第15話 『トイレの鍵ガチャ』


 個室の鍵を掛け忘れたまま使用中の人が時々いますよね。

 うっかり開けてしまって『わー、ごめんなさいっ』って、なるやつ。

 子どもの頃、学校のトイレで何度か開けてしまった事を覚えています。

 私は逆に、トイレの鍵を掛けない事が気持ち悪くて。

 誰も居ない自宅のトイレでも、絶対に鍵を閉めないと落ち着かないんです。



 そう。ひとり暮らしのマンションのトイレでの出来事です。

 いえ、今まさに。トイレのドアを、ガチャガチャやられているんです。

 鍵の掛かったドアノブを回そうと、誰かがガチャガチャと……。

 トイレの鍵もですが、玄関の鍵だって窓の鍵だって、しっかり閉めていますよ。

 でも、誰かがトイレのドアの向こうから、ガチャガチャしているんです。

 合鍵を作られて、中に侵入されていたという事になるでしょうか。

 この状況、どうしよう……。

 ドアのノブをガチャガチャやるだけで、ドンドン叩いたり何か言ってくる事はないのですけど。

 こんな時に限って、スマホをポケットに入れていません。

 割といつも、部屋着のポケットに入れているのに。

 あまりドアノブをガチャガチャやられると、鍵がバカになって開いてしまうのではないのでしょうか。


 すでに、数分はガチャガチャされ続けています。

 これはもう、ドアを思い切り開けて、相手が転んだか何かしている内に玄関まで走って逃げるしかありませんよね。

 ガチャガチャと動いているドアノブを握って、身構えます。

 思いきって、鍵を開けるのと同時に蹴破る勢いでドアを開きました。

 手応えが無いなんて、気にしていられません。

 とにかく玄関から飛び出して、隣に住む友人の部屋へ駆け込みました。

 部屋の鍵を掛けていない友人が、玄関近くのキッチンで料理をしながら目を丸くしています。

 私は鍵を掛け、チェーンもしっかりと掛けながら、

「あんた、鍵かけなさいよ。今は助かったけど!」

 早口で言いました。

「なによぉ、いきなり」

 タオル生地のタンクトップに短パン。

 見るからに部屋着と言う姿で、友人はのんびりと笑っています。私は慌てたままの剣幕で、

「誰かうちに入り込んでるの。誰も居なくて玄関の鍵も閉まってたのに、トイレのドアをガチャガチャされたのよ!」

 と、声を上げましたが、友人は驚きの表情で、

「えっ、ドアガチャ、初めて?」

 と、聞き返しました。

「……は?」

「私は、よくされるよ。玄関の鍵を閉め忘れて寝ちゃった時とか、ドアノブをガチャガチャして教えてくれたりするの」

「……はぁ?」

 とりあえず座って、と言われて。

 友人は熱い緑茶を淹れてくれました。

 聞けば、このマンション全体が同じ現象の起こる物件なのだそう。

「だって家賃、めっちゃ安いじゃん? わかってて住んでる人ばっかりだと思ってたよ」

 と、友人は軽く笑っています。


 兄が不動産関係に勤めているので、全て任せていたんです。

 私の給与振り込み口座から、家賃や光熱費などアレコレまとまって引き落とされるので……格安の家賃である事に気が付きませんでした。

 兄の事ですから、多少は高額な家賃の部屋を押し付けられても仕方ないか、なんて思っていたくらいで……全体の費用はそこまで大きくなかったので安心していたのです。

 いえ、いい大人が、しっかり把握していなかった言い訳ですね。

 このマンションは全体が、いわく付き物件という奴だったようです。

 全ての鍵を掛けているはずだったり、逆に鍵を掛け忘れている時にも。ドアノブだけでガチャガチャと音を立てて主張してくるのだとか。

 玄関の覗き穴から見ても誰の姿もなく。正体は不明。

 ドアを勢い良く開けても、向こう側に居るはずの相手に当たる手応えもなく、本当にガチャガチャするだけの存在なのだそうです。



 そうと知ってから、それとなく同じマンションのご近所さんとも話してみると、この家賃でこの程度の事故物件はかなりお得だと言う猛者ばかり。

 いわく付き物件って、本当に彼方此方あちこちにあるものなのですね。


 なんとか私も、この不思議な現象と上手に付き合ってみるつもりです。

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