第4話 先輩が絶対に勝てる方法『あーん』 VS 俺  

「ほらほらほらほら、あーんですよ、あーん。ふふ、後輩くんにはとても恥ずかしくて、とても出来ないに決まっていますよねぇ? すっごく美人な先輩があーんをしてあげているって言うのに、恥ずかしくて出来ませんよねぇ? 後輩くんは恥ずかしがり屋ですねぇ?」


 そういう訳で、俺は先輩からいきなり『あーん』をするように要求された。


 細長い先輩の手の指が箸を器用に操り、それを用いて良い色に焼かれた卵焼きを俺の眼前に突き出してみせた彼女の表情は予想通りにニマニマ笑顔だった。


「あーん、ほら、あーん。おや、どうしたんですか後輩くぅん? 周囲の視線が気になっちゃいますか~? それとも私からそういう事をされちゃうのが恥ずかしいんですか~? ふっふっふ。皆まで言わなくてもいいですよ、後輩くん。いつもの無表情で誤魔化すつもりでしょうけれど、後輩くんが恥ずかしさの余りに思考が回っていない事が手に取るように分かりますとも」


 まるで勝ち誇るように笑顔でそんな事を言ってくる先輩の言う事は、なるほど、確かに正しい。


 先輩という1学年上の存在が教室にいきなりやってきたかと思いきや、俺と言うモブの近くに突撃してきては、いきなりに『あーん』をしろと要求してくる。


 これを無視しろと言われなくても無視するような同級生は生憎な事にこのクラスにはおらず、教室にいるほぼ全員が先輩の動向に釘付け。


 ――まぁ、結論から言えば。


「……あの……早く……してくれません……?」


「どうしてですか」


「いや、どうしてって言われても……だって……ほらぁ……!」


「具体的に言わないと分かりかねます」


「分かってよぉ……!?」


「俺は先輩と違って頭の出来が悪いので」


「この前のテストで学年1位を取っておいて良く言うね……!?」


 1歳下の学生たちから『何してんだこの上級生』という困惑の目で見られ『本当にあーんをするのか』という期待の目でも見られ続けて晒し者になってしまう先輩は今にも泣いてしまいそうな涙目で、ぷるぷると震えては赤面の極みだった。


 良くも悪くも人並みの羞恥心がまだ残っているこの恋愛強者を装った恋愛クソザコ先輩は『自分が色々とおかしい事をしている』という自覚があるものだから、俺が何もしないだけで勝手に自爆していくのであった。


 そういう訳でそんな先輩が面白かったので、敢えて質問してみる事にしてみたのだが、当の本人は箸で摘まんだ卵焼きを今にも落としてしまいそうなぐらいに震えており、視線という視線はそれはもう泳ぎに泳ぎまくって不審者1歩手前。


「い、意地悪な質問しないでよ後輩くん! 質問するぐらいなら早くあーんしてよ、あーん! 口を開けて、ぱくっとするだけ! ほら簡単! 凄く簡単! 早くして! これ、する方も恥ずかしいんだよ!?」


「俺は全然恥ずかしくないどころか、恥ずかしがっている先輩を見れて面白いのでお気になさらず」


「気にしてよぉ!?」


 流石にこのままこの今にも泣き出してしまいそうな先輩を放置したら、俺のクラスでの立ち位置がちょっと危なくなりそうな気がしたので、名残惜しい気持ちを抑えつつ、懐からスマートフォンを取り出して、あーんをしてくれる先輩という今後色々と使えそうな写真を無許可で撮る。


「えっ、ちょっ、勝手に撮らないで……って、あ、食べてる。ど、どう? 美味しい? 美味しいよね? あれ、もしかして美味しく……ない……?」


「とても美味しいです。先輩の作る料理はどれも全部美味しいですが先輩からこうして食べさせて貰うといつもよりも更に美味しく感じます」


「……えへへ。でしょう? そうでしょう? そうでしょうとも!」


 そんなこんなで俺は先輩に餌付けをされるように口の中に弁当のおかずを放り込まれていき、ついには先輩が作ってくれた弁当の中身を全て平らげてしまった。


 まさか自分の手を使わずに弁当を完食するだなんていう日が来るだなんて夢にも思わなかったが、俺にそんな経験を体験させてくれた先輩はニコニコ笑顔を浮かべており、とても穏やかで幸せそうだった。


「えへへ、えへ、えへへへ……!」


 確か、この先輩の当初の目的は俺の無表情を崩す事だったと思うのだが、俺が料理の感想を言った所為なのか、それとも余りにも『あーん』をするのが恥ずかし過ぎたが為に記憶から抜け落ちたのか……理由は定かではないけれども、自分の事のように嬉しそうな表情をしている先輩を見ていると胸が熱くなって――。


「え? ちょ? あれ? こ、後輩くん? どうしたんですか後輩くん? いきなり席を立って私に近づいて――んんっ!?」


 何か身体が勝手にキスをしていた。

 俺がそんな事をした瞬間に先輩は驚きの余りに身体を跳ねさせたし、クラスに至っては地震が起こったかのようなどよめきが走ったが、後悔はしていない。


 そもそも、俺と先輩は周囲から隠れて交際をしている――まぁ、もう既に周知の事実であるのだけれども――ので、恋人同士のやり取りとして何ら問題はないと思う。


「ご馳走様でした。先輩は今日も美味しいですね」


「……んぴゅ……」


「デザート、いいですか」


「で、デザート……? あの、その、今日はそういう凝ったヤツ用意してなくて……」


「あるじゃないですか。目の前に」


「え? 目の前? どういう意――んっ……⁉」


「ご馳走様でした。先輩は今日も甘いですね」

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