第6話 ASMRで絶対に勝ちたい先輩 VS 俺

 2年生になると毎日の授業を終えるだけでも疲れが溜まります。


 学内では成績優秀で品行方正な学生として先生方に認知されてしまっているこの私、速水詩歌は、良くも悪くも先生方に注目され、授業中に眠るだなんて事が出来ず仕舞い。


 とはいえ、この放課後の時間だけは別。

 放課後独特のこの開放感は筆舌にし難く、これからどんな楽しい事があるのだろうかと思わず幸せになってしまうのが正直なところ。


 更に更に!

 今日の私には大の友人でもある小夜ちゃんからとっておきの必勝の策まで授かっており、その策をあの生意気でちょっと意地悪で……とっても好きな人……に試してやろうと満々だったりするのです!


「勝ちました。あぁ、勝ちましたね。まさかこの私を本気にさせたが為にあの後輩くんがあんなにも恥ずかしがってしまうだなんて! あぁ、なんて可哀想なのでしょう! これも全部、今の今までこの美少女先輩をコケにした罪ですよーだ! ざまぁみーろ! ばーか!」


 そういう訳で今日は私もルンルン気分で、今日の彼をどうからかってやろうかと胸を弾ませながらいつもの教室に、いつも一緒に帰ろうと提案する1学年下の教室という、過去の自分が利用していた教室に足を踏み入れる。


「失礼します、2年生の速水詩歌です。青木翔太くんはいらっしゃいますか……って、あれ、寝てる……?」


 誰もいない教室の机に突っ伏している彼の姿を見ていると、まるで自分が彼と同じ学年に所属するクラスメイトになったかのような気分になってしまう。


 後1年でも私が生まれるのが遅かったら、あるいは彼が1年でも早く産まれてくれていれば、大好きな人と一緒に色んな学校行事が出来ただろうになと思うと若干ながら胸の中がモヤモヤとする……だなんて事を他人事のように考えながら、私は静かに寝息を立てている彼を起こさないように忍び足でそっと近づいてみる。


「もしもし? もしもーし? 起きてますかー? ……起きてない、よね?」


 ここが安心安全だと思いながら、いつまでも変わらないかわいい寝顔を浮かべている彼が熟睡をしているのを確認した私は知らず知らずのうちに笑いながら、寝ている彼の耳元に忍び足で近づき、小夜ちゃんに教えられた必勝の策を試す。


「ふーっ」


 寝ている彼の耳に、自分の息を流し込むように、注ぎ込む。


 確か、えーえすえむあーる? 

 そう、確かそういうヤツだった、うん。

 意味は全然知らないけれど、小夜ちゃんがせっかく提案してくれた訳なのだから、試してみたくなったのも正直なところで、そういうのに詳しい小夜ちゃんから色々とやり方も教えて貰っている。


 ゆえに今の私は最強。

 これは絶対に勝った。

 勝ったに違いない。

 そう思わないとこんな恥ずかしい事、とてもやってられない。


「わ、わわっ……すごいビクビクしてる……ふふっ、かわいい……」


 まるで砂浜に打ち上げられた魚のようにぴくりぴくりと全身の筋肉が少しだけ痙攣している彼の姿を見ていると、胸の奥からもっと彼を知りたいという欲望が湧き出てくる。


 彼はどんな反応をするのだろうか?

 

 そんな探求心のような、あるいは嗜虐心のような、そんな彼の事を知り尽くしたくて仕方がなくて、そんな彼を自分の思うがままに支配してやりたいようなイケない感情が入り混じる。


 私は生まれてこの方、この感情を彼以外の人に向けたことがないし、そもそも向ける予定もないので、それなら思う存分その感情を彼にだけ注ぎ込んでみたくなるだけの話。


「……まだ寝ようとするだなんて、生意気な後輩くんですねぇ……?」


 つまりは、もっとこれがやれるという事。

 その事実を前に私の所有する乙女心が色めき立ってしまうのです。


「それとも、もっと、もっともっとお耳に気持ちいいのが欲しいのかなぁ……? ふふっ、そっちがそのつもりなら付き合ってあげるね……? 私はとっても優しいから御望み通り耳元でやってあげるね……?」


 顔にかかる黒髪を払いながら、私は寝ている彼の真横に更に近づき、そして――。

 

「……ほぉら、貴方が大好きな先輩のかわいい声ですよ……? ……ふふっ、好きな人の声、気持ちいいですよね……? ……好きな人の声を聞くだけで、びくびくしてしまうぐらい気持ちいいね……? もっと先輩の声を聞きましょうね……? 後輩くんは偉いので聞けますね……? ふふ、好き好きだぁい好き……」


 私が一言、言の葉を告げるだけで彼は震える。

 

 意識が無い状態であるのにも関わらず、私の声を無視できない。


 隙あれば私の胸や脚に顔を見ている彼が、私の声を聞いて喜んでくれている。


 私がこうする度にむくりむくりと蠢く彼が余りにも愛おしい。


 その事実を目の当たりにした私は嬉しさと、もっと彼を滅茶苦茶にしてやりたくなるような衝動にへと駆られてしまう。


「ほぉら、起きてください……? 貴方が大好きな先輩のお願いですよ……? 起きないのならもっと気持ちいい事してあげますよ……?」


「あの、先輩。俺、


「な、な、な――にゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


「いきなり近づいてきたから何をするかと思えば……どこで仕入れてきたんですか、そういうの」


「お、起きてた、のっ……!?」


「はい、最初から最後まで。先輩が俺の耳にいきなり息を吹きかけてきた所からですね」


「そ、それなら起きてよっ……!? 起きてるって意思表示してよっ……! ひ、卑怯だよっ!? こんな恥ずかしい事、後輩くんが寝ていると思っていたからやれたのにっ……!」


「すみません。先輩がこうなるであろう事は予想してましたのでわざと起きてませんでした。先輩のASMR、堪能させて頂きました」


「い、い、い、意地悪ぅ……!」


「えぇ、俺は意地悪ですので――当然、やり返されるのも覚悟していますよね?」


 そう口にした彼は、いつもの無表情を浮かべて私の手をやや乱暴に掴むと、私を壁際にまで追い詰める。


 ――逃げられ、ない。


 逃げ場が、ない。

 気持ちよくなるしか、ない。

 仕方が、ない。


「せっかく先輩がそういうのを覚えたんですから、先輩にもそういう気持ち良い事をしないと駄目ですよね?」


「……は、い……」

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