垢嘗め
宿近くの屋台でたまたまその宿の働き手と同席となった。その風呂焚きの男は、驕りの酒ということでしこたま飲んだ。まあ、安酒だから別にいいのだが、よほど普段は飲めないのだろう。そして、普段言えない仕事の愚痴などをこぼすようになる。まあ、まともに相手するのも何だったので適当に合図地だけ打っておいた。話の方は、何やら同じ職場の誰かの話になっていった。要らないことする奴っているじゃないですか。そいつもその一人なんですが、やることがいちいち気持ち悪いんですよね。と嫌な顔をしながら言う。何分酒が大分入っているので呂律が回っていて注意しないと何を言っているのか聞き取れない。
その男はいいと言っても、垢を嘗め綺麗にするのだ。紫色のザラザラした大きな舌をベロンと出して、ズリズリ風呂を嘗めまわす。いつの間にかそこでそうしている。気が付くとそこにおる。
温泉宿。檜のお風呂。大分古い。温泉の成分が露出し、青白っぽいものが手摺にこびりついている。その手摺も長年人が使っていたためか、手垢の為赤黒くなっている。光の反射しない色合い、漆とは真逆の同色。何か立体的でない錯覚を覚える色合いだ。闇。それをズリズリ大きな舌で嘗めるモノがいる。
その余りにうまそうに嘗めるため、垢が美味しいものだと錯覚してしまう。気持ち悪い。自分も気持ち悪いが、そいつの気持ち悪さは吐き気がする。もうあっちへ行ってくれ。しかし、そいつは垢を嘗め続ける。気が付くと風呂はとても綺麗になっている。新しくなるはずもないが、古いものを丁寧に磨き上げたそんな体だ。なんだか理不尽だ。あれ程不快なものが何やらとても良い事をしている風に感じることもある。少なくとも綺麗な風呂が嫌いな客はいないであろう。今回だけは大目に見てやろうと毎回思う。こんなものを客に見せられるはずもない。そういう思いを長年抱えて如何にか今までやってきた。温泉風呂の方はお陰様で大盛況だ。だが、口が裂けてもそいつの事は誰にも話せない。
そう男はぶつぶつ言っている。宿に帰ると旅の汚れを落とす為風呂に入った。
風呂自体は綺麗だがとても長湯をしたい気分ではなかった。さっと体を流すと体が温まる前に風呂場から出て行ってしまった。おかげで体を冷やしてしまった。
ヒィックション。鼻水がだらーんと垂れてきた。震えがくる前に着物を着て早々に風呂場から立ち去った。風呂に入って気持ち悪くなったのは初めての経験だった。
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