第2話 レイチェル・ミズシン
「……つまり、組織に裏切り者がいる、ということですね」
レイチェル・ミズシンは携帯電話に向かって言う。顎と肩で電話を固定しキャリーケースを引きながら。ふと吹いた風に脱げかけたキャップをかぶり直し、窮屈そうな姿勢を直せない。
『そういうことだ。だが、相手はおそらく高官だ。おいそれと手は出せない』
「そうでしょうね」
悔しそうな電話の主に同情する。
『だから済まないが、あとは君次第だ。ぜひとも現地で食い止めてくれ。僕からも出来る限りフォローはする。でも期待しないでくれ、地球人にできることは少ない』
「わかっています。あとは、わたしで」
『頼む。それではよろしく頼むよ』
「はい」
失礼します、と続けて少女は電話を切った。ふう、と溜息。いい天気だった。サン、と差す太陽に、キャップがとても心強い。それを頼りに少女は駅舎を振り返ってみる。
『上根花輪駅』
まるで古い別荘のような駅舎だと彼女は思った。緑色の屋根と白い壁、経年劣化を感じさせるそれらを見、はてさてこれが本当にあの日本なのかと首を傾げたくなった。車どおりがあるというのに、空気がなんとなく澄んでいるのもそれを加速させる。排ガスの濃さなら彼女の祖国の方が圧倒的だった。駅を出て正面、ロータリーを挟んで、何故か巨大な車輪のようなオブジェがある。その隣には鶏の彫刻。あれがこの上根市の市の鳥であることレイチェルは知っている。車輪は、よく知らない。その傍の時計の時刻は十一時十分。自分の時計でもそれを確認する。来ていてもいい頃だが、とレイチェルが顔を上げると、一台の軽自動車が近づいてくる。彼女は慌てて帽子をとった。金髪の髪がさらりと溢れる。
「あなたがレイチェルちゃん?」
ロータリーをぐるりと回って止まった車の中から顔を出したのはおおよそ五十代のおばさんであった。大きなメガネと、白髪染めか、茶色の混じった髪色をしている。写真通りの女性だった。
「はい。レイチェル・ミズシンです」
ローマではローマ人のようにせよ、という。少女はゆっくりと頭を下げて挨拶する。あら、とおばさんは声を上げ、
「今日からレイチェルちゃんを預かる小野寺弓枝です」
と挨拶する。
「ささ、乗って乗って」
わざわざ車から降りると、おばさんは後部座席のドアを開けた。少女はありがとうございます、と一言、そして車の中へ。狭い、小さい、と思った。
「どう、大変だったでしょう」
車を走らせながらおばさんは言う。ぐんと車外が滑りだす。
「そうですね。でも楽しかったです」
「あらそう? ここまでどうやってきたの?」
「盛岡駅までは新幹線で、そのあとはバスです」
「あーやっぱりね。ホントは盛岡まで迎えに行ってあげたかったんだけどね」
「大丈夫です。バスも楽しかったですから」
少女はなんとなしに外に視線を向ける。建物と建物の間は心なしか広く空いていて、なんとなくスカスカしている印象を彼女に与えた。
「この辺りは建物多けど、やっぱり若い子にはちょっと面白みにかけるかしらね」
おばさんはそういった。なんと答えればいいのか、レイチェルは首を傾げた。悩んだ挙句、そんなことないです、楽しいですよ、と一言添えた。
日本といえばもっと密度の濃い狭くて小さな場所だと思っていた。しかし、いざ日本に来てみて、この密度の低さ、隙間の多さに、かつてはGDPが祖国に迫った国というのは疑問を持たざるをえない。しかし、一方で、では祖国がそれほど発展した国かと問われると、疑問が残るので、これ以上は考えないことにした。
「でもね、この辺りって有名なところいっぱいあるのよ。わたしにはわかんないけど立派な遺跡とか、あと鉱山とかもあったの。それからお祭りね。レイチェルちゃんが留学してる間も幾つかあるはずだから連れて行ってあげるね」
ありがとうございます、楽しみです、と、定型文を口にする。本心では、割とどうでもよかった。
