のっぺらぼう
道中の神社で旅の無事を感謝する。ふと立ち寄った神社だが、お守りが気になり一つ買うことにする。すると隣に酒飲みなのか鼻が少し赤い、何やらそそっかしそうな男がこれまた同じようにお守りを買おうとした。同じお守りを取ろうとしてサッと手を引っ込めてお互いに譲り合う。なかなかお互いに引かずにいたかと思うとまた同じように手を出してサッと手を引っ込めてしまった。思わずぷっとふきだす。少し打ち解けたので神社の境内で一緒に休み、話などをしてみた。男はお守りを買う理由を話す。
居酒屋で調子に乗って吞みすぎて、そろそろ閉店てことで家に帰ることにした。千鳥足で歩き、まだ飲み足りない気持ちで帰りたくはないが、ほかに行く当ても無く仕方なく家の方角に歩いていると、柳の下に女がいた。項の白さに何とも言えない色気を感じる。酒のせいで足下がふらついたが、気にせず近づいていった。ちょっとねぇちゃんとにやけた面で色っぽい撫肩に手を置く。あら、なぁに。と色っぽい声で返事が返ってきた。あっしと遊ばねぇか。と調子の良い事を言う。こんな顔でもぉと女が振り返ると顔が無かった。
屋台の明かりが見え、脇目もふらず、目から涙、鼻から鼻水、口から涎を垂れ流しながらも気にもせず、その方へと走って逃げていく。ふぇえはぅぶうぇぷともはや呼吸音とは思えない音を口から吐き出し、屋台の台へと辿り着く。屋台の明かりは提灯で、辺りを温かく闇からその一角だけ守るように照らしていた。心底ほっとした、ほっとした。これでもう助かった、助かった。ようやっと呼吸が落ち着いてきて、丸めていた背中をゆっくりと立ち上げ、辺りを見る余裕が出てきた。目の前で屋台の親父が何やら仕込んでいる。おやじぃ水を一杯くれ。あまり走りすぎて喉が渇いたのだ。へぃとこちらも見ずに水の入った茶碗を出す。ごくごくごくと一気に飲み干すと、一息ぷはーっとやる。出たんだ。何がですと親父は聞いた。顔が無かったんだよぉ。すると親父は顔が無いってのは、こんな感じかい。と顔をくるりとこちらに向けると親父の顔も無かった。いぁぁゃあー。とその場から一目散に立ち去った。
這う這うの体で家に着いた。どうやってついたかは全然わからなかった。戸を開け橙色の部屋の灯を確認すると心底助かったと思った。向こうを向いて裁縫をしている女房に向かって、でででででた。と。何だい騒がしいねと女房が言う。出たんだ。顔がねぇんだ。と意味の通らない事を言う。何だい、また粗相でもしたのかいあんたは本とぅに粗忽者だねぇ。と相変わらず裁縫の手を休めずに返事だけする女房。本当なんだ、柳の女も屋台の親父も目も鼻も口も無かったんだ。と一生懸命説明する。すると、裁縫の手を止め、女房が、目も鼻も口も無かった、とゆっくりと此方を向いた。そして、それはこんな顔じゃなかったかい。と顔を見せると女房ものっぺらぼうだったのだ。うーん。そのまま気を失ってしまった。お前さん、お前さん、起きておくれよ。そう声が聞こえた。あんたまた酔ったのかい。あたしの顔を見るなり、急に大騒ぎしたかと思ったら気ぃ失っちまってさぁ。と女房の声に起こされた。うーん。あまり寝覚めの良い感じではないが、目を開けてみるといつもの女房だった。なんだあれは夢だったのか。そう思うとふぃーっと大きな溜め息を付きいつもの自分の家であるのを確認すると安堵の溜息を付き胸を撫で下ろす。なんだいしっかりおしよ。と女房に言われた。
そういうわけで、自分のそそっかしいのを神頼みで何とかしようって魂胆なんでと少し照れ笑いしながら話を続ける。しかし粗忽すぎてそんなへまやっちまった日にはお守りでも身につけねぇとやってられねぇんですよ。と。お守り一つで粗忽さがなおるなら安いものだ。なんてことを考えていた。それじゃああっしはこれでとその男はその場を立ち去る。境内にはお守りが残されていた。いけねぇあいつお守り忘れていきやがった。本当にそそっかしい奴だ。とお守りを手に足早に後を追っかけていく。
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