さとり

 山岳地帯には山を敬う山岳信仰がある。山道を人並み以上に歩いたり、滝に打たれたり、そんな修行をする山伏は聞いた話によると、時に山の中で不思議な体験をするそうな。 

山の道中、足に木の破片が刺さってしまった。これは厄介だ。これからさらに山道は続くというのにこのままでは歩きづらくて敵わない。なんて困っているとそこに山で修業でもしていたのか山伏が走るような速さで歩いてきた。と、こちらの様子が変なことに気づいたのか近づいてくる。これは大変だ、山道で怪我をほっておくと傷口が悪くなってしまう。手当してやるからそこに座りなさい。と腰ほどの岩に座らせて手当てをし始めた。これはどうもありがとぅごぜぇます。なんて感謝の意を唱えているとピューなんて鳴き声で鳥が飛んでいた。あれは鳶だと山伏は言った。いろいろ知っていらっしゃるのでございますね。なんて合わせてみると、そうだ、山にはいろいろ知らなければならないことがある、そして人間には理解できない不思議なものが山には存在するのだ。なんて話をし出した。何か不思議な体験でもござぃあしたかとかちょっと興味を示してみると、あぁしたと山伏は答えた。


樵が大きな杉を切っていると、声を掛けてくるものがいた。

杉が切られた切り株に座り、こちらの事を値踏みするようにニヤニヤいやらしい笑い方をする。お前は、俺の事を気持ち悪いと思う。

すると、自分があいつ気持ち悪いなと思う前に、そう言われたことに気づく。

なんだ、あいつ俺が考えていることがわかるのか。と考えた瞬間、くっくっくっと忍び笑いを漏らした。人の考えていることがわかる。寒気がした。なんだか目が合わせられなくなった。このままでいると余計なことを考えてしまいそうで怖かった。そうだ、仕事に集中しようとまた、さっきより一心不乱に木を斧でたたき続けた。すると、またお前は少し手が痛いと思う。途端に手に痛みを感じ少し手が痛いなと思ってハッとした。今度は手の方が震えている。何も考えるな、何も考えるな。コーン、コーン、コーンと先ほどよりもさらに熱心に木を斧でたたき続けた。頭がぼーっとして何も考えられないほど集中して木を切っていると、バチッと何かはじけるような音がした。ふと手を止める。途端ギャーと悲鳴が聞こえる。振り返るとあの気味の悪いものが目を抑えている。よく見ると血が出ているようだ。人間は恐ろしい。そうあの気味の悪いものが言った。何も考えずに俺の目に棘を刺してきた。と恐怖の顔をこちらに向けると森の中へと一目散に逃げ去っていった。


聞いたところによると、そいつはこの森で比較的知られている存在らしい。なんでも人の考えていることが読めてそれを、からかってくるという。名をさとりといった。まず、性は人を馬鹿にしたような話し方をし、相手の気持ちをもてあそび、直接手を汚さずに人を貶めるそんな奴だ。髪は長く、永く手入れがされているようではない。白髪で肩まで伸びていた。頬は扱け、顔色はやや黒っぽく良くは無かった。歯は隙間だらけで、しかし、虫歯は少なかった。いつも何か口元が人を馬鹿にしたようににやにやしている。着物は白で特に柄は無く、裾の方を大分擦ってきたのかあちこちがボロボロである。どこか人を不安にさせるような容姿である。ひとたび、そいつの術中にはまればいつも立派な人もまるで腑抜けのように右往左往するばかり。直接的な悪事に手を染めることはない。ただ、目は知性が宿り、そしてランランと人の内面を知りたがる欲求が満たされている。心の動揺を見透かすことで、悦に浸っているようだ。


次にさとりが出てきたときはほっかむりをし、片目には布切れで眼帯をしていおった。表情には余裕がなく、もう片方の目をランランとさせ、辺りを始終警戒しているようだ。また、樵は木を切っていた、コーン、コーン、コーンと。しかし、今度はそのさとりの事を気にせず、いつも通り木を切っていた。前回そいつの事は無視しておけばいいことに気づいたからだ。すると、さとりは恨みがましい目を樵に向け、今度は樵の前方の方に移動した。お前は無意識に俺を害することができるらしい。ならば意識できる目の前にいればお前のやろうとしていることは俺にはわかるのだ。と、確かにそうだと樵は思った。そのとたんさとりはしっしっしっと満足げに笑った。そうであろう。そうであろう。目の前におられてしかも考えることがわかってしまうので、やりづらくて仕方なかった。しかし、樵も何年もこの山に通い、毎日木を切ってきたのだ。いまさらやり方を変えるわけにもいかぬ。ましてや仕事を変えるなんてできっこない。腹を据えて、コーン、コーン、コーンと木を一心不乱にたたくことに専念する。そうしているとだんだんそいつの事があまり気にならなくなってきた。それはそうだ。ただ木を切るのにそれほどいろいろ考える必要もない。相手がいくら考えてることが読めるといっても何も考えていなければ恐れる必要はないのだ。ようやっといつもの調子を取り戻し、いつも通り仕事をしていた。面白くないのはさとりの方だ。先ほどからちょっかいをかけるにも何も考えていないのでちょっかいのかけようがない。何か邪魔が出来ないかとイライラしていた。すると、また、木の破片が飛んでいき、さとりの今度は左目へと刺さってしまったのだ。ギャーとさとりは叫んで今度は森の奥に逃げ込んで二度と出てこなかったとさ。


しかし、なぜ樵はさとりなんかのような避けようのない受難を偶然避ける事が出来たのでしょうね、と山伏に聞いてみると、たとえ心を読まれても世の道理にかなうなら何も動揺する必要がないということ、いつも通りに過ごせば問題など起ころうはずもありません。と山伏は言った。

なるほどな、だから樵はいつも通り木を切って、偶然当たるはずのない木くずがさとりの目にあたってしまったため、さとりはそこから逃げずにいられなかったのか。なんてぼんやり悟ったようなことを考えた。


少しすっきりした気分で足取り軽やかに旅路を進んだ。

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