第2話 ラスル=ヴァルシオン

 俺は一室のベッドの上に座っていた。

「改めまして、私はラスル=ヴァルシオン。ラスルって呼んで。これからよろしくね。この部屋は好きに使っていいから」

 俺の目の前で、この人は微笑みながらそう言った。

 一緒に暮らそうと言ってきたこの人はほんとうに俺と一緒に住まう気なのか。

 俺はどうしても怪しまずにはいられない。


「…俺は青木祐介あおきゆうすけって言います。17です」

「オーキユースケ?珍しい名前ね」

 ん?

 珍しい?

「いや、あの、じゃあ祐介でお願いします」

 ラスル…さんは一瞬不思議そうな顔をするがすぐに納得した。

「…?ええ、わかった。ユースケ。それじゃ、私は仕事に行って来るね。絶対に外に出ちゃダメだからね」

 そう言い残してラスルさんは部屋を出て行く。

 続いて下でバタンと音がした。


 ………つか、まじ美人だなぁ。

 いいところもわるいところも全て包み込んでしまいそうな包容力。

 潤って輝く綺麗な肌。

 そして抜群のスタイルはあのギャルを思わせる。まぁ、雰囲気は似ても似つかないが。

 そして何より顔は世紀の美人。

 あそこまでの美人はさすがに見たことがない。

 …なんで俺はそんな完璧超人に養われることになったんだ。

 帰って来たらいてみよう。


「…それより、この歯だよなぁ」

 俺は手で犬歯けんしを触る。

 人間とは思えない犬歯の形状、そして歯並び。

「かがみかがみ〜」

 そこらへんの引き出しを開けて手鏡がないか探ってみる。

「お、あった。どれどれ〜どうなっちゃっ…てる……んだ…………」

 俺の顔じゃない。

 顔が違う。

 こんな顔じゃなかった。


 ただの冴えない男子高校生だった俺の姿は、数時間前に見たあの吸血鬼たちとほぼ同じになっていた。

 青白い肌に赤い目、とがった犬歯。

 しかし痩せ細ってはいない。

 そこだけはあの吸血鬼たちと明らかに違うが、それを含めずとも俺が吸血鬼であると決めつけるには十分すぎた。

 ドクドクドクと拍動はくどうが激しくなる。


 ラスルさんの優しさに先まで抑えられていた不安や恐怖が、再び俺の思考を埋め尽くす。

「お、俺は、俺はなんで…」

 そもそもここは日本なのか?

 地球なのか?

 異世界なのではないのだろうか。

 だったらなんで。

 どうして。

 俺の中で解けない疑問たちが堂々巡(どうどうめぐ)りをする。


「と、とりあえず寝よう…もう…」

 俺はベッドの上に置かれた服に着替える。

 男物の部屋着だ。

「起きたら病院とか、だったらいいなぁ」

 かすかな願いとともに、俺は深い眠りに落ちた。




「……ケ…ん……スケく…!」

「…んん……んぁあ…」

「ユースケくん!」

「んあ!ぁ、あぁ、おはようございます…」

「大丈夫?丸一日寝てたけど…」

 丸一日…寝て…?

 ん…?

 あぁ…そうか。

 ラスルさんの家に、そうか。

 開かぬ目を擦ってこじ開ける。

 そして身体を起こしてベッドから足を出して座る。


「…ふぅ…大丈夫です。…ありがとうございます」

「ふふ、よかった。お水飲む?」

 ラスルさんは、温かく、包容力のある話し方で優しく接してくれる。

 今はその優しさに甘えることしかできない。

 もちろん用心するに越したことはないが。

「はい。飲みます」

「うん。取ってくるね」

 ラスルさんは部屋を出ていった。


「……青木祐介に戻っては…ないか…ハァ…」

 ダッダッダッとラスルさんが階段を登ってくる。

 ガチャと取手を回して部屋に再び入る。

「はい、お待たせ」

 俺は水が並々に注がれたコップを受け取る。

「ありがとうございます」

 俺は勢いよく喉に流し込む。

 ゴッゴッゴッゴクッ。


 ん?

 なんだぁこの違和感。

 喉がうるおわない。

 喉の渇きが止まない。

 俺今水飲んだよな?

