第21話 side 藍川裕太③
渡辺さんと相沢の笑顔がこびり付いたみたいに頭から離れなくて、振り払うように大量に出た課題を黙々とこなした。
そのくせ、もし質問されても答えられるように、と万全の準備をする自分の滑稽さに苦笑いを浮かべる。
勉強会の当日、織姫駅で中村さんと待ち合わせをし、渡辺さんの家に向かう途中で、中村さんが言いづらそうに口を開いた。
「石ちゃん、藍川君、——葵が元気無くても気づかない振りしてあげてね」
「葵ちゃん、なにかあったの?」
「それを後で聞くつもりだよ……」
渡辺さんと相沢に何かあったと直ぐに気付き、淡い期待と、相沢と幸せそうに微笑んでいた様子が交互に頭に浮かび上がる内に渡辺さんの家に到着した。
数日ぶりに会った渡辺さんは、顔色は酷かった。
渡辺さんの笑った顔が見たいと思った。
もし、渡辺さんの顔が曇っている原因が、相沢なら強引にでも奪いたいと強く思う。それと同時に、渡辺さんが笑顔で居てくれるなら、その隣に立つのは俺じゃなくてもいいと思ってしまう。
翔太と中村さんの課題の出来の酷さに、渡辺さんと一緒に呆れた。
万全の準備をして来た俺が二人に教えていると、渡辺さんがちょこんと隣に座り、小声で話し掛けて来る。
「ご飯作って来て、いいかな?」
さらさらの髪から甘いシャンプーの匂いがする。
渡辺さんはキッチンに立つと、花柄の可愛いエプロンを身につけ、髪をひとつに結ぶ。
よしっと小さく気合いを入れる仕草が可愛くて、心臓を撃ち抜かれる。
渡辺さんの手料理は、滅茶苦茶旨くて、胃袋も鷲掴みにされる。
カルボナーラもペペロンチーノ、サラダにかかる渡辺家秘伝のドレッシングも、サンドイッチもポトフも、どれも絶品だった。
このまま勉強をやめてもいいかな、と思ったら問題児の二人が、散々教えてもらった割に文句を言うから睨みを利かせていると、渡辺さんが笑い声を上げる。
やっぱり笑った顔が一番いい。
好きな子には、ずっと笑っていて欲しい。
食後も問題児二人の面倒を見ていく。
数IIの似たような問題をまとめて解かせていると、渡辺さんが古典の問題を広げている。
間違いやすい問題があったなと思い、覗き込む。
「渡辺さん、ここ間違ってる」
「えっ?」
渡辺さんに間違いを指摘して、説明をすると直ぐに理解する。
問題児の二人とは全然違うなと思っていると、渡辺さんが「ありがとう。藍川君の説明、すごく分かりやすいね」とキラキラと尊敬の眼差しを向けられる。
そのひと言で、全てが報われてしまう。
その後も渡辺さんが難問箇所を的確に質問して来る。
俺の話を真剣に聞く横顔、考えている時に尖る唇、理解した時の緩む頬。肩が触れ合いそうな距離、甘いシャンプーの匂い。軽い冗談にくすくす笑う声に、笑った顔。
心臓がばくばく音を立てる。
胸がぎゅっと鷲掴みにされたみたいで、苦しいのに、とびきり甘い。
でも、渡辺さんと目が合っても肩が触れそうな距離になっても、俺に向ける視線は友達に向ける視線のままで。隣にいるのが嬉しいのに、熱がないことに気付いてしまう。心から笑えていないのに、気付いてしまう。
「困ってるなら聞くから」
「旨い飯食べさせて貰ったから、そのお礼。それに協力するって言っただろ」
渡辺さんの話を聞いて、ほんの少しだけ持っていた希望は消えた。
あの二人乗りの自転車で帰った後、相沢は俺が出来なかった告白を渡辺さんにしていた。
渡辺さんの表情を曇らせていたのは、相沢じゃなくて、罰ゲームの告白をした奴だった。
心臓が、どくん、と音を立てた。
この質問をしたら全てが終わると分かっていた。
「相沢を好きなの?」
ぶわりと渡辺さんの頬が真っ赤に染まる。なにかを思い出したように、甘く甘く目が細められる。伏せたまつ毛が震えた後、ゆっくり真っ直ぐに見つめられる。
「——好き。圭君が好き、だよ……」
悔しいけど、本当は足掻きたいくらい悔しいけど、俺は渡辺さんにこんな笑顔をさせることは出来ないと思った。
俺がきっぱり諦めようと思うのに、天然の渡辺さんは、告白の返事をひとつもしないで帰って来たらしい。
ちゃんとこの二人がくっつくまで見届けないと、また勘違いしてすれ違って、俺の知らない他の奴と付き合ってたら泣くぞ?
「休み明けに、渡辺さんから話すべきだな。大切な人とは、話し合わないとすれ違ったままだからな」
——ぺちっ
「頑張れよ」
伝わらないだろうけど、俺の好きな気持ちを最後にデコピンに乗せた。
渡辺さんの見せてくれた笑顔が眩しかった。
◇ ◇ ◇
「裕太、本当に良かったの?」
翔太の質問を無視して、渡辺さんの家の勉強会を終えた俺たちは帰りの電車に乗り込む。
やれやれと視線を送られるが、気付かない振りをしたまま田植えが終わったばかりの田園風景を眺める。
「葵ちゃん、このままだと付き合っちゃうよ?」
ギロリと睨み付けても、昔からの付き合いの翔太は
でも、不思議と全然後悔はしてなかった。
「まあ、あんな顔見せられたら応援したくなるよね」
「そういうこと」
「裕太、泣きたいなら胸を貸そうか?」
「男の胸なんて、やだよ」
植えたばかりの田んぼが夕焼け色に染まり、キラキラと金色に反射する。
それが、眩しくて、俺は目を閉じた。
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