「それにしても、高校生で留学だなんて偉いわね」
彼女の反応に関わらず、おばさんはどこまでも気さくに話しかけてくれた。
「母が日本人なんです。だから一度、日本に来てみたかったんです」
「そういえばそうだったわね。でも偉いわ。わたしの娘も同じくらいの歳なんだけど英語なんて全然だもの。レイチェルちゃんは日本語上手ね」
「父はほとんど家にいなくて、ずっと母と一緒だったんです。母は日本語しか喋れなかったので」
――母。
あらそうなの、とおばさんは一言。外の建物同士はお互いにグングン離れ、やがてぱったりになった。
「上根なんてだいたい畑よ」
うちもそうなんだけど、と付け足すおばさん。
「お米とか、あとりんごとかもね。それから牛も。うちにいる間は美味しいお米いっぱい食べさせてあげるからね」
楽しみです、と言ってから、何度目だろうこの返事は、とレイチェルは考えた。しかしておばさんはそんなこと気にせずしゃべり続ける。
「この辺り走るならやっぱり軽ね。あ、レイチェルちゃんは軽ってわかる? 軽自動車のことなんだけどアメリカにある?」
「そういえば温泉もあるの温泉。知ってる、温泉。この辺りも有名なのよ。今度行こうね」
「食べられないものある? あったらおばちゃんに言ってね」
「向うの高校ってどんなところだったの?」
「それからほらあれ、このあたりの有名人」
唐突に、だだっ広く遮蔽物もない畑の土真ん中に、巨大な何かが立っていた。少女は思わず目を丸くした。
「なんですかあれ」
それは、ともすればカカシだったのかもしれない。金属の骨組みに赤茶けた装甲板を貼り付けた体。何よりも手があって足があって、もちろん頭もあり目らしき意匠もある。だが、それが五メートル、否、六メートル近い巨躯であって、しかも歩いているのだから手に負えない。半分聞き流していたおばさんの話に思わず食いついてしまった。
「あれはね、ゴウちゃん」
「ゴウちゃん?」
六メートルはある巨体をユッサユッサと震わし歩いている。巨人というよりは化け物に近いのに、随分と可愛らしい名前で少女は困惑した。
「ロボットなのよ、ロボット。すごいでしょ」
すごい? そんな言葉の尺度で足りるのか。二足歩行しているだけで十分驚愕値するが、加えてそれは巨大だった。そんな馬鹿でかい表面積で風に吹かれても倒れないのか、どうやってバランスをとっているのか、燃料は電気なのか、複数の疑念が少女の胸をつく。ろくに建物もないこの町で平然と歩くそれに、少女は冷や汗を流すしかない。田んぼのまだ背の低い稲でさえ風でどよめいている。
「今の時間は、田んぼの見回りかしらね。大きいから何でも運んでくれるのよ」
「なんで普通なんですか」
車は止まらない、故にゴウちゃんはあっという間に小さくなる。
「そっか、レイチェルちゃんには珍しいかもね」
珍しいなんてもんじゃない、という言葉が喉まででかかる。
「でも、ゴウちゃんはいい子だし」
こんがらがる頭、ふともう一度ゴウちゃんとやらを探してみると、すぐそばに人影が見えた気がした。
「それにね、ゴウちゃん、うちの傍に住んでるのよ。あ、もちろんレイチェルちゃんにも紹介してあげるからね」
「え?」
またさらりととんでもないことを言う。
「どういうことですか」
「ん、ゴウちゃんはうちの傍に住んでるって、ただそれだけ。男の子とゴウちゃんの二人暮らしなんだけど」
それだけ、ではないだろう。レイチェルはシートに深く身を落とした。訳がわからなかった。それだけ、ではない――そう、それだけではないのだ。
突然眼前に現れた巨大な人型に気を奪われてしまったが、この町は狙われているのだ。ロボットなんかに構ってはいられない。彼女は気を切り替えることにした。
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