 自分の行動を疑い俺はコップを見るがやはり何も残っていない。


「どうしたの?」

 ラスルさんが俺の顔を覗き込んでく。

「あ、はい、あいや、あの…その…なんか物足りなくて…」

 そんな俺の言葉にラスルさんはハッとする。

「……そうか!忘れてた!ごめんなさい!水じゃなくて血の方が飲みたいよね」


 あ。

 忘れていた、昨日の衝動が思い出される。

 ラスルさんに噛みついた自分が頭に鮮明によみがえる。

「き、昨日はごめんない!急に襲いかかって、噛んで…」

 俺はベッドに座ったまま、深く頭を下げた。

「ううん!大丈夫!大丈夫だから!ほんとに気にしないで!」

「…はい。ありがとうございます」

 顔を上げるとラスルさんは俺を安心させるように笑っていた。


「…なんで、俺を助けてくれるんですか?」

 俺はあの瞬間から気になっていたことを訊いた。

 訊かれたラスルさんは、今度は苦笑いをしてうつむく。


「はは…助ける、理由かぁ…そうだなぁ。」

 あ、これ地雷踏んだか?

「あ、いやあの、全然話したくないとかなら全然話さな────」

「────私の方が助けて欲しかったのかも。この生活からね……」


「……ごめんなさい」

 これはまずい。

 こういう闇を抱えてるお姉さん系はまずい。

 守ってあげたくなっちゃう。

 いやいや、勘違いするな俺。


「……なんか、たぶん、死んでもいいことないっすよ。今の俺がそうですし」

「…え?」

 ラスルさんは顔を上げてキョトンとした表情を浮かべているかわいい。

「たぶん、俺、転生して今の姿になってるっぽいんすよね…何言ってるかわからないと思いますけど」

「…てん、せい?」

 繰り返されてバカバカしくなってきたが話してしまったからには全てを話そう。


「はい。俺、この姿になる前は、違う世界で生きてたんですよね。吸血鬼とかいなかったし。はい、でまあ事故に遭って、たぶん死んじゃって、今に至るって感じで…。おかげてラスルさんに出会えたので、結果オーライ、的な」


 ま、信じてもらえるわけないか。

 と思いつつラスルさんを見ると、信じられないほど信じている目をしている。

「す、すごいねそれ!」

 壺いります?

 幸せになれますよぉ?

 ……ダメだますます守ってあげたい。

「い、いや信じれないっすよね」

 これは俺のせめてもの抵抗───だったがそれもむなしく。

「ううん。私は信じるよ!そもそも話せる吸血鬼なんて初めて聞いたし、なんならそっちの方が信憑性しんぴょうせいあるかも……」


 はえーそうなのか。

 まあそれならまあ信じやすいかもな。

 俺の見たアニメやラノベでは吸血鬼は普通に喋ってけどな。


 ……あ。

 たしかに。

 そうだったな。

 俺わけわからんほど叫ばれてたわそういえば。

 …ほんとうにここは異世界なのかもしれんな。


 なんか、そう考えると笑けてくるわ。

「アハハハ、信じてくれてありがとうございます!フフフ、アハハハハ」

「…?どういたしまして…」

「そうだ!ラスルさん、この世界のことを教えてください」

 異世界かどうかは教えてもらってから判断しよう。


「そうですね、ふふ、まずは知識が必要ですね。いいですよ。…ですが、その前に…」

 そう言ってラスルさんは「よいしょっ」と俺の隣に座ってくる。


 そして俺の顔を見て、ラスルさんはふふっと小さく笑い、すぐに背を向けた。

 そして彼女の長い髪が両手で掻き分けて、あでやかなうなじがあらわになる。

 瞬間、吸血鬼としての本能が俺を激しく刺激する。


 俺を目の前の柔らかな肌に引き寄せるのは吸血鬼としての食欲だが、それと同時にどうしてか深い欲望も込み上げてくる。

 人間としてラスルさんのうなじに性欲を感じながら、俺は理性を必死に保とうとする。


 しかし、ラスルさんがそれを打ち破った。

「痛くないから、ね?吸っていいよ?」

 その言葉が、俺の理性の堤防を崩壊させた。


 俺は彼女の肩を掴む。

 少し驚いたように彼女の体が軽く跳ねる。

 心臓が早鐘はやがねのように拍を打ち、興奮が頂点に達する。

「い、いいんですね......?」

 彼女が優しく頷く。


 俺はせめてもの理性を保ちながら、ゆっくりと彼女のうなじに歯を立てる。

 まずは軽く触れる程度で、徐々に噛む力を強めていく。


 ラスルさんの滑らかな肌が自分の唇に触れるたびに、背徳感と興奮が入り混じる。

 やがて、プツリと肌が破れ、血の味が口の中に広がる。

「ンンッ……」

 同時にラスルさんの艶やかな声が部屋に響き、その声に俺の欲望はさらに増幅する。


 相手をあやめんばかりの勢いで鮮血をすすり上げる俺の感覚は、深い陶酔とうすいに包まれていった。


 時にして3分ほど。

 その間部屋には、彼女の甘い嬌声きょうせいと俺の血を吸う音だけが満ちていた。

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