもりだけど、車も怪しいの。カーナビの調子が悪くって」
「車も? じゃああいつは、〈カミノネゴウ〉は?」
初めて圭介に不安が差した。
「ゴウちゃんはわからないけど。それより」
「出てきます」
それだけいって圭介は玄関を飛び出した。わたしも、とひすいがついていく。
「そういえば、レイチェルちゃんゴウちゃんに興味持ってたからもしかしたら」
「わかった! あにさん聞こえてた?」
返事なし。代わりに、
「ひすい、浅田に連絡は?」と一言。
「だめ、スマホの調子悪いみたい」
ひすいがスマートフォンの画面を圭介に突き付ける。画面には、圏外の文字。
圭介は舌打ちし、小野寺家をでて裏の自宅、その自転車置き場から自転車を引きずり出す。どこいくの、という問に、とりあえずあいつを見つける、と返事。ひすいは先行して〈カミノネゴウ〉=ゴウちゃんのいるであろう浅田邦彦の家へ自転車を走らせる。圭介が本気を出せばあっという間に抜かれていってしまうからだ。ふと空を見上げると、広がる紫色の夕暮れが不気味だった。それを打ち消すようにペダルを蹴る。ただの停電だったらいい、でも、何故かそれ以上の不気味なものを感じる。どんなに漕いでも夕闇は晴れない。しかし、その暗い道先を一筋の光が裂く。
無言で自転車を走らす南方圭介。ぎーこぎーことライトを鳴らしながらあっという間に少女を抜き去っていく。確かに怪奇な現象に遭遇しているのに、ひすいの心が緩む気がした。
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