第7話 ASMRなんかに絶対負けない先輩 VS 俺

「こ、後輩くん……?」


「今更どうしたんですか、先輩」


「……勘弁してください……」


「勘弁されると思っているんですか」


 あぁ。

 今日も今日とて私は負けました。

 教室の角で、クラスメイトがいたら絶対に近づけないであろう距離感で、毎日勉強をして日常の代名詞でもある教室で、普通の間柄である人間であれば絶対にしないような事をされてしまう。


 そう思うと胸の中が恐怖で満たされてしまう……だなんて言い訳をするけれども、その願望の奥底に必死になって隠れているのは期待の感情。


 私は彼にその感情が見つかりませんようにと必死になって取り繕うけれど、いつもの無表情を浮かべている彼は何気も無く、余りにも容易く、私のそんな虚勢を見破っては滅茶苦茶にしてくるのだろう。


「勘弁してって言っておきながら、自分は何をされてしまうんだろうって期待している目で言われても説得力ありませんよ、先輩」


 ほら、見た事か。

 この人の前では私は隠し事が出来ない。


 どんなに頑張って隠し事をしても、この人には全てお見通し。

 だから、どんなに虚勢を張って先輩ぶっても何も意味はない。


 彼と一緒にいる私は年上で頼れる先輩ではなく、一方的に可愛がられてしまう女の子になってしまう。


「そ、そんな訳ない、から」


 そんな訳あるけれど、目を見られてしまったら絶対にバレてしまうだろうから。


 そんな事を考えるよりも先に私は反射的に、彼に赤面している自分の表情を見せないように教室の床の方にへと視線を逸らすけれども……下に落ちた筈の私の視線は無理やりに彼の方にへと向けさせられる。


 私の顎の辺りを、まるで人をモノのように持って。

 でも、絶対に爪だとかそういうので私の肌を傷つけたりなんかしないという心遣いが指から伝ってきて……この人は私を滅茶苦茶にしたいのか、優しくしたいのか、どっちなのかが分からなくて、本当に困る。


 まるで今から接吻をするかのような距離感で、それでもいつものような接吻をするような雰囲気でもない。


 明らかに、今までにされた事がないような経験を目の前の人からされてしまうのは誰の目から見ても明らかだった。


「あ、あの! こういう事を教室でするの! 先輩はいけないと思うんですよね! ね、ね、ね!? だから、止め――」


「――先輩はコレがいけない事だって分かっていたんですね?」


「……あ、ぅ」


「もちろん、止めませんから安心してくださいね?」


 只々、いつものようにキスをする程度の距離感で彼の言葉を聞くだけでも頭が色々とおかしくなってしまうのに、それを今までの比ではない程の至近距離でされてしまったら……そんな事で頭がいっぱいいっぱいになって、1つしかない筈の心臓が10個ぐらい増えたような感覚で支配されていく。


 いつしか私は逃げる逃げたい逃げなきゃ、と思っていた筈なのに、彼にそういう事をされてしまうのを待っているだけの情けない年上のお姉さんに……いいや、女の子になっていた。


「こ、後輩くん……」


「何ですか?」


「や、優しく、してください、ね……?」


 何言ってるのだろう、私。

 本当に何を言っているのだろう、私。


 そういうのって、そういう意味じゃないけれど、そういう意味で捉えられてしまったどうするつもりなのだろう、私。


 彼といると、いつもいつも頭の中が本当に熱に浮かされたようで滅茶苦茶で、いつもであれば絶対にしないような些細なミスを連続でやらかしてしまう。


 そんな自分がどうしようもないぐらいに恥ずかしくて、どうしようもないぐらいにみっともなくて、どうしようもないぐらいにこんな自分じゃいけないのにって思って――どうしようもないぐらいに、今の自分が嫌いじゃなかった。


「必死に目を閉じる先輩はかわいいですね。初めてキスをした日を思い出しますよ」


「は、早くしてよ……」

 

 自分で作った暗闇の中に、自分から飛び込んでいった私はそんな意味のない強がりの言葉を出して主導権を握ろうとするけれど、そんな事で彼が素直に返してくれる筈もない。


 ぷるぷると全身に震えが、彼から与えられる未知の期待によって自分の身体が段々と自分のモノではなくなっている感覚が溜まらない程に怖いような楽しいような、そんな感覚で包まれていく。


「早くして欲しいんですか?」


「……うん……」


 そんな私の身体に、私の肌に、私の耳のすぐ近くに、大好きな人の吐息の音が段々と近づく気配を感じ取った私の身体はしないで欲しいのに心臓を暴走させる。


 知らない、知らない知らない知らない。

 たかが人の声で、いつも聞いているような声が、こんな距離で聞こえてくるだなんて、そんな経験ある訳ない。


 自分の両親だとか、友達とかでは、絶対にしえないようなこの経験をどうして私はしているのだろうかと思わず正気に戻ってしまうぐらいの強い衝撃。


 だけど、どうして正気に戻る必要なんてあるのだろうかと内なる自分自身が囁くような甘い衝撃。


 こんなの、頭がおかしくなるに決まっている。

 だというのに、この人は止めてくれない。

 私も、止めようとしてくれない。


「先輩は本当にいつも可愛いですね」


「……ぴきゅっ!?」


「そんなかわいい先輩は俺を喜ばせようと毎日毎日頑張ってくれる素敵な努力家。どんなに俺に返り討ちにあっても毎日毎日頑張って俺を喜ばせようとして……わざと負けて毎日毎日こんな事をしてくれる優しい俺だけの先輩です」 


「……ち、違う、からっ……! わ、私、わざと負けるなんて事してないっ……!」


「してますよね? だって、いつもいつも綺麗なあの先輩が、他の男には絶対に見せないようなかわいい姿を俺だけに見せてくれるじゃないですか?」


「ひ、ひゅあぃ……!?」


「先輩の肌は真っ白で綺麗で、俺にこうされるだけで真っ赤になってしまうぐらいかわいい」


「ひょわぁぁぁぁぁぁ……!? ちょ、ちょっと後輩くん……!? も、もう……! 充分! もう充分だからぁ……! もう止めてっ……! これ以上、私をおかしくしないで……!?」


「止めませんよ。だって俺はそんな先輩が大好きなんですから」


「は、はわわわわわ……!?」


「どうです? ASMR、気持ちいいでしょう?」


「しゅごいぃぃぃ……! ASMRコレしゅごいよぉぉぉ……!」


「ところで先輩。本当に止めて欲しいですか?」


「……あ、ぅ……」


「正直に言ってくださいね?」


「……やめないで、欲しい、です……もっと……して……?」

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